「火床-hokubo」という名の一際、男らしい刃物ブランドがある。高知県香美市に起ち上げられたブランドの礎となるのは、土佐打刃物の匠の技だ。土佐打刃物は、その名の通り土佐の地に伝わる伝統的な刃物である。日本の刃物の五大産地にも、三大産地にも数えられるという土佐刃物は、いかにも無骨な荒々しい風貌を見るものに印象づける。そんな優れた技術を誇る土佐打刃物とは、一体どのようなものなのか?冨士源刃物製作所で話を聞いた。
Q:山下さんは、これからJAPANブランドのメンバーとして、製品づくりに参加するそうですね。
A:はい。この齢で新しいことに挑戦させていただけるのはありがたいことですから、頑張りたいと思っています。実は、もう体力的にはしんどいんですけどね(笑)。今、香美市商工会が練っている、山林用刃物の第3弾、第4弾の製品の計画があります。今はまだ具体的な内容は明かせませんが、これから具体化していく新製品開発プロジェクトです。
Q:これまで制作されたJAPANブランドの製品一群は、どれも見た目に荒々しいイメージで、平たい言葉で言えば、一般の人には「格好いい」ものに映るはずです。
A:大本の話をすれば、土佐打刃物はキッチン用の包丁も造っていましたが、農山林用刃物が主体で、日本全国の林業の刃物のシェアは50%以上が土佐打刃物なんです。だから、屋外で鍛えられてきた刃物と言えます。
Q:今回JAPANブランドのプロジェクトの開発製品として、「包丁」という製品ジャンルに目をつけられたのは、どうしてなのでしょう?
A:そもそも土佐打刃物には江戸時代から続く長い歴史があります。400年とも言われる伝統の中で、土佐打刃物が秀でているのは、自由鍛造の技術です。それなら、ゆくゆくは世界を見据えるにしても、とりあえずの目標として日本全国を市場に目をやった場合に「包丁」という製品ジャンルが合っているはずだと決まったんです。
Q:なるほど。こちらは現在、『火床—HOKUBO』というブランド名を打ち出し、第二弾まで製品が発表されていますね。
A:第一弾が『鰹』という名の鰹のタタキのための調理用刃物。第二弾も『誂』という名のオーダーメイドできる刃物です。特徴としては、刃こぼれしづらい両刃仕上げになっていることと柄の部分に漆を使っていること。それから見た目には、火造り鍛造の証である鎚跡の残る「黒打ち仕上げ」と、それを磨いた「磨仕上げ」があります。今回は、特に黒打ち刃物を主として提案しましたので、荒々しいと印象を持たれたのかもしれませんね。先ほども述べたように、第三弾、第四弾まで既に構想を練っています。
Q:ところで、山下さんは主にどんな刃物をつくる鍛冶屋さんなのでしょう?
A:私のところは、父の代から鎌鍛冶です。要するに、ずっと農山林用の鎌をつくってきていたんです。鎌とひと口に言っても、やっぱりいろいろな種類があります。草刈り鎌や枝払い鎌などいろいろです。
Q:すると、山下さんのお客さんは草刈りなどをする農家の方になるわけですね。
A:主にはそうですね。ただ、今はもう農家も機械化が進んでいて、草刈り機で一気にやってしまいますから、雑草を手で一本一本刈っていくなんてことは、ほとんどしなくなってしまいました。そういう時代の変化もあるから、つくる本数も随分と減りましたね。今は、一日に大体30本位しかつくらないです。
Q:そうですか。では、ここに鎌を求めてこられる方というのは、どんな方なのでしょう?
A:昔からのお客さんだとか、鎌に対してのこだわりがある方が多いですね。特に、ウチでつくっている刃物は中国製の一本数百円なんかのものとは違って、数多くの工程を経て仕上げられるモノですから、決して安い品物ではないんです。その辺りの手間が掛かっているところに価値を認めてくれる方がお客さんになってくれる。売り先としては、農家や一般の人が直接買いに来てくれたり、森林組合、農協、金物屋さんなんかに卸したりしています。
Q:鎌ができるまでの工程というのはいくつ位あるんでしょうか?
A:大まかに言えば5工程が挙げられます。火造り、荒仕上げ、焼き入れ、焼き戻し、研磨という工程です。
Q:そのうち一番難しい点というのは、どの工程ですか?
A:それは火造り鍛造でしょうね。火造り鍛造というのは、松炭で火床の温度を整えて、地鉄を成形していくことで、約1000°に赤められた鉄を打つことで形をつくります。それと、土佐打刃物の製造には、「割り込み」と「沸かし」という特殊な工程がある。鉄に鋼を割り入れて、接合する工程です。これをすると刃物の切れ味が良くなるんですが、この技術は非常に高度で難しいものだと思いますね。
Q:今の鍛冶業界では、プレス機などを使って工程をいくつか抜いていくのが主流だと思うんですけど、山下さんが工程をすべて昔のまま、火造り鍛造でやられているのはどんなところに理由があるのでしょう?
