20世紀の絵画表現をけん引し、同時代の日本にも大きな影響を与えた抽象絵画。その萌芽から発展を展観する「ABSTRACTION 抽象絵画の覚醒と展開 セザンヌ、フォーヴィスム、キュビスムから現代へ」が東京・京橋のアーティゾン美術館で6月3日に開幕した。担当学芸員は同館の新畑泰秀、島本英明。会期は8月20日まで。
本展は、前身のブリヂストン美術館が休館した2015年以降に新たに収蔵した95点を含む約150点の石橋財団コレクションに、国内外の美術館や個人コレクションからの作品を合わせた264点が集結。現代美術に重要な位置を占めている抽象絵画の流れを俯瞰できる貴重な機会となる。会場は3フロアにまたがる同館の全展示室が使われ、活躍中の7人の現代作家の作品を紹介する展示も行われる。
見どころ満載の展示のチェックポイントや抽象絵画の奥深い魅力とは? 本展を企画した新畑学芸員に解説してもらった。
(文中の作品は特記あるもの以外すべて石橋財団アーティゾン美術館蔵)
——抽象絵画は20世紀に生まれた重要な美術潮流ですが、まとめて作品を鑑賞できる機会はあまりないので今回の展覧会を楽しみにしていました。まず、企画した意図から教えていただけますか?
大きく分けてふたつあります。ひとつはいま指摘されたように、日本で抽象絵画をまとめて見る機会は意外に少ないことですね。たとえばパリのポンピドゥー・センターやニューヨーク近代美術館(MoMA)の常設展示は、時代を画した作品がずらりと並び壮観です。訪れた人はいわば近現代の美術史を通して見られるわけですね。日本にも常設展が充実した美術館はありますが、西洋を含めた流れを本格的にたどれる館はありません。そのなかで期間限定にはなりますが、本展はその発生から1960年代までの抽象絵画の歩みを通覧していただけるので、大きな意義があると思います。とくに21世紀に入ってから美術の方向は、社会性が強い表現へ大きく振れ、抽象絵画はあまり表舞台に上がらない状況が続きました。それを見直してみたいと考えたのも企画のモチベーションになりました。
ふたつめは、石橋財団の抽象絵画のコレクションをまとめてお見せしたかったことです。1952年に開館した前身のブリヂストン美術館は、日本の近代洋画、印象派を中心とする西洋絵画、印象派以降の西洋絵画を軸に作品収集を続けてきました。近年は20世紀以降の抽象絵画にも力を入れ、とくに2020年のアーティゾン美術館の開館前後は集中的に作品収集を行いました。またブリヂストン美術館時代から、アンフォルメルやウィレム・デ・クーニングなどを主題とした展覧会も開催してきました。作品と展示の両面で一定の蓄積ができたので、今度はコレクションを中心に据えて、抽象絵画の流れを総覧できる展覧会をしたいと考えました。
抽象絵画は、起源にしても色々な考え方がありますが、まず当館の現状を皆様に見ていただきたいと思っています。おかげさまで重要な作品が収集され、いっぽうで本展には国内外の美術館や個人コレクションから素晴らしい作品を出品していただくことができました。抽象絵画の魅力をじっくりと味わっていただける機会になると思います。
——展示は第1章「抽象絵画の源泉」から始まる12章構成です。対象の地域や時代はどのようになっていますか。
抽象画は幅広い地域で制作されてきましたが、本展ではフランスを中心としたヨーロッパ、戦後のアメリカ、日本を対象にしています。時代は基本的に1960年代までで、最後の特別なセクションでは、戦後フランスを代表する画家の1980年代以降の作品や現代作家の新作も登場します。
