東山魁夷(1908~1999年)は「国民的画家」と呼ばれ、広く根強い人気を持つ。
そんな彼の生誕100年を記念した回顧展が東京国立近代美術館で開催されている。展示は代表作約100点によって構成され、とても見ごたえのあるものとなっている。本稿ではその中でも特に注目したい、この画家の画業が持つ計り知れない広がりを感じさせる作品を紹介したいと思う。
その作品は《桂林月夜》(紙本彩色/1976年)である。展示の後半になる「第6章 モノクロームと墨」のセクションの中で出品されている。画家が中国を訪れた折に目にした風景であろう、桂林のそびえ立つ奇岩が月の光の中で見るものに迫ってくる。東山の作品といってすぐに念頭に思い浮かぶイメージは《緑響く》《花明り》のように「静かで優しい雰囲気」といったところであろう。だがこの絵にはそのイメージの範疇には収まりきらない、圧倒的な迫力がある。
他の作品と比べても対象物を切り取る縮尺が違うのではないかと思うほどのインパクトをもった奇岩群、それは圧迫感すら感じるほどである。また、うっすらと明るく、ぼんやりとかさのかかった月から漏れる光の中で岩の肌は黒くごつごつと、影のかたまりとして描かれている。その闇を湛えた色使いはしんしんと目に浸み込んで来る様である。このドラマティックな風景を東山は「夜の黒」と言うべき色をモノトーンで使うだけで描ききっている。月夜の岩を黒で描く。そこには花もなければ鳥もいない。しかしこれだけ魅せる、これだけ人を惹きつける。そこにこそ円熟した画家の力を感じるのである。
「紙本彩色」ということからもわかるように、これは墨を用いて描かれたものではないため「水墨画」ではない。しかし、その表現はまさに水墨画の世界を追及したものであり、このモノトーンによる圧倒的な世界の構築力というものがその後の唐招提寺の墨による障壁画(《揚州薫風》(本店出品作品)、《桂林月宵》、《黄山暁雲》など)の作品へと昇華されていくのである。
本展示ではその唐招提寺障壁画を含めて、東山の画業を一覧できるまたとない機会である。キャリア初期の作品、ヨーロッパ旅行の取材した絵画、美しい日本の風景を描き留めた作品など、多岐に渡る。どれも「静かで優しい」。しかしそれぞれの絵がそれだけでは終わらない力―荒々しさ、鋭利さ、繊細さ、深き祈り―を秘めている。見る者は、この「国民的画家」の卓越した力を目の当たりにすることによって改めて実感し、深く頭を垂れる思いに駆られることだろう。
Hana Ikehata
Hana Ikehata