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	<title>TABlog JA</title>
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	<description>アート・デザインのバイリンガルガイド</description>
	<pubDate>Wed, 20 Aug 2008 16:33:48 +0000</pubDate>
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		<title>TAB Talks Featuring Yokohama を開催します！</title>
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		<pubDate>Wed, 20 Aug 2008 15:00:56 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Makoto Hashimoto</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[Spotlight TAB]]></category>

		<category><![CDATA[TAB Talks]]></category>

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		<description><![CDATA[「横浜トリエンナーレ2008」に合わせて特別開催]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>しばらくお休みをいただいていたTAB Talks。今秋大注目の国際展「横浜トリエンナーレ2008」の開催に合わせて、全3回の横浜スペシャルを開催いたします！</p>
<p>Vol.1&#038;2では舞台をいつもの五反田から横浜へと移動。「横浜トリエンナーレ」の会場となるBankART Studio NYKの1F (BankART Mini)でお待ちしています！</p>
<p><strong>TAB Talks #14 Featuring Yokohama Vol.1「地域のためのメディアデザイン」</strong><br />
[日時]　2008年8月24日（日）　13:00～16:00（12:45開場）<br />
[会場]　<a href="http://www.tokyoartbeat.com/venue/6777B7AE">BankART Studio NYK</a> 1F (BankART Mini)<br />
[ゲスト]　小崎哲哉（REALTOKYO／ART iT発行人兼編集長）、杉浦裕樹（ヨコハマ経済新聞編集長／NPO横浜コミュニティデザイン・ラボ常務理事）<br />
<a href="http://www.tokyoartbeat.com/event/2008/23DD">イベント詳細</a></p>
<p><strong>TAB Talks #15 Featuring Yokohama Vol.2「今ここ」のダンス ～ゼロ年代コンテンポラリーダンスを再検証する～</strong><br />
[日時]　2008年9月7日（日）　13:00～16:00（12:45開場）<br />
[会場]　<a href="http://www.tokyoartbeat.com/venue/6777B7AE">BankART Studio NYK</a> 1F (BankART Mini)<br />
[ゲスト]	桜井圭介（音楽家／「吾妻橋ダンスクロッシング」オーガナイザー）<br />
<a href="http://www.tokyoartbeat.com/event/2008/5DCC">イベント詳細</a></p>
<p><strong>TAB Talks #16 Featuring Yokohama Vol.3「横浜プレゼンテーション・ナイト」</strong><br />
[日時]　2008年9月16日（火）　20:30～22:30（20:00開場）<br />
[会場]　<a href="http://www.tokyoartbeat.com/venue/B21E7D9D">ゴタンダソニック</a><br />
[内容]　「横浜トリエンナーレ2008」のフォトレポート！その他横浜で行われるイベント関係者によるプレゼンテーションを予定しています。ゲストは確定次第お知らせいたします。</p>
<p><img src="http://www.tokyoartbeat.com/tablog/entries.ja/wp-content/uploads/2008/08/yt01.jpg" width="317" class="imgcaption" /><br />
協力：BankART1929　助成：財団法人横浜市芸術文化振興財団（共にVol.1, Vol.2）</p>
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		<item>
		<title>「小袖　江戸のオートクチュール」展</title>
		<link>http://www.tokyoartbeat.com/tablog/entries.ja/2008/08/kosode.html</link>
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		<pubDate>Mon, 18 Aug 2008 07:07:36 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Aie Shimoguchiya</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[Main Article 1]]></category>

