上野の国立西洋美術館にて「ウルビーノのヴィーナス ―古代からルネサンス、美の女神の系譜」展が開催されている。古代神話の女神であるヴィーナスの表象が、時を経て、ルネサンスに新たな花を咲かせ、そしてバロックに受け継がれた様を見せてくれる、とても艶やかで華やかな展覧会だ。
ギリシア神話に出てくる愛と美と豊饒の女神アフロディテをその前身とするのが古代ローマの女神ヴィーナスである。ヴィーナスの表象はキリスト教の宗教美術が中心であった中世にはあまり見られることはなかったが、ルネサンス期に目指されたギリシア・ローマの古典の復興と共に生まれた清新なる美術表現の中で数多く取り上げられるようになった。ルネサンスの芸術家達が追い求め、表現しようと試みた美や愛とはいかなるものであったのかという点が鑑賞のポイント…というのがこの展示を見る前に念頭においておくといい「基礎知識」といったところであろうか。だが、絵の前に立てば感じることであろう。そういった歴史的・美術史的な眼差しの助けがあるに越したことはない。しかし、その絵の引力は時代を超え、その作品が置かれているあらゆるコンテクストを越え、見る者の体内に流れる血潮を直接揺り動かす力を持っている。ヴィーナス達が脱いだのは衣装だけではない。彼女らは「神話」を脱ぎ、見ている者に限りなく近い、「人間の体温をもつもの」としてそこに存在しているのだ。
その他のディテールもこの絵を「神話の女神・ヴィーナス」という存在から一歩こちら側へ、煩悩を内包する肉体を持つ人間の側へと近づけている。例えば寝台にかけられているシーツや枕にはそれが必ずしもベッドメイクされた直後のものではないということを感じさせる、乱雑であり、かつ艶めかしいしわがよっている。ヴィーナスが寝具の上で悩ましくその体をくねらせていた温もりが伝わってくるようで、見るものに様々なストーリーを想起させるものだ。そして画面には赤が満ちている。ヴィーナスが描かれるときに共に絵に登場するバラの赤を筆頭として、シーツの下の寝具の赤、ヴィーナスのほんのりとした頬と唇の赤み、そして侍女のスカートの赤に至るまで、あたかも画面に花を散らしたような色使いはこの絵に華やかで蠱惑的な女性性を与えている。「女神」以上に女らしい、それが《ウルビーノのヴィーナス》である。
Photo:Antonio Quattrone
そしてその中のルカ・カンビアーゾによる作品を見たとき、もはやその絵は神話のベールをかぶってはいないということに気付かされるだろう。構図は神話をモチーフとした他の多くの絵と比較して、過度にドラマチックになることなく描かれている。そして画面を覆う色彩も抑えた淡い色使いでまとめられている。その絵の背景は闇に包まれ、ヴィーナスとアドニス、そしてキューピッドの仄明るい肌の色が浮かび上がっているのである。それらによって表されているのは、愛する者を失った一人の女性の悲しみである。女神としてではなく、愛する者の死を防ぐことが出来なかった無力な一人の女の悲しみが、沈鬱に、しかし優美に表されている珠玉の1枚である。「ウルビーノのヴィーナス ―古代からルネサンス、美の女神の系譜」。これは、歴史や神話といった「ありがたく、遠くにあるもの」を崇めにいく展覧会ではない。時代が変わっても変わらずに人間の中に、自分の中に脈打つ、美と愛を認識しに行く展覧会なのだ。
Hana Ikehata
Hana Ikehata