公開日:2024年3月27日

アイザック・ジュリアン「Ten Thousand Waves」(エスパス ルイ・ヴィトン大阪)レポート。マギー・チャンらが出演する映像詩が綴る、見えざる者たちへのレクイエム

フォンダシオン ルイ・ヴィトンの所蔵コレクションより、「Hors-les-murs(壁を越えて)」プログラムの一環として、日本で初公開される

TEN THOUSAND WAVES 2010(アイザック・ジュリアン「Ten Thousand Waves」[エスパス ルイ・ヴィトン大阪]展示風景) 9スクリーンインスタレーション、デジタル変換された35mmフィルム、カラー、9.2サウンド Courtesy of the artist and Fondation Louis Vuitton, Paris © Jérémie Souteyrat / Louis Vuitton

ディアスポラをテーマに活動し、ナイトの称号も授与

2020年2月、建築家・青木淳氏のデザインにより誕生したルイ・ヴィトン メゾン 大阪御堂筋。同所の5階にあるエスパス ルイ・ヴィトン大阪でアイザック・ジュリアンの個展「Ten Thousand Waves」がスタートした。会期は3月27日〜9月22日。

TEN THOUSAND WAVES 2010(アイザック・ジュリアン「Ten Thousand Waves」[エスパス ルイ・ヴィトン大阪]展示風景) 9スクリーンインスタレーション、デジタル変換された35mmフィルム、カラー、9.2サウンド Courtesy of the artist and Fondation Louis Vuitton, Paris © Jérémie Souteyrat / Louis Vuitton

アイザック・ジュリアンは1960年ロンドン生まれのアーティスト。西インド諸島・カリブ海のセントルシア島からイギリスに移住した両親のもとに育ち、84年セント・マーチンズ美術学校を卒業した。

ジュリアンは活動初期より一貫して映像表現を行ってきた。83年にはマーガレット・サッチャー政権下のイギリスが抱えていた社会不安への応答として、マルティナ・アティール、モーリーン・ブラックウッド、ナディーン・マーシュ=エドワーズ、ロバート・クルスらと「サンコファ・フィルム・アンド・ビデオ・コレクティブ」を共同設立し、黒人やアジア系ディアスポラ(移民・植民)の視点をイギリスの文化議論の場に紹介。91年には自らの映像プロダクション会社ノーマル・フィルムズを設立。同年、長編映画 『ヤング・ソウル・レベルズ』がカンヌ国際映画祭批評家週間で受賞。2001年には ターナー賞にノミネートされ、2003年にはクンスト・フィルム・ビエンナーレ(ケルン)で審査員大賞を受賞するなど、数々の受賞歴がある。2017年には大英帝国勲章コマンダー(CBE)を受勲し、2022年にはナイトの称号を授与された。現在、ロンドンとカリフォルニアを行き来しながら制作を続け、移住やディアスポラの在り方など一貫したテーマを追求している。

亡き者たちに捧げる映像詩

今回日本初紹介となる《Ten Thousand Waves》(2010)は、9つのスクリーンからなる映像作品で、2004年、イングランド北西部の海岸の遭難事故で命を落とした中国人労働者23名の存在をきっかけに制作された。わずかな賃金のもと、異国で違法就労者として貝を収穫していたという中国人たち。その遭難を伝えるニュース映像を思わせる波、遭難者の救出を急ぐ声などが臨場感たっぷりに再現された映像から作品は始まり、現代、1930年、明の時代などが交錯しながらストーリーが展開していく。「6年のリサーチを経て作品を作りました。これはドキュメンタリー作品ではなく映像詩です」と、ジュリアン。

TEN THOUSAND WAVES 2010(アイザック・ジュリアン「Ten Thousand Waves」[エスパス ルイ・ヴィトン大阪]展示風景) 9スクリーンインスタレーション、デジタル変換された35mmフィルム、カラー、9.2サウンド Courtesy of the artist and Fondation Louis Vuitton, Paris © Jérémie Souteyrat / Louis Vuitton

