国立映画アーカイブ(旧東京国立近代美術館フィルムセンター)にて2018年9月8日(土)から22日(土)まで『第40回ぴあフィルムフェスティバル(以下PFF)』が開催される。PFFとは若手映画監督の登竜門として1977年より始まった映画祭。「PFFアワード」とよばれるコンペティション部門が中心となっている。今回は92年から20年以上ディレクターとして映画祭に携わってきた荒木啓子氏にインタビューを試みた。
荒木さんの考える映画祭の素晴らしさというのはどういったものでしょうか。
「刺激的な場所」であることでしょうか。私は非効率的なこと、無駄なことが人間にはとても必要だと思っています。準備に膨大な時間をかけて毎日毎時間違う映画を上映し、大人数のゲストを迎え、大人数のスタッフがいて、効率や興行という視点から観ると愚かな場所であるからこそ、思わぬ発見や喜びが生じる。刺激がある。「映画祭」という手間暇かけた手作りの場所だからこそ生まれるものがある。でもそれが<全ての映画祭>の魅力かどうかはわからない。それぞれの映画祭がそれぞれ違うことを掲げているでしょう。劇場公開する映画をいち早く見られる、ということを魅力にあげている映画祭は割と多いかもしれないですね。
PFFは「監督の存在を中心」に置いていますが、荒木さんの監督との個人的な出会いについて教えてください。
映画監督が映画というものを作っているらしいと意識したのは、いつか正確には覚えてないけれど、高校生ぐらいじゃないかと思うんですね。更に遡れば、黒澤明とか小津安二郎などのビックネームもきっかけになったと思う。今ぱっと思い出す名前は、ジム・ジャームッシュ。あの頃から監督で観るようになったのかもしれません。好きな俳優がいて追っかけてる、撮影カメラマンが気に入ってる、音楽家で選んでいる、いろいろな人がいると思うんですが、私の場合は映画監督。それがずっと続いているということかもしれないけれども、映画との出会いは何がきっかけでもいいとおもいます。
日本の映画監督でもっとも強烈に意識したのは、やっぱり石井聰亙(いしいそうご)さん。現在の名前は石井岳龍さんですね。
ところで、昔は映画監督というのは「職業」でした。映画会社が映画監督というポジションに人を雇い、助監督から映画監督に昇進するという「就職先」。高給取りだった。20世紀中盤に映画産業が崩壊して、今や全員がフリーランス。そういう黄金期の1950年代の映画監督と今の映画監督は全くの別のものだと思うんですね。その辺がまだ混迷しているから、ある時代の人にとっては映画監督はちゃんとした職業だし、今の人にとっては映画監督は最も不安定な職業の1つ。だから「映画監督」と言う時に、何を思って話しているのか、その前提を確認する必要のある時代になったと思います。
私は実は映画より音楽の人だったのですが、石井聰亙が強烈だったのはロックだったから。世界中に数少ない才能です。石井さんを通して、PFFの存在も知りました。
「とにかく映画を観てほしい」とおっしゃいましたが、動画配信サイトなど観る環境自体も様々な選択肢があります。今年は映画祭の初日から、動画配信サイト「青山シアター」にて、「PFFアワード2018」入選作品を同時配信予定とのこと。さまざまな場所での閲覧が予想されます。映画を観る環境についてはいかがお考えですか。
現在最も手軽に観る環境は、テレビ、パソコン、スマホといったパーソナルな体験であり、一方で映画館や映画祭でのパブリックな体験である。この映画鑑賞の二面とも並列に推進したいですね。
映画が好きな人って一人で映画を観に行く。しかし誰かを連れて行かないことには映画館人口は減っていくばかりなので、「一人で来たい気持ちは分かるけれど、誰かと一緒に来てくれないか」と、最近会場でトークのときなどに呼び掛けたりしてます。「席を離れて座るとか、映画の前後にお食事したりお話したりしなくてもいいので、映画館未体験者を連れて来てくれないか」と(笑)。そして、今後映画館は、特に地方都市から減少してきますから、大きなスクリーンに映る映画を、見知らぬ人と共有したか、共有したことがないかという体験も、更にものすごく分かれる。
私はスクリーン体験をする人が増えて欲しいとおもう。なぜなら映画館で同じものを観るということは、その映画への反応の差を知り、自分を知る場所でもあるから。人と自分が「違う」のを知る、「同じ」部分があることも知る、そういう体験をして欲しくて。子供の頃から映画を観る習慣をつけるのが、現在世界中の映画祭の課題にもなっています。「子供映画祭」、「子供だけが審査員のコンペ」、「映画祭への学校動員」、を推進する映画祭は、これから益々増えるとおもいます。それに、映画は、世界を知る最も素敵な道具でもありますから、心がひらかれて視野も拡がる効果があります。官僚や政治家の予備軍には年間100本以上の映画を観ることを20代のノルマにする運動もしたいですね(笑)
今年特に多かったテーマやモチーフはありますか。それによって今年の特色が出ると思うので。
応募作品全体で言えばありますけど、その人しか出来ないという作品しか残っていかないので、あまりそういう印象はないですね。テーマというのを考えて作ってないですよ。アートの世界もテーマ至上主義じゃないですよね?映画と美術は、何かの驚きを以って、何かを発見しろという装置だというところがすごく似ていると思うんです。だから映画は娯楽なのか芸術なのかという議論はもういいかなと。どっちも無いと力を持てない。アートも同様に、驚きと喜びをもたらす力じゃないかと。
撮影機材の入手のしやすさ、ネットなどで簡単に公開できるなどの制作環境。閲覧自体も世界中の自主制作の映像がインターネットで簡単に見られる現在、PFFの役割や応募作品の表現方法の変化などはありますか?