		<category><![CDATA[レビュー]]></category>

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		<description><![CDATA[江戸時代の日本人は何を着ていたのか？]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><img src="http://www.tokyoartbeat.com/tablog/entries.ja/wp-content/uploads/2008/08/kosode_17.jpg" alt="《西川ひな形》享保3年（1718年）松坂屋京都染織参考館蔵" title="" width="518" class="imgcaption"><br />
江戸時代の日本人が着用した衣服はなんと豪華であることだろう。むろん庶民層までとはいかないが、貴族階級のみならず、京・大坂などの上方や江戸の富裕な町人の間で、小袖と呼ばれる華やかな模様に彩られた衣服が流行していた。西洋の立体的な衣服とは違って、平面的な和服は、広げるとダイナミックな模様が1面に現れ、まるで1枚の絵画のようだ。それは身にまとう人を美しく見せると同時に、その人の趣味や教養を語るための意匠だった。</p>
<p>本展では、当時の小袖700点あまりが集められ、意匠の別に展示されている。意匠は大きく3つの分野に分かれ、その3つとは、松竹梅や葵、紅葉、菊、桜などの植物模様（季節感を感じさせる）、日用品を表した模様（雅な王朝文化を思わせる）、詩歌や物語を表した模様（源氏物語、伊勢物語の1場面や、文字そのものを描いたもの）であるが、なかでも日用品を表した模様は、例えば洗濯物が干された縁側や、飼い犬が駆け回る様子や、琴などの楽器が描かれ、それを身にまとう人の趣味だとか、人となりのイメージが膨らんでくるから面白い。</p>
<p><img src="http://www.tokyoartbeat.com/tablog/entries.ja/wp-content/uploads/2008/08/kosode_14.jpg" alt="《菊模様小袖》江戸時代前期　松坂屋京都染織参考館蔵" title="江戸前期に流行した寛文小袖は模様を左右非対称に配置し、左下半分に余白をとるのが特徴" width="257" class="imgcaption floatl"><img src="http://www.tokyoartbeat.com/tablog/entries.ja/wp-content/uploads/2008/08/kosode_15.jpg" alt="《楼閣庭園模様帷子》江戸時代中期　松坂屋京都染織参考館蔵" title="帷子（かたびら）は夏の暑さをしのぐため麻で単に仕立てられた正装のこと" width="257" class="imgcaption floatl"><br class="clearb" /><br />
当時の人々は、小袖をすべてオーダーメイドしていたわけだが、その際、最新流行の模様が掲載されたファッションブックである「雛形本」を参考にしながら発注したのだという。発注者は、呉服商を通して職人に作らせ、1枚が実に大変な手間と行程を経て完成する。いっけん贅沢な話のようだが、しかし小袖は、衣服として利用されたその後も形を変えて大切に保管や、きちんと再利用されるのだから道理にかなっている。例えば、襦袢へリメイクされたり、掛け軸となって飾られたり、仏具として寺へ奉納されるなどするのだが、この辺りの生活の知恵といおうか、日本人の古きエコ精神に感心させられる。</p>
<p>さて、展覧会場には、小袖以外にも気になる日用品が展示されている。なかでも衣服に香をたきしめるための道具「伏籠」や、香りを聞き分ける遊び道具「組香」は、日本人が古来から身だしなみのみならず、香りにも敏感であるという繊細な特質を物語っていよう。</p>
]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>高嶺格 「The SUPERCAPACITOR／スーパーキャパシタ」</title>
		<link>http://www.tokyoartbeat.com/tablog/entries.ja/2008/08/capacitor.html</link>
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		<pubDate>Wed, 13 Aug 2008 10:04:25 +0000</pubDate>
		<dc:creator>yumisong</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[Main Article 2]]></category>