圧巻の存在感でストーリーを導くのは、中国沿海部で信仰を集める女神、媽祖(まそ)を演じる女優のマギー・チャンだ。16世紀中国で媽祖が船乗りを助けたという伝説と呼応するように、23名の死者を作品内で蘇生させる役割を果たしている。

女神の媽祖と対のような存在であり、幽霊を思わせる主人公を演じるのは女優のチャオ・タオ(趙濤)。鑑賞者を上海映画の世界へと導き、中国映画の名作『神女』(1934)のシーンの再演を経て、最後は上海の新市街と1市街の街並みへと誘う。

TEN THOUSAND WAVES 2010(アイザック・ジュリアン「Ten Thousand Waves」[エスパス ルイ・ヴィトン大阪]展示風景) 9スクリーンインスタレーション、デジタル変換された35mmフィルム、カラー、9.2サウンド Courtesy of the artist and Fondation Louis Vuitton, Paris © Jérémie Souteyrat / Louis Vuitton

中国文化への綿密なオマージュが感じられるシーンとシーンの合間には、遭難事故でいままさに命を落とそうとする死者のモノローグが挟まれ、作品の中心に強制的な移動・移民の問題がどっしりと腰を据えていることに気づく。

「亡くなった23名は貝を穫る漁業従事者でした。その方々の存在なしでは私たちは貝を食べることはできません。何かを食べたり、文化的なものの背景にある見えない労働にもフォーカスしています」と作家が話すように、作品内ではスタジオで宙に舞う媽祖の演出を支えるスタッフたち、書道の巨匠ゴン・ファーゲン(鞏法根)をサポートするスタッフの存在も克明に映し出す。

TEN THOUSAND WAVES 2010(アイザック・ジュリアン「Ten Thousand Waves」[エスパス ルイ・ヴィトン大阪]展示風景) 9スクリーンインスタレーション、デジタル変換された35mmフィルム、カラー、9.2サウンド Courtesy of the artist and Fondation Louis Vuitton, Paris © Jérémie Souteyrat / Louis Vuitton

「私たちも同じ運命かも」

49分とけっして短くはない映像作品だが、時間を感じさせない没入感がもたらされていたのは、9のスクリーンを移動しながら見るような鑑賞方法と立体的なサウンド環境によるものだろう。目の前のスクリーンを注視していると、シーンが切り替わり別のスクリーンでストーリーが展開していく。まるで舞台作品を見ているような効果と作家の遊び心も感じられる。

TEN THOUSAND WAVES 2010(アイザック・ジュリアン「Ten Thousand Waves」[エスパス ルイ・ヴィトン大阪]展示風景) 9スクリーンインスタレーション、デジタル変換された35mmフィルム、カラー、9.2サウンド Courtesy of the artist and Fondation Louis Vuitton, Paris © Jérémie Souteyrat / Louis Vuitton

「本作を通してディアスポラ、そしてより広い意味での中国文化を考えたかった」と語った作家。これまでに紹介した女優やアーティスト以外にも、詩人のワン・ピン(屏王)やアーティストのヤン・フードン(楊福東)、撮影監督のチャオ・シャオシ(趙暁時)、そして100人におよぶ中国人スタッフが関わっているという。

TEN THOUSAND WAVES 2010(アイザック・ジュリアン「Ten Thousand Waves」[エスパス ルイ・ヴィトン大阪]展示風景) 9スクリーンインスタレーション、デジタル変換された35mmフィルム、カラー、9.2サウンド Courtesy of the artist and Fondation Louis Vuitton, Paris © Jérémie Souteyrat / Louis Vuitton

本作のモノローグの中に、「私たちも同じ運命かも」というセリフがあった。ジュリアンの両親も、本作が捧げられた23名の死者も移民である。なんらかの理由で母国を離れざるを得ない人々が多く存在するこの世界でこの言葉は重く響き、本作が描ききれなかったいまここにいない者たちの声に耳を傾ける時間になっていた。

野路千晶(編集部)

野路千晶(編集部)

のじ・ちあき Tokyo Art Beatエグゼクティブ・エディター。広島県生まれ。NTTインターコミュニケーション・センター[ICC]、ウェブ版「美術手帖」編集部を経て、2019年末より現職。編集、執筆、アートコーディネーターなど。