青森県には、鍛冶町という名の町がある。その名の通り、ここは刃物の町。江戸初期、城下町だった弘前には、100軒以上もの鍛冶屋が軒を連ねていたと言われている。そんな長い歴史を誇る津軽打刃物に、人生を運命づけらた人物が、二唐刃物鍛造所の吉澤俊寿氏。聞けば、同氏は若い頃から、ものづくりに苦手意識を持っていたという。JAPANブランドの『情張鍛人(じょっぱりかぬち)』でも、ひと際美しい刃物をつくり出す男の、ものづくりに対する想いとは?
取材:鈴木隆文
津軽打刃物というのは、打刃物という分野においては、どんな特徴を持ったものなのでしょうか?
青森は、リンゴで有名ですよね。そのリンゴの生産を支えていたのが剪定鋏という鋏の存在なんです。だから、津軽打打刃物の剪定鋏は、果樹用鋏のスタンダードなんですよ。
全国でスタンダードに選ばれるほど、高い評価をされているわけですね。
青森ではご存知の通り、厳しい自然の中でリンゴを生産しています。そして、そのリンゴを生産している農家というものは、星の数ほどある。その方々からのいろいろなリクエストに応える形で、長い年月を経て、改良に改良が重ねられて、現在の剪定鋏の形になっているわけですね。だから質も当然高いわけです。
全国スタンダードの津軽打刃物の剪定鋏には、どんな特長があるのでしょう?
リンゴは、バラ科の植物でとても堅い木なんですね。その枝を相手に寒い天候の中、作業をしなければいけない。つまり、作業者としては、剪定鋏の切れ味がよくないと使いものにならないわけです。そうした背景が津軽の鍛冶職人を切磋琢磨させた大きな要因だったのではないかと思っています。今や桜の樹木医も、津軽打刃物の剪定鋏を使っていると聞いています。
では、二唐打刃物鍛造所でつくっているメインの刃物製品というと、どういうものになるのでしょう?
基本的には、包丁やナイフ、山刀になりますね。津軽打刃物の発祥自体は、1000年以上の昔の、刀鍛冶になるんです。私たちは、基本的には刀鍛冶の伝統を受け継いでいる鍛造所ということになります。
では、参加されているJAPANブランドの『情張鍛人(じょっぱりかぬち)』でも、包丁、ナイフ、山刀をおつくりなわけですか?
はい、そうです。ナイフは、リンゴの接木、竹細工クラフトなど、さまざまな用途に使えるものを、包丁の方は、出刃包丁、柳刃包丁、牛刀包丁などをつくっています。私は、こうした取り組みが若者たち、後継者たちを津軽の地に呼び集めて、地域活性化の起爆剤になるはずだと信じて取り組んできました。結果、テレビ、雑誌、インターネットなど、さまざまなメディアに取り上げられ、大きな注目を浴びましたから、それを思うと、同事業の影響には大きいものがあります。
表面の模様が、とても美しいですね。
これは、暗紋・積層鍛えと呼ばれるものです。使っているのは、いくつもの鋼材を重ね合わせた積層鋼を使っているから、こういう模様が浮かびあがるんです。この模様には、ふたつと同じものがない。切れ味の方も、刀鍛冶の流れを汲むということもあって、相当鋭いですね。私は、この模様の美しさに着目してオブジェのようなものもつくっているんですよ(笑)。
なるほど、でも、そうしたモノをつくれる吉澤さんは、ものづくりというものには相当な想い入れがあるんでしょうね
いえ、ところが私は、ものづくりが嫌いだった人間で、今も苦手意識のある人間なんです。弟子入りしたばかりの頃は、失敗ばかりで全然うまくつくれなくて、工場にいけばいつも叱られていた。それに、あの工場のピリピリ緊張した空気感が大嫌いでしたからね。
それは意外ですね。吉澤さんは、いつから、鍛冶屋の道を歩まれるようになったのでしょうか?