抽象絵画の定義ですが、これはもちろん悩ましいところです。たとえば、新しく収蔵したアメリカの女性画家ジョージア・オキーフの《オータム・リーフⅡ》(1927)は木の葉が題材だし、フランスのジャン・デュビュッフェは人物を描いています。どちらも何を描いたかは明白だけれど、視覚的に抽象化されています。つまり画家が、抽象と具象の間で揺れ動いたり、行き来したりしてきた事実があります。作品が「抽象絵画」と言われる場合、作者は認識可能な対象から出発しつつも、その全体の要素を縮小あるいは抽出しています。その度合いは幅広く、定義としては比較的アンビギュアス(多義的)にとらえています。
その契機が何であったかを考えると、19世紀後半の印象派の出現は、当時の若い画家たちが新たな試みを行う決定的なものであったのではないでしょうか。なかでもポール・セザンヌの存在は非常に大きかったと思います。ゆえに展示は、《サント=ヴィクトワール山とシャトー・ノワール》(1904-06頃)から始まります。
セザンヌは見たままではなく、一度頭に入れた要素を再構成して絵画を描きました。古典的な写実描法と一線を画した革新的な手法は、多くの画家に影響を与え、抽象美術が生まれる源泉になったと考えられています。セザンヌだけでなく、視覚表現に革命をもたらしたクロード・モネやフォーヴィスムの原点になったフィンセント・ヴァン・ゴッホ、世紀末のヨーロッパで流布した精神的な観念とかかわる象徴主義のオディロン・ルドンやポール・ゴーギャンの存在も重要です。第1章は、そうした抽象絵画の導火線になった画家の作品を紹介します。
——第2章は、フォーヴィスムとキュビスムに焦点を当てています。
セザンヌの死去(1906)とほぼ同時期に、パリの前衛的な公募展「サロン・ドートンヌ」を舞台としてフォーヴィスムとキュビスムが興ります。両派を抽象美術と見なすかは異論もありますが、20世紀絵画の革新の起点になったことは間違いなく、財団では力を入れて作品を収集してきました。原色を多用した荒々しい筆致が特徴のフォーヴィスムは、1905、6年頃にもっとも盛り上がり、風景を大胆な色彩で表現したアンリ・マティスの《コリウール》は1905年に描かれています。石橋財団は、この時期に制作された作品を集中的に収集しました。
いずれも新収蔵のアンドレ・ドラン《女の頭部》(1905頃)、モーリス・ド・ヴラマンク《色彩のシンフォニー(花)》(1905-06頃)、ラウル・デュフィ《トルーヴィルのポスター》(1906)が並ぶ一角は、前半の見どころのひとつです。ヴラマンク作品は一見何か分からないほど抽象的だし、多様な色を駆使して女性の顔を表現したドラン作品はフォーヴィスムのなかでも重要な1点といえるでしょう。港町の風景を描いたデュフィの絵画は、兄弟作をポンピドゥー・センターが収蔵している彼の重要作品です。画面からは観光地の楽しそうな雰囲気が伝わり、ポスターの四角い面で形態をつくる手法はキュビスム的でもありますね。
キュビスムも、海外から借用した作品を含めて良い作品がそろいました。ジョルジュ・ブラック《円卓》やパブロ・ピカソ《ブルゴーニュのマール瓶、グラス、新聞紙》、ジャン・メッツアンジェ《キュビスム的風景》は、キュビスムが興隆した1911~13年頃に描かれました。フェルナン・レジェの《形態のコントラスト》(個人蔵)も1913年の作品で、まるで抽象画のように見えませんか? 印象派を起点とする抽象化の流れがフォーヴィスムとキュビスムに引き継がれ、大体1910年前後に抽象絵画が生まれる土壌がつくられていたと考えていいでしょう。
——第3章では、キュビスムの影響を受けたフランスのオルフィスムやイタリア未来派、ドイツの青騎士など抽象絵画を先駆けた様々なグループを紹介しています。
この章が、本展のタイトルに入った「抽象絵画の覚醒」の部分に当たります。いずれも重要なグループで、ほぼ同時期に興っているので、まとめて作品をお見せすることにしました。
