公開日:2024年5月10日

アート界の「先住民族ブーム」の陰で進む、歴史の忘却に警鐘を鳴らす。2024年3月11日に国立西洋美術館で起きたこと、2023年10月7日から——あるいは、もっと以前より、そして、この瞬間も——ガザで起きていること #3(文:山本浩貴)

「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか? —— 国立西洋美術館65年目の自問|現代美術家たちへの問いかけ」の内覧会で起きた抗議活動を機に、文化研究者・アーティストの山本浩貴が緊急寄稿(全4回予定)

オーストラリア館でのアーチー・ムーア《kith and kin》の展示風景  Photo:Andrea Rossetti / THE COMMERCIAL

国立西洋美術館で開催中の「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか? —— 国立西洋美術館65年目の自問|現代美術家たちへの問いかけ」。3月11日に行われた内覧会で、イスラエルのパレスチナ侵攻に対するアーティストや市民による抗議活動が行われた。本件についてはSNS等でも様々な意見があがっているが、アクションへの肯定/否定といった二項対立にとどまらず、明るみに出た様々な問題を建設的に考えていくにはどうすればいいのか。文化研究者・アーティストの山本浩貴による寄稿を4回にわたり公開する。【Tokyo Art Beat】

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イスラエル人歴史家の言葉から

1954年にイスラエルで生まれたユダヤ系イスラエル人歴史家のイラン・パぺは、2006年に『パレスチナの民族浄化——イスラエル建国の暴力』を著した。2017年に邦訳が出た同書は、パレスチナ人がアラビア語で「ナクバ(大災厄)」と呼ぶ1948年前後の出来事を詳細に描く。その年にイスラエルが建国されたとき、そこに先住していたパレスチナ住民は計画的に追放され、さらには組織的な虐殺さえ被った。「シオニスト」はパレスチナにユダヤ人の民族的拠点を創設することを悲願とする人々を指すが(「シオニズム」は、そのイデオロギー)、戦後、こうした人々はそこにあった元々のパレスチナ社会を不可逆的に破壊した。パぺの本は、このナクバを一貫して「民族浄化(エスニック・クレンジング)」として解析している。

そこでパぺは読者に、こう問いかける。

「こういうことを想像してほしい。あなたのよく知る国で、少し前に全人口の半分が1年もしないうちに強制的に追放され、その国の村や町の半分が壊滅させられ、あとには瓦礫と石ころだけが残された、と。あるいは次のような可能性も想像してほしい。こうした犯罪行為がどういうわけか歴史書でまったく説明されず、その国で勃発した紛争を解決するためのあらゆる外交努力は、この大災厄を、無視はしないまでも、完全に脇に追いやっている、と」(イラン・パぺ『パレスチナの民族浄化——イスラエル建国の暴力』田浪亜央江・早尾貴紀訳、法政大学出版局、2017年、24頁)。

もちろん、この記述は直接的にはナクバ以降のパレスチナの状況を示唆する。だが、ここで書かれているようなことは日本と無関係か。当然ながら、そうではない。近代国家として成立する過程で、日本は現在の北海道を中心とする土地の先住民族であるアイヌに対する強権的な入植植民地主義(セトラー・コロニアリズム)を行使した。そうした「北海道の植民地化とそれに続く『ネイティブ』住民の収奪は、19世紀から20世紀初頭にかけて、北極から南太平洋にわたる地域で『先住民族』を生み出した、国民国家と帝国の形成というより広い歴史的文脈の中に位置づけられる」(リチャード・シドル『アイヌ通史——「蝦夷」から先住民族へ』マーク・ウィンチェスター訳、岩波書店、2021年、xv頁)。

さらに、この国では、そうした歴史の周縁化と否定が現在まで繰り返されてきた。頻発するアイヌ民族否定論に対するカウンター言説として編まれた著作で、テッサ・モーリス=スズキは、そうした事象の背景にある要因のひとつは「日本の学校教育の制度が若者たちに、アイヌ民族の長い自律した歴史と北海道の植民地化を含む、自分たちの国の歴史の主要な事実について長期にわたって教えなかったこと」だと指摘し、「そうした歴史的な知識の欠如と、植民地主義の歴史の現在にとっての負の遺産に対する理解の欠如」が事態を悪化させていると論じる(テッサ・モーリス=スズキ「日本の全体的な政治の環境がヘイトスピーチを育んでいる」岡和田晃、マーク・ウィンチェスター編『アイヌ民族否定論に抗する』河出書房新社、2015年、60〜61頁)。

