私たちの日常を取り囲むさまざまなルールの見方、つくり方、使い方を考えることをテーマに、法律家の水野祐、コグニティブデザイナーの菅俊一、キュレーターの田中みゆきという分野を超えた3名がチームでディレクターを務める「ルール?展」が21_21 DESIGN SIGHTにて開催中だ。会期は11月28日まで。
本展では石川将也+nomena+中路景暁、遠藤麻衣、葛宇路(グゥ・ユルー)、高野ユリカ+山川陸、コンタクト・ゴンゾ、田中功起、野村律子など14組が参加。以下ではいくつかの出品作品を通して、私たちがどのように「ルール」と向き合えるのかを考えていく。
佐々木隼(オインクゲームズ)「鑑賞のルール」(2021)
展示にさしあたり、私たちは「鑑賞のルール」を定めることを求められる。具体的には、机上に置かれた10個ほどのスタンプのうち2つを選んでガイドブックに押すように指示される。筆者が実際に押したのは「普段より大きな歩幅であるかなければならない」「なにかを禁止するサインがあったらゆびささなければならない」の2つ。(このようなルールを与えられていても、展示を巡るうちに忘れてしまうこともあったのだが、禁止マークを確認するたびにハッとして思い出したり、大股で歩き始めたりした。他の来場者がどんなルールに従っているのか、その様子を眺めてみることも面白いかもしれない。)
ルールについてより深く考えてみたければ「鑑賞のルール」を押したガイドブックを見るとよいだろう。このガイドブックは展示の情報や見どころを紹介するのではなく、関係する法的な視点や可視化されたデータを示してくれる。
石川将也 + nomena + 中路景暁「四角が行く」(2021)
2002年にはすでにアニメーションとして習作が制作されていた本作が、本展では3次元の新作として生まれ変わっている。土台に置かれた2つの白い立方体に対して、穴の空いた3枚の青いパネルがベルトコンベアによって順々に流れてくる。静止している白い立方体たちは一見、青いパネルに押し流されてしまいそうだが、パネルに空いた穴に対応して転倒することで見事に青いパネルをかわしてゆく。その動きは、コンピューターによって指示されたものでありながら、流麗な踊りを想起させる美しさがある。青いパネルが示す穴という「ルール」に対して、楽しむようにいなしていく姿は不思議な心地よさを与えてくれる。
ダニエル・ヴェッツェル(リミニ・プロトコル)田中みゆき 小林恵吾(NoRA) × 植村 遥 萩原俊矢 × N sketch Inc.「あなたでなければ、誰が?」(2021)
カーテンをくぐり抜けると、木の棒によって囲まれた円形のマットが敷かれている。私たち参加者がその上に立つと、正面のスクリーンに質問が映し出される。その質問は、毎日の過ごし方のような軽いトピックから、日本の政治についての考え方のような重いトピックへと徐々に移行していく。私たちは円内を移動することによって自身が回答し、同時に他の参加者の回答を確認することができる。最後には、匿名性を担保された状態で答える質問もある。
ただそこに居合わせただけの他人とともに、自身が社会の「ルール」に対して抱いている考え方や意見を非言語かつフィジカルで示すことは、お互いの思考の過程が表現されないまま回答結果だけが浮き彫りになるという緊張感をもたらすだろう。
葛宇路(グゥ・ユルー)「葛宇路」(2017)
中国で活動する葛宇路(グゥ・ユルー)は、自身の名前の末尾が道路を意味する「路」であることを利用して、北京市内の無名の道路に自身の名前を示す道路標識を設置する。もちろん、それは公式な道路名ではない。しかし活動の結果、ついには中国国内のオンライン地図サービス上に正式な道路名称として表示されるという出来事まで起こった。道路という公共物が本来抱えているややこしいほど多くの「ルール」をすり抜け、対象を認識する上で最も重要である名前をジャックし、作り替えてしまう。ルールを文字通り書き換え、社会に対して公共性とは何かを問いかけている活動だ。本展では、その一部始終が映像として展示されている。
コンタクト・ゴンゾ「訓練されていない素人のための振付コンセプト 003.1 (コロナ改変 ver.)」(2021)
2014年から行われている「訓練されていない素人のための振付コンセプト」シリーズの一つが、コロナ禍を経てアップデートされた。横笛担当のメンバーを中心に観客同士が角材を持つことで参加し、その連結が枝状に広がっていく作品「003/角度と動きについての習作」に対して、1人あるいは2人でできるパフォーマンスとして、また2人の場合適切な距離がとれるように再構成されている。身体に踊り方の「ルール」を持っていない私たち素人が、その場で「ルール」を学び実践すること、そしてパフォーマンスをする人の姿を見ることは、新たな「ルール」を自分の身体がどう受け入れるのかを示してくれるだろう。
本展は、作品を感じて楽しむことはもちろん、「ルール」という概念を念頭におきつつ会場を回ることで、私たちはルールのイメージを「理解」し、さらに「再構築」することができるかもしれない。ディレクターズ・メッセージにて菅俊一や水野祐が語るように、ルールに対して「誰かが作ったものであり、最初からあるものでもあり、存在に疑問を持たずに守るべきもの」として考える間もなく受け入れてしまうこと、あるいは「自分を縛る」ものや「不自由さを感じる」ものとしてネガティブな印象を抱くことは、老若男女問わず誰しもが心当たりがあるはずだ。しかしルールが背後にあるからこそ、私たちは自由を感じ、楽しむことができるのではないだろうか。