詩人ギョーム・アポリネールがギリシャ神話から命名したオルフィスムは、キュビスムの強い影響を受けて豊かな色彩による純粋絵画を目指しました。代表的なロベール・ドローネーは、あまり馴染みがないかもしれませんが、フランスに真の抽象絵画をもたらした画家は彼をおいてほかにいません。新収蔵作品の《街の窓》(1912)は、窓から見えたエッフェル塔の脚が小さく描かれていますが、その形はほとんど分かりません。1935年に制作された《リズム 旋律》(東京国立近代美術館蔵)になると、画面はカラフルな円環で構成され、具象の面影は完全に消えています。同じくオルフィスムのフランティセック・クプカは、ドローネー同様に抽象絵画を語るうえで欠かせない画家とされながら、いまだ日本では知られていない画家のひとりでしょう。
——クプカの《赤い背景のエチュード》(1919頃、新収蔵)を、本展のメインヴィジュアルに採用しています。どのような画家だったのですか。
本作はまさに抽象絵画の草創期を象徴するような作品といえます。クプカは現在のチェコ出身で、ウィーンで絵画を学んだ後にパリに出てキュビスムの影響を受け、ドローネーに近いところで抽象画を描き始めました。《赤い背景のエチュード》を見ると、彼が具体的な題材から完全に離れ、色彩や構図、線描の美しさに重きを置いたとわかります。
抽象絵画の始まりというと、ドイツで活動したヴァシリー・カンディンスキーやオランダのピート・モンドリアンがすぐ出てきますが、同時期にフランスでも抽象絵画が生まれたことは重要で、それをけん引したのがドローネーとクプカでした。
ダダの画家として知られるフランシス・ピカビアも、一時オルフィスムに関わりました。彼の1914年の《アニメーション》は、断片的な形象と色彩が踊り、何を描いたかは全然わかりません。1910年代に突如、こういう作品が出始めるんですね。具体的な「もの」でない、本当に抽象と言える絵画が。
オルフィスムとは別のキュビスムの発展形として、フェルナン・レジェやマルセル・デュシャンの兄のジャック・ヴィヨン、オーギュスト・エルバンらも抽象画に取り組みました。レジェの《抽象的コンポジション》(1919)は、機械と人間をモチーフに全体を幾何学的な形状にまとめ上げています。彼らが参加し1931年にパリで結成されたのが「アプストラクション=クレアシオン」(抽象=創造)というグループで、展覧会開催や機関誌の発行を行い、抽象芸術が国際的に広がっていく一翼になりました。1930年代には、抽象画家がひとつのまとまりとしてフランス画壇のなかで大きな力を得ていたのですね。
イタリアでは1909年に未来派が始まります。未来派はキュビスムの影響を受けつつ、近代産業のスピードや機械を称賛したグループでした。ジーノ・セヴェリーニの《金管奏者(路上演奏者)》(1916頃)は、キュビスムの幾何学的造形の中に一部点描が使われていて面白い作品です。ウンベルト・ボッチョーニの彫刻《空間における連続性の唯一の形態》(1913)からは、未来派が目指した動態のダイナミズムを感じていただけるでしょう。
——「青騎士」のコーナーでは3点のカンディンスキー作品が目を引きます。
ロシア出身のカンディンスキーは、ドイツのミュンヘンで1911年に表現主義的な「青騎士」を結成しました。彼がいきなり抽象を始めたわけではなく、青騎士の時代から徐々に移行していったことが、制作年が異なる3点から実感していただけるでしょう。《「E.R.キャンベルのための壁画 No.4」の習作(カーニバル・冬)》(1914、宮城県美術館蔵)は、彼が本格的に抽象絵画を始めた時期に制作され、国内のカンディンスキー作品のなかでとりわけ重要な作品だと思われます。
カンディンスキーはその後、ワイマールの美術工芸学校「バウハウス」に招聘されて、抽象絵画の探究を深めながら理論書も執筆します。《自らが輝く》(1924)は、バウハウスに加わって2年後の作品ですが、曲線や様々な図形が巧みに配置され、完全に抽象の意識で描かれています。