A:それは、やっぱりお客さんが私がつくっている鎌を求めてくれるからということが大きいでしょうね。そうなったら切れ味と使い勝手が命ですから。手を抜いて刃ごしが厚くなったり、切れ味が悪くなったりしたら、「お前、これ切れなくなったぞ」ってお客さんは離れていってしまうんですね。そうじゃなくても、林業の衰退や、機械化、安い輸入品などで、斜陽産業ですから、せめていいものはつくりたいなぁと思っているんです。
Q:鎌鍛冶という職業は、いつの時代が隆盛だったのですか?
A:戦後から1960年代位までは、割と父親も儲けていたみたいですよ。でも、私が入ったときには、もう傾きはじめていました(笑)。だから、私は、あんまり景気のいいという時代は経験していないんです。
Q:山下さんが鍛冶屋をはじめたのは、長男だったからなのでしょうか?
A:いいえ。私は末っ子なんです。少年時代から父が仕事をしているのを横で見たり、手伝わされたりしていました。だから、基本的にはどんな仕事かはわかっていましたが、あまり継ぎたいとは思っていなかった(笑)。でも、成り行きで私が継ぐことになったんですね。
Q:では、実際のつくり方なんかは、お父さまから教わったのでしょうか?
A:子供の頃から見てたので大体は知ってましたけど、実作業の細かい部分はそうですね。た
だ教わると言っても、ウチの父は人に何かを教えるということになると癇癪を起こす人間だった。だから、絶対、言葉で「ああやれこうやれ」とは言ってくれなかった。「やったこともないのに、言葉で説明しても理解できない」と思っていた。その代わり、実演でやって見せてくれることはしました。だから私は、父が手を動かすのをジッと見ては、どうやったら角が落ちて、どうやったら具合良く曲がるのかを観察して、それをひたすら真似ていたんです。
Q:マスターするのにどの位掛かったんでしょう?
A:一般的には最低5年は掛かると言われています。で、私は子供の頃から馴染みがあったものですから、2年位かけて商品として売れる技術を覚えたらいいかなと余裕に考えていた。
丁度、会社勤めを辞めて半年位は失業保険も出るからと悠々と構えていたのです。そうして実際に工場に立ってみたら、想像よりもずっと技は難しい。しかも失業保険はわずか3ヶ月しか出ないことが判明した。もうそれからは必死です。何とか1年間で商品にできる位の技を習得して、それから今まで細々とやってきたわけですね。
Q:なるほど、切羽詰まると技を習得するのも馬力が違うんですね。最後に、今後のことについて、お聞かせください。
A:私には、既に嫁に出てしまっているふたりの娘がいますが、跡取りとなる息子はいません。だからウチの工場は私が最後の予定です。でも、まだJAPANブランドの仕事も残っていますので、今まで鎌鍛冶として培ってきた技術を新製品づくりに活かせたら嬉しいと考えています。是非楽しみながらやっていきたいですね。
冨士源刃物製作所
高知県香美市土佐山田町新改184番地
同プロジェクトの各地参加者の生の声
香美市商工会・経営指導員、JAPANブランド事業担当
JAPANブランドの事業には、2006年(平成18年度)から着手しています。0年度の調査事業の結論として決まった方向性は、まずは国内の市場で認知してもらえる製品づくりをしていこうということでした。長い歴史を持つ土佐打刃物の技術、火造り鍛造によって刃物を形づくる技術は目を見張る、高度な匠の技です。ならば、この技術が一般に受け入れられるように、調理器具の「包丁」として開発してはどうだろうか、ということからはじまったのが、ブランド「火床ーHOKUBO」です。この事業に参加したのは、製造者3社、問屋3社の計6社です。
第一弾として開発した「道具コレクション 鰹」では、外部の協力を仰ぎました。道具の監修は、高知を代表する鰹のタタキ職人を擁する田中鮮魚店に、柄の部分の輪島塗りの仕上げは桐本木工所に、デザインの監修は高知県出身ながら滋賀県立大学で教鞭を執る印南比呂志教授にお願いしました。また、第2弾では、第1弾の製品を更に進化させ、数種の柄を組み合わせることで、お好みに応じたオリジナルの包丁を造ることができるようにしました。
販売面では、(犯罪で用いられたりするため)悪者に仕立て上げられがちな刃物という商品ジャンルには難しさがあります。しかし、それでも、料理好きな中高年男性をターゲットに据え、諦めずにプロモーションをする努力を重ねることで、きっと活路が見出せるのではと信じています。
また、現在、包丁以外の、地域を活性化できるような新製品ラインナップも構想中です。JAPANブランドのプロジェクトにおいては、会社単体ではできないようなプロモーションや商談の場、流通経路を探れるので、この機をできる限り活用できたらと思っています。