ヴェネチア・ビエンナーレでも示された、先住民族のアートへの注目の高まり

現代アートの世界では、近年、先住民族のアーティストが注目を集める。先月(2024年4月)、第60回となるヴェネチア・ビエンナーレの各賞受賞者が発表された。現代アートの見本市である同芸術祭の最高賞(金獅子賞)は、今回、アーチー・ムーアの個展を開催したオーストラリアのナショナル・パビリオンが獲得した。6万5000年に及ぶ自身の家系図をチョークで刻むインスタレーションを披露したムーアは、同国の先住民族であるアボリジニのルーツを有する。また、作家ごとに与えられる金獅子賞はマタオ・コレクティヴが手にした。ニュージーランドに拠点を置く同コレクティヴは、その国の先住民族であるマオリの女性アーティストによって結成され、ヴェネチアではマオリの伝統的な織物を再解釈して構成された空間を創出した。

オーストラリア館でのアーチー・ムーア《kith and kin》の展示風景  Photo:Andrea Rossetti / THE COMMERCIAL

こうした流れを考慮すると、今後、先住民族のアートに対する関心がさらに高まることが予測される。それ自体は否定されることではないし、そのことを通して周縁化されてきた先住民族の歴史に光が投じられるのであれば、むしろ歓迎すべき流れだとぼくは考えている。

だが、事実、懸念する事項は多い。先述した通り、日本ではアイヌが被った植民地主義的な侵略の過去、そしてアイヌの存在自体を否定する誤った言説が幅を利かせている。そうした現状を鑑みると、まったく歴史や文脈を踏まえることなく、アイヌを含む世界各地の先住民族が継承してきた文化が「盗用」される危険性が大いにある。

文化盗用とは

重要な歴史や文脈を無視して、ある文化圏の文化的な要素をほかの文化圏の人が私物化する事象を「文化盗用」と呼ぶ。定義上、ここでの「文化」は必ずしも先住民族の文化だけを意味しない。とはいえ、とりわけ先住民族の文化を考えるうえで、この概念を理解することは肝要だ。文化盗用批判への反論として、その文化への愛着や憧憬から発する行為だという言い分がある。それに対して、北原モコットゥナㇱは「アイヌを『好意的に見る』ことと『好奇の目で見る』ことの境界は曖昧」(石原真衣編『記号化される先住民/女性/子ども』青土社、2022年、37頁)だと指摘する。先住民族の文化と関わるとき、いつも念頭に置かれるべき指摘だとぼくは思う。

たしかに、いつも文化盗用が明示的な差別意識から発するとは限らない。しかし、文化盗用的な行為は、しっかりと踏まえるべき背景的知識を等閑視してほかの文化圏で育まれた文化を模倣する。そのため、こうした行為を通して他者の文化は本質的な歪曲を受けることになる。特に先住民族の事例のように歴史的な不正義とそれに起因する現在の権力関係がある場合、過去の忘却に立脚する文化の盗用は、かつて虐げられた他者を再び毀損する暴力性を帯びる。石原真衣は、文化盗用を通じて先住民族の文化やアイデンティティは「記号化」されると説く。それゆえ、石原は「多文化共生」というわかりやすいスローガンの下、「先住民という符号」が消費される事態に警鐘を鳴らす。先住民の慣習や思想・文化の安易な導入や称揚は、そうした人々「一人ひとりの傷や経験を代替可能なものとして顔や声を非人称化させる」(石原編『記号化される先住民/女性/子ども』160頁)からだ。

文化盗用の罠に陥ることなく先住民族の文化と接するために旧植民者側にいる者に求められるのは、その文化に対する心からの敬意だ。そうした敬意は当該文化の表層をなぞるのでなく、その文化が形成されてきた歴史的経緯を学ぼうとする姿勢につながる。だから、自国の侵略と加害の歴史を直視することなく、ぼくを含む和人(日本人が自らをアイヌと区別するために用いた自称で、アイヌの側からは「シャモ」と呼ばれる)が表面的にアイヌ——あるいは、現在の沖縄を中心とした土地の先住民族である琉球民族——の文化を軽々しく称賛したり使用したりすることは文化盗用の誹りを免れない。