同じくバウハウスで教鞭をとったパウル・クレーも重要です。石橋財団は近年、クレーの充実したコレクションを収集しました。《小さな抽象的-建築的油彩(黄色と青色の球形のある)》(1915)は、初期の重要作品です。クレーは、家や動物など具体的な事物と行き来しながら、抽象表現を大きく前へ推し進めました。
バウハウスは1933年、抽象芸術を敵視したナチス政権により解散させられます。バウハウス教育に写真や映像を持ち込んだラースロー・モホリ=ナジは、アメリカに亡命して教育機関「ニューバウハウス」を設立し、理念はアメリカ人画家のネイサン・ラーナーに引き継がれました。戦前に早くもバウハウスがアメリカに渡っていたのは、興味深いですね。
——オランダでは、1917年に雑誌「デ・ステイル」が創刊され、直線や四角、原色を多用して普遍的表現を追求する「新造形主義」を打ち出しました。
デ・ステイルは主導したピート・モンドリアンが最も有名ですが、点描を用いた《砂丘》(1909)が示すように、彼にも抽象への準備段階がありました。会場では、彼の典型的な作品《コンポジション》(1929、京都国立近代美術館蔵)をはじめ、日本ではそれほど知られていないバート・ファン・デル・レックやハンス・リヒターの作品をお借りして展示しています。
——同時代のアメリカはどうだったのでしょうか。
アメリカの美術界に大きな衝撃を与えたのが、1913年に各地を巡回した展覧会「アーモリー・ショー」です。印象派をはじめヨーロッパの近代絵画のほかキュビスムやフォーヴィスムも紹介し、後進的だったアメリカが前衛美術に目覚めるきっかけになりました。続いて大きな役割を担ったのがニューヨーク近代美術館(MoMA)初代館長になったアルフレッド・バーです。彼が1936年にMoMAで開催した「キュビスムと抽象芸術」展は、ヨーロッパの多彩な抽象表現を紹介し、アメリカの若い画家たちに大きな影響を与えました。同展の図録の表紙には、バーが作成した抽象グループの相関図が掲載され、彼が早い時期から系統立てて抽象芸術を評価したことがうかがえます。
作家では、前出のジュージア・オキーフが戦前からアメリカの抽象表現をけん引しました。彼女は、夫の有名な写真家アルフレッド・スティーグリッツを通じてヨーロッパの前衛美術に触れていたそうです。
本展は、抽象芸術が大西洋を越えてアメリカへ渡った「トランス・アトランティック」の動きにも注目しました。第6章では、戦前ニューヨークに渡り、ヨーロッパ美術を扱う画廊を開いたピエール・マティスをその象徴的な人物として紹介します。彼はアンリ・マティスの息子で様々な作家の作品をアメリカにもたらしましたが、特に重要なのはスペイン出身のジョアン・ミロとジャン・デュビュッフェです。今回、デュビュッフェが描いたピエール・マティスの肖像画をポンピドゥー・センターから借用でき、彼が実際にアメリカにもたらしたデュビュッフェやミロの絵画も展示しています。ピエールの存在はアメリカ美術にとって大きく、抽象表現主義の画家たちも若い時に画廊に出入りして、展示された作品に感銘を受けたと言われています。
——第二次世界大戦後に美術状況は大きく変わり、抽象は主流に躍り出ます。
第5章「熱い抽象と抒情的抽象」は、戦後のフランスの抽象芸術に焦点を当てたセクションです。日本では「アンフォルメル」(不定形)と呼ばれる芸術動向ですね。当館では1957年という早い時期に、代表的なデュビュッフェやジャン・フォートリエ、ヴォルスらを紹介する展覧会「世界現代芸術展」を開催し、作品も長年収集してきました。戦後のパリでは堂本尚郎や菅井汲、今井俊満のように現地で活躍する画家が次々と現れてもいました。彼らが日本を出て、世界の抽象運動の潮流に身を投じ、優れた作品を残したことも特筆すべきでしょう。