実は、私は、子供の頃、中学一年生のときから、この工場の跡継ぎになることが、私の実の親と、この二唐の家の間で取り決められていたんです。だから、中学校のときの夏休みなんかでも、手伝いをさせられていました。どうして、そんな風だったかというと、私の両親というのが学校の先生で、地域のためになることをしたいという想いが強い人間だったんです。それで跡取りに困っていた二唐の家に私を供したというわけです。
それは、大変な宿命ですね。だけど、それだけ早いうちからはじめても、職人技というものを自分のものにするのは、難しいものなのでしょうか?
私の場合は、第一に不器用なんでしょうね。高校も工業高校に行っていましたが、自分の性に合わないということはつくづく感じていましたから。でも、不思議なもので、今はものづくりが楽しいんですよね。
二唐刃物鍛造所のナイフの美しさなんかを見ていると、欲しくなりますし、吉澤さんが不器用だったということは、とても信じられません。
私がものづくりを面白いということを感じるようになったのは、売る現場に出るようになって、直にお客さんと向き合うようになってからですね。
一体それは、どういうことでしょうか?
お客さんの生の声を聞けるようになって、つくる現場の声と売る現場の声が違うということに気づいた。それで、その溝を埋めるためには、どうしたらいいかを考えるようになったわけです。要するに、どうしたらお客さんに喜んでもらえる売れる刃物になるのか、それを生の声を通して考えるようになったわけです。必ずしも、腕のいい職人さんが、想いを込めてつくったものが、お客さんに喜ばれるわけじゃないんです。そういうことを考えはじめたら、ものづくりということが面白くなりました。
それは、ものづくりに苦手意識があったからこそ、たどり着いた境地だったのかもしれませんね。天才的な職人だったら、自分の技に酔ってしまって、買い手の立場には立たないでしょうからね。「ただ、黙々と、丹精込めてつくれば、売れるはずだ」という気持ちで…。
そうかもしれないですね。私の考えでは、ことわざにある「沈黙は金」というのは嘘だと思っています。職人こそ雄弁でなければいけないし、いろいろ社会のことも知らないといけない。普段は寡黙で、酒を飲んだときだけ愚痴をこぼして、ものづくりを悲観する、ということだけやっていたら、ものづくりということ自体が地盤沈下してしまう。だから、私は頑張ってものづくりをしたら、ポルシェにだって乗れるし、大きな家だって建てられるというぐらいにならないと駄目だと思っています。そういう発想で取り組むと、ものづくりって、私みたいな不器用な人間でも面白くなるんです。
新しい角度でものづくりを眺られているのですねぇ。では、最後に、この先、吉澤さんご自身の仕事に対してのビジョンについてお聞かせください。
やはり、津軽打刃物は、刀鍛冶に起源を持つものなので、刀鍛冶として認められるための刀匠の資格を取りたいと考えているんです。今は、工場で鍛造をしているときには、誰にも邪魔されたくない。そのときの集中を思うと、自分でも、昔の自分がものづくりが嫌いだったなんて不思議ですね(笑)。
二唐刃物鍛造所
青森県弘前市金属町4-1
同プロジェクトの各地参加者の生の声
弘前市商工会議所 JAPANブランド事業担当
『情張鍛人(じょっぱりかぬち)』のプロジェクトは、鍛冶屋と商工会議所、そして、委員会のメンバーが立ち上げ、始動したプロジェクトです。その狙いは、新しい世代に伝統の技を伝えるため。 情張(じょっぱり)とは津軽弁で頑固者の意。津軽(青森県弘前市)の気質を代表する言葉です。鍛人(かぬち)とは「かねうち(金打)」が転じて、金属を鍛え加工すること。または鍛冶職人のことです。巨大な製鉄炉遺跡群が遺される津軽は、優れた製鉄文化を誇った鉄の王国だったと言われています。ここには、10世紀頃、海路日本海をたどって鉄技術が伝来したようです。私たちは、長い歴史で培われた鉄の文化を受け継ぎ、地域を活性化させながら、次の世代へと引き継いでいきたいと考えております。JAPANブランド事業では、様々なメディアに取り上げられることに加え、同事業のパリ展示においても、代理店を決めることができるなど、海外での評価も上々です。今後は、弘前にある他の伝統工芸品、こぎん刺しや漆とのコラボレーションで一層新しい展開がはかれたらと考えております。