前回、ぼくはアイヌの過去と現在に関する日本人のあいだの「忘却と否認は深い部分で、ガザで起こっていることへの無関心と地続きの関係にある」と書いた。ここまで論じてきたように、昨今のアート界における「先住民族ブーム」を真に意義のある現象にするため、その文化や思想だけではなく、各地の先住民族が背負わされてきた負の歴史を知ることが不可欠だ。同時に、それぞれの先住民族の状況が地域により異なること、その歴史的・文化的背景が多様であることを認識しながら。加えて、イスラエルと同じくセトラー・コロニアリズム(入植植民地主義)を通して創設された近代国家のひとつである日本に生きる人々は、パレスチナ人が被る現在進行中の苦難に際して自らの足元を見つめ直す必要性に迫られている。私たちに求められるのは、過去と現在の様々な出来事を結び付けて思考しながら、それらの個別性にも注意を怠らない立体的な視座だ。

歴史の健忘症に抗う

ガザ問題に面して日本の足元を再確認することで見えてくるのは、ひとえにアイヌの存在だけではない。社会思想史が専門の早尾貴紀(著書に『パレスチナ/イスラエル論』[有志舎、2020年]や『ユダヤとイスラエルのあいだ——民族/国民のアポリア』[青土社、2008年]など)は、イスラエルとパレスチナの問題をめぐり、ぼくがその議論からもっとも学んだことの多い論者のひとりだ。早尾は、1932年に日本の傀儡国家として中国東北部に設立された満州国を「東アジアにおいてシオニズムの入植活動と同時期のセトラー・コロニアリズムの事例」(早尾貴紀「ガザ攻撃はシオニズムに一貫した民族浄化政策である——欧米の植民地主義・人種主義の帰結」『世界』2024年5月号、132頁)だと定義する。加えて雑誌『世界』に掲載された早尾の論考では、しばしば欧米諸国の失敗とされる第二次世界大戦中・後の中東分割に関し、「日本は中東の帝国主義的分割について無罪ではないどころか、そこから利益を得た当事国」(早尾「ガザ攻撃はシオニズムに一貫した民族浄化政策である」135頁)である事実が論じられる。

パレスチナをめぐる様々な交差性については、在日本韓国YMCA編『交差するパレスチナ——新たな連帯のために』(新教出版社、2023年)が示唆に富む洞察を与える。寄稿者のひとりである金城美幸の次の言葉は、本稿の論点と共鳴する。「日本では、1990年代に歴史認識論争が活性化して以降も、植民地主義の過去の忘却が続いており、その過去に対する責任を国としても国民としても果たし切れていないまま、被害者が亡くなっていく事態となっている。(…)こうしたなか、日本社会では、パレスチナ人の闘争との交差点も見えづらくなっているのではないだろうか」(金城美幸「パレスチナとの交差を見つけ出すために——交差的フェミニズムと連帯の再検討」『交差するパレスチナ』42頁)。

1980年代の韓国を舞台とする民主化運動・光州抗争の記憶を紡ぐ文富軾の『失われた記憶を求めて——狂気の時代を考える』(板垣竜太訳、現代企画室、2005年)から「忘却が次の虐殺を準備する」という一節——正確には、「『忘却はもう一つの虐殺のはじまり』とある詩人は語った。忘却に関する限り、いま私たちはみな共犯者ではないだろうか」(30頁)——を引き、岡真理は「私たちは今、〈ガザ〉の後にいるのではない。次の〈ガザ〉の前にいるのだ」(岡『ガザとは何か』123頁)と警告する。と同時に、忘却された過去の虐殺を想起し、再び記憶に刻むことはいまの虐殺に対して行動を起こす契機になるはずだ。

小田原のどか・山本浩貴[編]『この国(近代日本)の芸術——〈日本美術史〉を脱帝国主義化する』(月曜社、2023)

昨年(2023年)、ぼくは彫刻家・批評家の小田原のどかと『この国(近代日本)の芸術——〈日本美術史〉を脱帝国主義化する』(月曜社)を共編した。詳しい経緯は同書を確認していただきたいが、この企画をスタートしたきっかけは、飯山由貴の映像作品《In-Mates》をめぐって関東大震災時の朝鮮人虐殺の忘却と否定を目の当たりにしたことだった。