描く行為を重視した彼らからは、カリグラフィー(書)的な表現や筆触によるマチエールを追求した作家が多く生まれました。たとえばジョルジュ・マチューの《10番街》(1957)は、ダイナミックな手の動きを感じさせます。外国からの作家が活躍したのもその特徴です。中国出身のザオ・ウーキーやポルトガルの女性画家マリア=エレナ・ヴィエラ・ダ・シルバ、ドイツ出身のアンス・アルトゥングといった作家たちです。芸術運動としては60年代以降に下火になりますが、その後も作家たちは独自の表現を深めていきました。本展の後半の特別なセクションでは、アルトゥングやザオ・ウーキー、ピエール・スーラージュが晩年に達した画境を示す素晴らしい作品を展示していますので、ぜひご覧ください。
——第7章はいよいよアメリカの抽象表現主義です。
抽象表現主義の章は多くの素晴らしい作品があつまりました。本展の大きな見どころです。周知のように第二次大戦を境に世界の美術の中心地はパリからニューヨークに移ったと言われます。理由のひとつは、ナチス政権の侵攻や弾圧で多くの作家がアメリカに渡ったことです。ドイツ出身のハンス・ホフマンは、アメリカで美術教育者としても活動し、アルメニア出身のアーシル・ゴーキーはトルコの大虐殺を逃れてきた移住者です。様々な出自や文化的背景を持つ人材が戦後のアメリカ美術を活気づけ、その発展に大きく寄与しました。
今回、ジャクソン・ポロックの5点をはじめ、ウィレム・デ・クーニングやマーク・ロスコ、アド・ラインハートの複数の絵画、国内に作品が少ないクリフォード・スティルやアドルフ・ゴットリーブなど、良い作品をそろえることができました。デ・クーニングの《一月》(1947-48)は、抽象表現主義として比較的初期の作品なのでその後に制作した絵画と比較すると面白いかもしれません。
女性画家が多いのも、このセクションの特徴です。石橋財団所蔵のエレイン・デ・クーニングやヘレン・フランケンサーラー、リー・クラズナーらの作品があり、日本で知られていませんがメルセデス・マターやオードリー・フラックも素晴らしい作家です。マターやフラック作品は、イタリアのレヴェット・コレクションからお借りしました。改めて抽象表現主義における女性作家の重要さを感じています。
——なぜ女性が活躍したのでしょうか?
「自由の国」アメリカにおいて、美術の担い手も多様化したのだと思います。とはいえ女性作家には様々な葛藤があったと想像します。リー・クラズナーはポロックの妻、エレイン・デ・クーニングはウィレム・デ・クーニングの妻でしたが、近年見直しが進んでいます。抽象表現主義の女性画家は今後さらに広く紹介されていくと思います。
——全12章のうち4つの章を日本での展開に当てています。
抽象絵画展は国や地域別が定石ですが、欧米と日本を一緒に紹介しているのも本展の特徴です。分けて考えがちな西洋と日本の美術を、併せて等価に見ることは俯瞰する視点を養えると思いますし、作品の見え方や受けとめ方も変わってくるかもしれません。
第4章冒頭に展示した恩地孝四郎の《抒情『明るい時』》(1915、東京国立近代美術館蔵)は日本における最初の抽象絵画とされます。すごいと思いませんか? ヨーロッパと時期がほとんど同じなんですよ。萬鉄五郎《もたれて立つ人》(1917、東京国立近代美術館蔵)は、画家がフォーヴィスムとキュビスムを融合して抽象へ向かうステップが見て取れます。石橋財団コレクションの重要画家の古賀春江は、シュルレアリスムをはじめ様々な潮流を受け入れて多彩なスタイルに挑戦しました。《円筒形の画像》(1926頃)は、タイトル通り円筒形が立ち並ぶ幻想的な雰囲気の水彩画です。
1920年代初頭にドイツに留学した村山知義や戦前の10年間をフランスで過ごした岡本太郎も、日本の抽象絵画の創成に大きな役割を果たしました。村山の《サディスティッシュな空間》(1922-23、京都国立近代美術館蔵)は、台形の変形キャンバスが使われています。日本の抽象画家の先駆けとされる長谷川三郎は、欧米の最新動向を紹介する書籍を1937年に出版しており、これは前年のMoMAの「キュビスムと抽象芸術」展に刺激されたようです。
