あかりを用いた作品を作る篠崎里美の個展に足を運んだ。展示スペースは築46年の一軒家を改修したギャラリーで、かつて人が生活をしていた幾つかの部屋にまたがって展開されているあかりのオブジェの集合を1つの作品と見立て、それを《光のプレリュード》と題している。
流れの文様を描く白砂の上に3つのオブジェを設えた部分は、日本の寺社仏閣の枯山水の庭を連想させる趣である。暗がりに浮かぶその作品を前にすると、過去に旅をして見て歩いた日本の庭園の数々が思い出されるようであった。そこはギャラリーの中という閉ざされた空間かもしれないが、“擬似的な”日本庭園というもの越え、それと対峙することによって自分と自然環境に繋がりに思いを馳せることができるきっかけとなる、我々に馴染み深い日本庭園・枯山水そのものとして存在しているのだ。実際の枯山水の庭園を訪れた経験のある鑑賞者はもちろんのこと、そういった体験のない鑑賞者であっても、彼女のこの作品を前にすると、内発的でリラックスした呼吸が促され、自分の周りをめぐっている大きな存在に対して感覚がそっと開かれるのを感じることができるだろう。
篠崎氏は京都・東寺の庭のライティングを手がけたことがあり、それを縁として東寺の僧侶らと親交を深めてきたと語ってくれた。また同じ部屋の中には宮本武蔵のストーリーにインスパイアされた刀をかたどったオブジェや、床の間に飾られている思い入れのある物品といったものをイメージさせるオブジェなどもある。和モダンなどという軽妙な流行りの言葉を使うのは少し面映いが、そこに確かにあるのは背すじがすっと伸びるようでありながら肩に力が入っておらず、自分に対して真摯であり、そして自分を取り巻く自分以外の存在・他者を愛しむことを知る、今に生きる「和の心」なのであろう。
訪問した当日はトークイベントが行われており、篠崎氏とライティングプロデューサーの安部昌臣氏のお話を聞く機会にも恵まれた。そこで語られていた、日本の蛍の光はフェードイン・フェードアウト、つまり、オン・オフではなく、そっと光り、そっと消える、というエピソードが印象的であった。トークの中でも紹介されたトピックだが、「1/f(エフぶんのいち)ゆらぎ」という考え方がある。人間の心拍、ろうそくのゆらめき、木漏れ日などの中に見られるゆらぎで、生体に心地よさなどの感覚をもたらすとされる。ギャラリーの庭に飾られていた照明はこの1/fゆらぎを利用しているとのことで、静かに穏やかにその色合いを変えていく。そのゆらぐ庭の照明だけではなく、一定の光をみせるオブジェもまた懐かしく温かい親密な感情を湛えていて心地よい。彼女の作品は「日本の蛍」なのだと感じた。
イベントではギャラリーになじみの深いミュージシャンの歌と演奏や手作り料理を楽しめるなどの、人の中にいるぬくもりを感じさせる企画が用意されており、楽しい夜を過ごすことができた。作品とギャラリー、そしてあかりと家の出会いという一期一会、アットホームなギャラリーに集う人々の一期一会という温かさと互いに支えあっての《光のプレリュード》の温かさであった。
Hana Ikehata
Hana Ikehata