YouTubeなどのインターネットサービスが出てきたことによって、映画の作り方と言うかスタイルなどに影響与えるかどうかに関しては、私としてはなんとも言えないですね。短編がメインの世界であることは感じていますが、応募作品にその影響があるかと言われれば、わからない。ただ、スマートフォンで撮ることに関しては、全然抵抗がなくなってはいる。変化って、10年なり20年なりのあとで検証できる気がします。たとえば、20世紀に比べたら、撮影の技術は上がっている、音も良くなっている。俳優を使うようになり、友人がキャストではなくなっている、映画映像の学校に所属する人がメインになっている、などの変化はあります。かつて自主映画は大学映研での8ミリ映画制作がメインでしたから。
あと、やはり、映画っていうのは物語だと思っている人が多い。俳優がいて、それを撮るという王道を守っている人が多いですよね。そうではないんだ、映画ってそれだけではないんだという動きをしている人は、多数にはなってないですね。それは映画の歴史、産業としての黄金期がまだまだ影響力があるということかもしれません。いわゆる「スタジオシステム」ですね。
PFFは、「スタジオシステムはもう崩壊したので、新たな道を模索する」というスタンスで始まっています。それで、1977年の映画祭スタートのあと、1984年に映画制作プロジェクト「PFFスカラシップ」をスタートしましたが、当時は得難いチャンスであったプロのスタッフも交えての16mmフィルムによる長編映画でデビューという制作体制は、時代と共に社会的ポジションが変化し続けています。
10年代の変化で言えば、応募作品でもスタッフにプロを使うようになったのですか?
プロというよりは、学校を経てきた人たちが王道になった。それはPFFが始まった1970年代とは天と地ほども違うんです。1970年代っていうのは中学、高校、大学にあった映画研究会で、先輩たちと一緒にそこにある8ミリカメラを使って手探りで映画を作っていた。そこにはプロの現場を知っているような人は一人も居なくて、自分たちでいろんな映画を見ながら、見よう見まねで、映画を作っていた。8ミリカメラという子どものおもちゃのような機材で、劇場に通用するような映画を作ろうという時代ですよ。その時代の人が前述した石井聰亙さんたちですけれども。
70年代の映画界は、完全に斜陽で途方に暮れる混乱期ですから、自主映画の人たちがチャンスをつかもうと映画の仕事をするようになりました。そして二十世紀の後半から、映画学校がどんどん出来てきた。なぜなら映像無くして私たちの今の生活は無いから。映像の仕事は常にある。そういった学校ができて、機材があって人がいて、スタジオで映画を創ってきた人も先生として来た。学校での映画監督の概念は、スタジオ時代の映画監督という職能を高めて行くという前提である場合が多いと聞きます。でも現在は、それだけでは足りない。
ともあれ、映画というのはずっと手探りです。手探りでやっている人たちが、絶え間なく出てくる歴史。今年のカンヌに日本からコンペティションに2作品が行きましたね、是枝裕和さんと濱口竜介さん。是枝さんはテレビから来ているし、濱口さんは映画学校から来ている。自分独自の映画を掴もうとして絶えず格闘しているおふたりでしたね。
変化とか、媒体の違いとか話していると、いっぱいターニングポイントがあるんですよ。90年代の大きかったことは、ビデオやDVDが出てきたことですよね。海賊版がめちゃくちゃ出て、日本映画が殆ど公開されない中国なのに、すごい人気監督が生まれたり、面食らうことがたくさんあった。韓国では釜山映画祭で初めて日本映画が解禁されて、日本映画ブームが巻き起こった。
映画祭やVHS、DVDで二十世紀の後半に映画の流通が爆発的に変化し、その後、インターネットでいつの時代の映画もどこでも気楽に観られるようになった。例えば、端的な例では、昔の飛行機は、スクリーンで全搭乗者が同じ映画を観ていたけれども、それがパーソナルビデオ画面に変わり、いまではそれも撤去して、各人が自分で自分の機材で映画を観る時代が目の前に来ている。映画館や映画祭では権利の問題や上映素材がない問題で上映できないような映画も、パーソナルな媒体では簡単に観られるようになって、変化のスピードは更に加速してますね。
インターネットなどにより、アワードがなくても世界中に発信できることに絡め、アワードのもつ権威のあり方の変遷についてのお考えをお聞かせください。特にPFFは、監督を紹介することや教育的側面が強いようにみえます。