大正時代に芽生え、徐々に広がった日本の抽象表現は戦時体制の強化とともに停滞を余儀なくされ、戦後の早い時期に息を吹き返します。東京国立近代美術館が開館翌年の1953年に開催した「抽象と芸術」は、同時代の非具象表現に注目した展覧会で、長谷川三郎が図録の年表を作成しました。本展の第8章では、戦後から1960年代までの多様な展開を、山口長男やオノサト・トシノブ、斎藤義重、草間彌生らの作品で見せています。
——第9章は具体美術協会(具体)、第10章は実験工房を取り上げました。
日本の抽象芸術を紹介する時、やはり関西の具体と関東の実験工房は欠かせません。具体はすでに世界的に知られ、昨年は大規模展が大阪で行われました。白髪一雄夫人の白髪冨士子は、夫を支えるため活動を制限しますが、初期作品は本当に繊細で素晴らしい作品です。今後再評価が進む画家だと思います。田中敦子の才能を非常に大事にして活動を支えた金山明もまた前衛的な素晴らしい作品を残しています。正延正俊は、制作しながら学校教員を長年務めました。彼が日課のように描いた絵画は、サイズはごく小さいけれど、どれも実験的でクオリティーが高い。21点の作品を展示しています。白髪一雄のようなアクション性を伴うスターがいるいっぽう、リーダーの吉原治良が唱えた「だれもやらないことをやる」を日々実践した作家がいるのも具体の厚みでしょう。
具体に比べ、美術評論家の瀧口修造が率いた実験工房はあまり作品が残っていません。なんとか集めたいと努めてきて、近年ようやく瀧口やメンバーの山口勝弘、福島秀子らの作品を収集、あるいは寄託していただくことができました。戦後の進駐軍の憲兵がモチーフとも言われる福島の《MP》(1950)は、代表作のひとつだと思います。戦前から活動した瀧口は、自分でも優れた抽象作品をつくりつつ、評論活動に筆を振るい、タケミヤ画廊(1951~57)を舞台に多くの作家を育てました。日本の前衛芸術の展開を語るうえで、シュルレアリスムと抽象の中心にいた瀧口の存在はきわめて重要です。
——ラストは現代作家の抽象作品で締めくくります。アメリカのリタ・アッカーマン、中国出身の婁正綱(ろうせいこう)、鍵岡リグレ アンヌ、津上みゆき、柴田敏雄、高畠依子、横溝美由紀の7人で、世代も手法も様々です。
展覧会を1960年代までで終わらせる選択肢もありましたけれど、アーティゾン美術館は「現在と未来」を重視しているので、やはり現代作品もご覧いただきたいなと。美術館のコレクションとの繋がりを感じさせる、革新的な表現を追求している作家を選びました。具象と抽象を行き来するアッカーマン、書画の世界に根差す婁、フレスコ・モザイクを学んだ鍵岡、平面制作の素材と技法の研究を重ねる高畠、写真技法における抽象的イメージを創造する柴田と、作風はじつに多彩です。制作姿勢も色々で、津上の作品は抽象的なイメージですが、本人はからなずしもそれを抽象と考えていません。横溝は彫刻、インスタレーションを平面に置き換えて絵画を制作します。いずれも抽象絵画の新しい時代を予感させる作家たちです。展示は、新作や大作、未発表作品が含まれ、変化にとんだ構成になっているので楽しんでいただけるのではないでしょうか。
——抽象絵画は熱烈なファンがいるいっぽう、食わず嫌いも多い気がします。馴染みが薄い鑑賞者にアドバイスはありますか。
抽象絵画の大きな魅力は、画面の色や形、線がストレートに私たちの感情に訴えてくるところです。画家や作品の背景、制作された時代状況を知らなくても、だれでも純粋に美術表現を楽しめるんですね。僕も経験がありますが、一度堪能するとやみつきになります(笑)。本展は、本当に良い作品が多いので、空間に身を置いて、自由な気持ちで目の喜びに浸っていただけたらと思います。