木喰(もくじき)は江戸時代後期に活動した僧侶である。56歳を過ぎた頃から北は北海道、南は九州に至るまで全国を行脚し、60歳をこえた頃から数多くの木の仏像を作るようになった。この度、その木喰が遺した仏像群の全貌を見ることができる展覧会が開催されている。
会場にはいるとまず《子安観音菩薩》が目をひく。これはその形状から、地面に根を下ろしていた立木に観音像が彫りこまれたものと考えられている。ささやかな幸せを願う庶民の祈りを一身に受けた観音像が緑生い茂る木の生命と一体になっていたであろう様子を思い浮かべると、なんとも力強くて優しい包容力を感じることだろう。この展示の冒頭を飾るのにふさわしい一品である。
木喰の仏像の魅力はなんといってもその豊かな表情にある。寺社仏閣に納められている金色の仏像の端正な面立ちとはまたひと味違う表情だ。デフォルメとでも表現できるようなインパクトのある表情。目がきゅーっと細くなるほどの笑みを浮かべた温和な表情。こういった木喰の作品は笑顔が特徴的であることから「微笑仏(みしょうぶつ)」という呼び方もされている。
展示に並ぶ数々の笑顔を目にしていると、ふと、最近これほどの笑顔になったことはあっただろうか、という考えが脳裏に浮かぶ。目の前の苦労に追い立てられるように日々を過ごし、曇り空のような心持ちで毎日を送ってはいないか、と。歴史の流れの中で木喰の仏像に向かって祈った名もなき庶民達。彼らの生活は必ずしも全てが思い通りで、楽しくて笑顔がこぼれることばかりというわけにはいかなかっただろう。むしろその逆で、歯を食いしばりその日その日を一生懸命生きるのに精一杯であったのだと思う。だが彼らはこの仏像を見てはその屈託のない笑顔を撫でさすり、ぎこちなく微笑んできた。
木喰は親しみやすい歌も多く残している。「まるまるとまるめまるめよわが心まん丸丸く丸くまん丸」。笑顔とは遠い極楽の仏様が持ってきてくれるものではない、今日という日を必死に生きる自分をいたわる丸い柔らかな心持ちの中にあるのだろう。木喰の仏像の笑顔には自分に優しく、人に優しくなれる、そんな温かさが秘められているのだ。
Hana Ikehata
Hana Ikehata