「権威」ということを考えてみたことがないので、どう答えればいいのかよくわならないのですが、PFFはもともとコンペティションではなく、審査員が自分のベスト作品を発表し、上映する、といった形式でした。コンペティションに変わったのが1988年です。その時私はいなかったけれど、コンペティションに変わったのは応募者からの声からという話を聞いています。つまり人は自分がどのぐらいの力があるのかを測って貰いたいと。しかし現在も、私たちのセレクションは、セレクションに関わった人たちのベスト作品が賞に繋がる、というやり方を変えていません。それ故に、5名の最終審査員が、5つの賞を選ぶ=ひとりひとつのベスト作品を発表するという基本姿勢です。
私がディレクターになってから常に心がけているのは、PFFのコンペティションというのは「落とすためのもの」ではなく、「発見するためのもの」だということです。落とすという視点、選り分けるという視点はないということでやっていきましょうと。とにかく応募された作品で見逃すものがないということが最大の使命なので、「見逃さない」ためにはどういったことが必要なのかということを考えています。
その結果たどり着いたのが、最初のステップでは、まず応募された作品の1本を3人で、それも最後まで完全に観ましょう。なぜなら3人は客観的な意見を交わせる最低単位だから。そして、自主映画は、最後の最後にすごいことが起きる可能性があるから。そんなことをやっている映画祭はないとおもいます。この過程で2ヶ月かかる。入選作品を選ぶセレクションメンバーは今年は私も含め16人ですが、1作品を観た3名が、その作品について「16名全員で観よう」と語り、他が説得されえると、その作品は全員で観る1本となる。この会議に1日かけます。残らなかった作品にも、できるだけ観た人からのコメントを送るよう努めています。
「全員で観ましょう」となった作品を見終わるのにまた2ヶ月ぐらいかかる。次に会議です。1日だと頭がヒートして判断力がおかしくなってくるので、2日かけてゆっくり、みんなで作品一つ一つ丁寧に話をして行く。その段階で、大体この作品が入選するといいなと言う雰囲気は出来てきます。そして私が最後にラインナップを決めます。誰かが決めないと決まらないので。ラインナップは多数決で決めないというのがPFFの基本方針ですね。応募してくれているクリエイターたちへの敬意をキープする仕組みをつくるのが、基本。それが他の映画祭とちょっと違うところかもしれません。
監督に焦点を当てる。その人を、映画監督として徹底的に扱いましょうというのが私たちの映画祭です。だからセレクションするメンバーたちには、あなたが世界で最初の観客になるかもしれないので、世界で最初の観客の声を届けましょう、コメントを書きましょうというのもずっとやっています。これをやっている映画祭も世界中どこにもありません。
また、映画祭での上映後には、俳優さんやスタッフを壇上で紹介したいのは分かるけど、あくまでも監督に「人に映画を見せて、その後で話す」という苦行を始めてもらうんです。自分の作品をきちんと話してみましょうということをやる。その訓練の場所が映画祭です。何故なら、世界は映画監督の話を聞きたいから。映画に描かれたこと以上に、そのクリエイターとしての個性に興味があるから。人に見せるために応募することが前提のはずでしょう?と映画監督としての意識と経験を積んでもらう。
さらに、海外に行かないと映画を作れない状況はあっという間にやってくるので、海外というチャンスを逃さないようにしましょうということで、海外映画祭に作品を紹介して、交渉の窓口にもなる。こういうことを無料でやる所はどこにも無いけれどもやっている。そういったところが他の映画祭とは全く違うかもしれません。
すばらしいですね。
今年は女性作家の入選が多く、18名中8名。男女比で言うと半分ですが、女性の応募数が21.7パーセントと言う数字から考えると、高い比率ですね。
すごく多いですね。たぶん、女性のほうがのびのびと表現しているかもしれない。自分の描きたいことをわりとストレートに表現している映画、風通しの良い映画が多いかもしれないですね。男性はちょっと頭でっかちかな(笑)。あらゆる世界がそうじゃないですか、からだとこころと頭とが三位一体になっていないという状況で苦しんでいる人、男性に多いらしいですね。
なぜでしょうね。理論が先行したり、有名な映画監督から話を聞くとそれを踏襲しなければと頭でっかちになりやすいですが、それは女性も同じ状況ですよね。
有名な映画監督から現場のノウハウを聞いても無駄ですよ。それはその監督しか使えないメソッドだから。自分のメソッドを見つけるしかないですよ。どんな世界も。それに早く気づいたもの勝ちですよ。
では、今回は女性のほうが自分のメソッドを見つけた人が多かったということですか。
そこまで無いにしても、トライするということには女性のほうが向いていることが表面化したのかも?
