ギャラリーの無機質な空間に整然と並べられた大小4つのガラスケース。その中に静かに佇む無色透明なガラスの作品たち。余計な物が足されていない、シンプルなインスタレーション。下から白い蛍光灯の光に照らされ、美しく、そして艶かしく浮かび上がる。冷たい光とケースに包まれ、守られている作品に、最初は何か近寄り難い雰囲気を感じた。それは、勝手に触れることを許されない高級ジュエリーを、ショーケース越しに見るときの感覚や微妙な距離感に似ていたかもしれない。しかし、思い切って一歩踏み出し作品に近づいてみると、まるで磁石に引き寄せられるように、否応無しにそれらと向き合うことになる。
暗い深海に潜む生物、また、地底から掘り起こされた鉱物や、宇宙を横切る隕石をも彷彿とさせる、様々な形状をしたガラス作品。約30〜70cmと、サイズはそこまで大きくないのだが、それよりずっと大きく感じるのは、そのずっしりとした存在感と光の効果ゆえであろうか。ひとつひとつの作品をじっくりと見据えていくうちに、それまで自分と作品との間にあったひんやりとした空気が、一変して何ともいえない暖かさ、そして力強い、母性のようなエネルギーへと変化していく。
本展のタイトル『百年後 – 未完の考古学』にも示されているように、三嶋は古代の作品が展示されている博物館をイメージしたのだという。博物館のショーケースに陳列されている作品群。見る者は、それらと真正面から対峙する機会を与えられると同時に、それらが制作された遠い時代、そこから自分の生きている現代までの長い歴史に思いを馳せることになる。そんな、博物館において見る者と作品との間に生まれる関係性が、ギャラリー内に見事に再現されている。では、今回三嶋はなぜこのような効果を狙ったのだろうか。そして、博物館では普通感じることのない、あの暖かい空気感はどこから来たのだろう。
三嶋は、イタリア、ムラーノ島のガラス職人と共に、10年以上に渉って作品を生み出してきた作家である。本展の開催場所であるShugoArtsとのインタビューで三嶋が明かしたテーマは、「自分もいなくなってしまった100年後、作品だけが生を持ち、存在している風景を見てみたい」というものだ。100年という長い年月が過ぎた後に、未来の博物館に展示されているであろう自身の作品と向かい合ってみたい。そんな思いが、今回のシンプル且つ独特なインスタレーションを生んだのだろう。三嶋はまた、経営難に陥っているムラーノ・ガラス工房の現状についても語っている。遥か昔から受け継がれてきた伝統。お互い切磋琢磨しながら教え合い、磨き上げてきた技術。そして、職人同士の絆やコミュニティ。そうした、かけがえのない物への愛情と、それらがこの先もずっと受け継がれていってほしいという三嶋の強い願いが、展示作品ひとつひとつに込められているように思う。そして、そうした感情がしっかりと刻まれているからこその、あの暖かさ、力強さだったのではないか。
鮮やかな色彩や装飾的造形に頼ることなく、透明なガラス、そしてシンプルなフォルムで勝負する三嶋。シンプルであるからこそ、作品に込めた彼女の思いがダイレクトに伝わってくる。100年後、そして更にその先の未来、三嶋の作品はどこに存在しているのだろう。三嶋の願いどおり、博物館の陳列棚に展示されているかもしれない。今と変わらぬ、どこまでも透明な輝きを放ち、時代を超えて、見る者の心をしっかりと捉え続けていることだろう。