公開日:2024年7月15日

木村絵理子さんが選ぶ極私的「20年間のベスト展覧会」。2004〜24年のなかで記憶に残る展覧会は?【Tokyo Art Beat 20周年特集】

Tokyo Art Beat設立20周年を記念する特集シリーズ。木村絵理子さん(弘前れんが倉庫美術館館長)が選ぶ3展は?

木村絵理子

2024年、Tokyo Art Beatは設立20周年を迎えます。この記念すべき年と、これまで/これからのアートシーンを祝福すべく、ユーザーの皆さんから「ベスト展覧会」を募るアワード企画とオンラインイベント、そして特集記事が進行中。

シリーズ「20年間のベスト展覧会」では、アートやカルチャーシーンで活躍する方々にTABがスタートした2004年から24年6月までに開幕した展覧会のなかで、記憶に残るものを1〜3点教えてもらいます。極私的な思い出から、現在の仕事につながる経験まで……展覧会にまつわるエピソードとともにお届けします。【Tokyo Art Beat】

*特集「TABの20年、アートシーンの20年」ほかの記事はこちらから

「横浜トリエンナーレ2005」(山下ふ頭3号4号上屋、山下公園、横浜中華街ほか、横浜、2005)

2001年から横浜で始まったトリエンナーレの2回目で、その後2024年開催の8回展の途中まで、筆者が横浜美術館に勤めていた頃、継続して関わることになった国際展。現在では世界の多くで美術館を会場にしたビエンナーレやトリエンナーレが開催されているが、2000年代のこの頃までは、ミュージアムに対するオルタナティブとしての意義が語られることが多く、会期を通じて多数のアーティストが滞在制作を続けて、連日パフォーマンスも行われていたこの回は、そうした時代を象徴する展覧会として強く記憶に残っている。

ダニエル・ビュランによる紅白のフラッグ《海辺の16,150の光彩》に導かれて会場となる上屋で至るエントランス。開幕時にはビュラン・サーカス・エトカンによるサーカスも開催された 撮影:筆者
登山用ロープを用いて、クライマーたちが会場の天井トラスに図柄を描くアン・ハミルトンによるパフォーマンス《ライン》 撮影:筆者
横浜トリエンナーレ2005最終日(2005年12月18日)にて、海上で汽笛を使ったリュレンツ・バルベーのパフォーマンス 撮影:筆者
横浜トリエンナーレ2005最終日(2005年12月18日)にて、来場者とともにパフォーマンスを行う故・堀尾貞治 撮影:筆者

「Yoshitomo Nara + graf “A to Z”」(吉野酒造煉瓦倉庫、弘前、2006)

当時はまだ美術館がなかった青森県の弘前市で、大正時代に日本酒の醸造所として建てられた煉瓦作りの倉庫を会場に、市民ボランティアの手で作られた展覧会。2020年に開館した弘前れんが倉庫美術館(筆者現職)が成立するうえで、市民のなかでの美術館に対するイメージを醸成するきっかけにもなったという意味で、影響力の大きな展覧会だったと思う。

「Yoshitomo Nara + graf “A to Z”」(吉野酒造煉瓦倉庫、弘前、2006)外観 撮影:筆者
Yoshitomo Nara + graf “A to Z” 会場風景 撮影:筆者

「大友良英/ENSEMBLES」(山口情報芸術センター[YCAM]、2008)

音楽家・大友良英の個展という形式をとりながら、プロフェッショナルなアーティストやミュージシャンだけでなく、一般の参加者もコラボレーターとして集合体/アンサンブルとして作り出されるインスタレーションによって成り立つ展覧会。後に美術館や芸術祭などでも展示された《quartets》(大友良英+木村友紀+ベネディクト・ドリュー+平川紀道+石川高+一楽儀光+ジム・オルーク+カヒミ・カリィ+Sachiko M+アクセル・ドゥナー+マーティン・ブランドルマイヤーが参加)や《without records》(大友良英+青山泰知)、舞台上の空間と奈落の二重構造を使って市内各所から集めた廃品やオブジェ500点以上に加えて、バトンから吊るした70台のスピーカーから発せられる様々なサウンドによるインスタレーション《orchestras》(大友良英+高嶺格)など、大友の代表作ともいうべき作品群が発表され、この20年の国内で開催された個展の中でも最大規模のスケール感を持った内容であった。また、後に、東日本大震災後の福島で展開したプロジェクトFUKUSHIMA!による「福島大風呂敷 FUKUSHIMA O-FUROSHIKI」(2011)や、2017年の札幌国際芸術祭のディレクションへとつながる礎になった展覧会でもあったと思う。

2000年代は、2001年開館のせんだいメディアテークと国際芸術センター青森、2003年開館のYCAMのように、20世紀的な美術館とは異なるタイプのアートセンターが日本各地、特に地方都市で相次いで設置された時期である。同時に、2000年から始まった越後妻有アートトリエンナーレ、2001年に始まる横浜トリエンナーレなど、現在も続く21世紀の国際展や芸術祭がスタートした時期でもある。こうした新しい時代の幕開けを感じさせる時代の気運のなかで、2000年代中盤以降、公的なアート施設の社会的役割が問い直され、展覧会の主催者がアーティストのクリエイションに伴走するような展覧会作りが盛んになり、またアーティスト自身がより公的性格の強いイニシアチブを執るようになるなど、オルタナティブという言葉が徐々に意味を失い、システム上も観客とアーティストの関係性においても、多様な展覧会が生まれ、日本に根付いていった時期であったのではないか。

<Tokyo Art Beatへのメッセージ>

インターネットの草創期からオンライン・メディアに特化して情報発信を続けてこられて早20年、仕事上もプライベートでもいつも活用しています。当初はその名の通りに東京中心でしたが、近年はアートの世界における社会的な課題や世界的な動向に深く切り込んでいく内容の濃い記事が多く、毎回楽しみに読んでいます。


*「Tokyo Art Beat」20周年を記念するアワード企画と特集を実施! ユーザーみんなで20年間の「ベスト展覧会」を選ぼう。

詳細は以下をご覧ください。読者の皆さんの推薦(終了)・投票(7月半ば開始)をお待ちしています!

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木村絵理子

木村絵理子

きむら・えりこ 弘前れんが倉庫美術館館長。横浜美術館主任学芸員、弘前れんが倉庫美術館副館長を経て2024年から現職。近年の主な展覧会企画に、「HANRAN: 20th-Century Japanese Photography」(National Gallery of Canada、オタワ、2019)「昭和の肖像:写真でたどる『昭和』の人と歴史」(アーツ前橋、2018)、「BODY/PLAY/POLITICS」(横浜美術館、2016)、「奈良美智:君や 僕に ちょっと似ている」展(横浜美術館、青森県立美術館、熊本市現代美術、2012)、「Welcome to the Jungle 熱々!東南アジアの現代美術」展(横浜美術館、2013)、「高嶺格:とおくてよくみえない」展(横浜美術館、広島市現代美術館、IKON Gallery・バーミンガム、鹿児島県霧島アートの森、2011)ほか。「横浜トリエンナーレ」に2005年展から携わり、2020年展では企画統括を務める。 Portrait Photo: KATO Hajime