まえがきで、小田原は彫刻家の高村豊周が書き残した、流言飛語が引き起こした凄惨な事件の具体的な描写に言及する。そのなかに登場する、たくさんの無垢な朝鮮人を貫いたであろう「ピストルの音」について、小田原は「あの夜の銃声は、まだ響いている。歴史を継承しなければ、過ちは繰り返され続けるだろう」(10頁)と断言する。この忘却に抗う想起は、現在と次の虐殺を食い止める一筋の希望だ。その一筋がどれほど細く、かすかなものであっても、ぼくたちは想起すること通して希望を手繰り寄せようとする努力を諦めてはならない。

先述の『パレスチナ/イスラエル論』において、早尾は「イスラエルが1948年に建国されたのと同じ年に日本の旧植民地の朝鮮半島が南北に分断されたことは偶然ではない」(3頁)と主張する。第二次世界大戦における戦争責任国家の一角として、日本は今日まで続くパレスチナ分割に関与しているのだ。戦時中の日本植民地主義が残した負の遺産のひとつとして、今日まで続く在日コリアンに対する法的・制度的・社会的差別がある。こうした複合差別に対する日本人(とりわけ知識人)の責任を厳しく追及し、同時に自らも批評を通して植民地主義の問題に粘り強く取り組んできた人物のひとりに、2023年の年末に急逝した徐京植の名が挙げられる。

徐が発表した多数のエッセイのひとつに、パレスチナ人作家であるガッサン・カナファーニーの小説『太陽の男たち』(1963年)を論じたものがある(「『太陽の男たち』が問いかける、『私たち』とは誰か?)」。カナファーニーは小説や戯曲を執筆しながら報道官としてパレスチナ解放運動で重要な役割を果たしていたが、1972年、自動車に設置されたダイナマイトで暗殺されて36歳の短い生涯を閉じた。「『太陽の男たち』は密入国を企てる3人のパレスチナ難民の男性の悲劇的な物語であり、徐のエッセイの終盤には、次のような一節が登場する。

「私たち在日朝鮮人は『パレスチナ人』と自分たちとが、いずれも近代の植民地主義による理不尽な圧迫の結果として、『私たち』という集団的自己意識を形成してきたのだということを認識することができる」(徐京植『植民地主義の暴力——「ことばの檻」から』高文研、2010年、256頁)。

徐の言うように、「パレスチナ人」と「在日朝鮮人」が「近代の植民地主義による理不尽な圧迫の結果」として形成された「集団的自己意識」であるとすれば、その「理不尽な圧迫」としての「近代の植民地主義」を行使した国家としての「イスラエル」が浮上する。と同時に、すぐさま対になって現れるのは、もうひとつの旧植民者国家である「日本」にほかならない。ぼくには、あるいは「日本」という「集団的自己意識」——それがベネディクト・アンダーソンの言う「想像の共同体」という名の幻想に過ぎないとしても——を介して立ち上がる「ぼくたち」には、まだ想起しなくてならない歴史が数多く残されている。自国、さらには世界中に蔓延する歴史の健忘症という病理に抗して。そのような想起の真摯な営みは、必ずや現在のパレスチナ問題に対する「ぼくたち」のスタンスを逆照射するものとなる——ぼくは、そう信じている。

山本浩貴

山本浩貴

やまもと・ひろき 文化研究者、アーティスト。1986年千葉県生まれ。実践女子大学文学部美学美術史学科准教授。一橋大学社会学部卒業後、ロンドン芸術大学にて修士号・博士号取得。2013~2018年、ロンドン芸術大学トランスナショナルアート研究センター博士研究員。韓国・光州のアジアカルチャーセンター研究員、香港理工大学ポストドクトラルフェロー、東京藝術大学大学院国際芸術創造研究科助教、金沢美術工芸大学美術工芸学部美術科芸術学専攻講師を経て、2024年より現職。著書に『現代美術史 欧米、日本、トランスナショナル』(中央公論新社 、2019)、『トランスナショナルなアジアにおけるメディアと文化 発散と収束』(共著、ラトガース大学出版、2020)、『レイシズムを考える』(共著、共和国、2021)、『この国(近代日本)の芸術――〈日本美術史〉を脱帝国主義化する』(小田原のどかとの共編著、月曜社、2023) など。