社会学者の宮台真司さんが、1960年代までは人は一人で映画館に「引きこもり」に行ったと、あるトークで話していました。しかし、引きこもりに行く先の映画館には、大勢の「孤独なひとり」がいる。それは裏を返せば、「人と一緒に観る」ということだと思います。今は安上がりのデートの一つとしてカップルで行く。そこに他者は存在しない。大勢の中で、一人で観ることの必要性を教えていただければ。
映画は孤独に効く。全ての創作物は孤独な人に向けて作られている。「孤独な人に向けて」ということを意識するにしろ、しないにしろ、人は孤独だという前提でクリエーションは生まれている。映画を観に行く時に、例えば失恋や、何か傷ついたことがあった時に、逃げ込む場所としてのクリエーションとして、映画は非常にうまく出来ている。だけどその前に人生はそんなに真剣に考えなくていいっていうか、そんなことを今思った(笑)。そうですね、結構適当な人たちで世の中は成り立っているのだ、ということを体感させる機能があると思うんですよね、映画っていうのは。と同時に、世界各国の情報も運んでくれる。
劇場のスクリーンで観る映画は、もともと何百人という人の力が結集されて生まれた世界。その世界を何百人の人が一緒に見て、それぞれが自分の物語を頭の中で再構築している訳です。拡がりは大きい。そういう作業を一人で、家でやっていても出口がない、出口というか空間がない。余白がない。
私が映画を大スクリーンで観て欲しいって言い続けているのは、とにかく人はみんな違う、だけどどこか同じだなということを、同じものを観てそのリアクションによって知ることを一度は体験して欲しいからかな。もう一つは、映画というのはもともと大人数を驚かせようとして発達した媒体であること。最初はガラケーで観るような小さな写真を覗く、のぞき穴だった。でもそれではスペクタクルも面白味も無いから、日に日に見世物要素が高くなって、大きなスクリーンであの手この手と見せるようになってきた。手の込んだ作品には何が必要かって言ったら、作家性が必要だということになり、映画監督はそうやってだんだん職業にというか、監督というものの役割が明確になっていった訳です。
大人数で観ることによる、人間のある種の心理的な働きかけ、肉体的な働きかけという力は絶対にある。自分の世界で、自己完結で、物語も自分の解釈だけで進んでいくと、世の中が自分の解釈だけの都合の良いとこだけしか見えない人になっていく。まあ極端なこといっちゃうと、世の中自分の都合よくいくって思っているのは、同時に自分はこうでなくちゃ嫌だというのが肥大していることでもあるので、幸福感から遠ざかるばかりになる。欲望はない方が幸せに近づくのは、現代ではとっくにシェアできてる概念。映画を大勢で観ることは個人の欲望を割とリラックスさせる機能がある。
最後にTABの読者に向けてのメッセージをお願いします。
観る映画を選んだり、リサーチして決めるより、「今日は1日中映画を観る」とか、「1週間は絶え間なく映画を観る」とか決めて、思い切ってずっと映画館に居るという体験はいいですよ~。それができる時にはやったほうがいい。例えばもし、ぽこっと1日空きました、3日間空きました、まだちゃんと予定を立てていませんという時は映画館のはしごとか、旅に行っても映画館のはしごとか、私は割とよくやります。でもやはりPFFに毎日来て欲しいかな。映画祭は値段が映画館より安いし映画100年の歴史を掴めるようなプログラムも多く、他にはない体験ができますよ。あと、映画に「正解」はないので、何を観ても、好きに解釈して好きに自分の中に残してください。映画をとことん楽しんでね!
ありがとうございました!
今年で40回を迎える『第40回ぴあフィルムフェスティバル(以下PFF)』は、国立映画アーカイブ(旧東京国立近代美術館フィルムセンター)にて2018年9月8日(土)から22日(土)まで。
yumisong
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