		<category><![CDATA[レビュー]]></category>

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		<description><![CDATA[スーパーキャパシタなぜ高い？]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><img src="http://www.tokyoartbeat.com/tablog/entries.ja/wp-content/uploads/2008/08/capaciter0011.jpg" alt="オープニングビュー" title="スーパーキャパシタＴシャツ着用のスタッフ" width="518" class="imgcaption wp-image-1290" /></p>
<p>キャパシタってなに!? しかも、スーパーまでついてる。てっきり高嶺格さんの造語だと思いきや、「スーパーキャパシタ」は大容量が特徴の「電気二重層コンデンサ」のNECの商標名。ちなみに松下電器は「ゴールドキャパシタ」、アメリカでは「ウルトラキャパシタ」、他に「電気化学キャパシタ」など、いろいろな名称があるようですが、大雑把にいうとバッテリーの代用品。（キャパシタとはコンデンサ（蓄電器）の英語圏での一般名称）</p>
<p>充放電にほとんど限りがないので、超！長寿命。身近な所で言えば、たとえば携帯電話の電池パックをスーパーキャパシタにすれば、充電してもすぐに電池がなくなってしまうなんて劣化がほとんど無くなるので、とっても便利だし、お得！…と、得意げにグーグルで拾った知識を披露するのは危ないのでここら辺にしておきますが、とにかくスーパーキャパシタは石油の枯渇しつつある現代にとって素敵な蓄電システムのようです。</p>
<p>そんな夢のような蓄電システムですが、（原料は活性炭なので）原価は安いはずなのに、なぜか販売価格が高いのです。そのために普及率は上がりません。「安価で無害で、長寿命。普及すれば世界は変わる。」しかし普及は価格によって阻止されている。それを高嶺格さんが「なぜ高い？」と、この展示で疑問をなげかけつつ、スーパーキャパシタをブランド化することによってその存在を私たちにアピールしています。</p>
<p><img src="http://www.tokyoartbeat.com/tablog/entries.ja/wp-content/uploads/2008/08/capaciter0023.jpg" alt=" " title="展示風景" width="517" class="imgcaption wp-image-1292" /></p>
<p>今回の展示で、高嶺格さんは「なぜ高いのか？」の答えや、答えに導くようなイメージを打ち出していません。ただ、「なぜ高い？」と疑問を投げかけているだけです。作品にはスポーツメーカーや自動車メーカーのロゴが光り輝いているので、「きっと、企業の利権が絡んでいるのね！」と思いきや、企業ロゴがタイプできるフリーフォントで「スーパーキャパシタ」とタイプすると、スズキやチャンピオンなどの企業ロゴが出てきたので使用しただけ、だそうです。</p>
<p>ナイキ、マクドナルド、コカコーラ、マイクロソフト…など企業イメージが現代美術で扱われる時は、消費社会へ対する批判や警告が多いので、まるで刷り込みのように、企業ロゴが扱われたら警告だと思え！と反応してしまうのを、からかわれたような気がしなくもないですが、作家いわく「意味はない」そうです。「原価は安いが、電極の加工に手間がかかって高価格」との情報もありますが、「なぜ高い？」の答えはそれなのか、当初の私の勘違い通り企業の利権が絡んでいるのか、複合的な違う理由なのかわかりませんし、高嶺格さんも答えを出すための展示をしていません。「なぜ高い？」という疑問を投げかける形でスーパーキャパシタという存在をアピールするだけです。</p>
<p>スーパーキャパシタをキャラクター化し、携帯待ちうけ、カーペット、Tシャツなどで日常消費したくなる作品たち、ペンタゴン型の取り外し可能なユニークピース、限定数のシルクスクリーンなどなど。スーパーキャパシタをブランド化することで、作品の所有欲、購買欲が喚起させられます。そんなショーウィンドウを見ているような気分にさせるインスタレーションは、スーパーキャパシタを「普及」させるために、作品も「普及」しやすい形をとっているのかもしれません。</p>
<p><img src="http://www.tokyoartbeat.com/tablog/entries.ja/wp-content/uploads/2008/08/capaciter003.jpg" alt="" title="オープニングビュー" width="518" class="imgcaption wp-image-1293" /></p>
<p>私たちは食物と同じように、電力がなくては生きていけません。枯渇しつつある石油や、緑化を上回るCO2の排出に憂いつつも、消費しなければ生きていけません。自分では望んでいないのに、自分の手の届かないところで地球は動いているようにも感じます。本当はスーパーキャパシタのブランド化よりも、そんな現実を「仕方ない」とか「あいつらが悪い」と言う代わりに、「夕飯に並べる小さな野菜をプランターで作るように、少しでも手の届くところに電力を確保できたらいいな。」「これからは食物と同じように電力も個人が手入できるようになればいいな。」とつぶやきたいので展示をしているようにも見えました。</p>
]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>TOKYO ART SPACE SERIES vol.2：Art Center Ongoing</title>
		<link>http://www.tokyoartbeat.com/tablog/entries.ja/2008/08/artspace0.html</link>
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		<pubDate>Thu, 07 Aug 2008 15:38:15 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Baba Shinichi</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[Main Article 3]]></category>

		<category><![CDATA[TAB ビデオ]]></category>

		<category><![CDATA[インタビュー]]></category>

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		<description><![CDATA[現在進行形、かわりつづけるアートスペース]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>ビデオ取材をもとにアートスペースの魅力をお伝えする新シリーズ！<br />
第二弾は吉祥寺の <a href="http://www.tokyoartbeat.com/venue/685EA742">Art Center Ongoing</a> です！</p>
<p><object width="425" height="344"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/q8LRC0gcnpg&#038;hl=ja&#038;fs=1"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></param><embed src="http://www.youtube.com/v/q8LRC0gcnpg&#038;hl=ja&#038;fs=1" type="application/x-shockwave-flash" allowfullscreen="true" width="425" height="344"></embed></object></p>
<p>ギャラリースペース、アートブックが閲覧できる交流の場としてのカフェ＆バースペース、独自のネットワークにより編纂した広範なアーティスト情報を提供するライブラリースペースの３つを併設する複合的なアートスペース。</p>
<p>[取り扱いアーティスト]<br />
井出賢嗣　鮫島大輔　浅井裕介　山本篤　柴田祐輔　多田玲子　東野哲史　和田昌宏</p>
<p>[開館時間]<br />
12:00〜23:00<br />
カフェ　〜22:30(ラストオーダー)<br />
ギャラリー　〜21:00<br />
月・火　休館</p>
<p>[アクセス]JR中央線・京王井の頭線吉祥寺駅北口より徒歩９分 </p>
<p>[住所] 東京都武蔵野市吉祥寺東町１−８−７</p>
<p>[電話] 0422-26-8454</p>
]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>[ SKIPシティDシネマ映画祭 ] ジャン・ルイ・ミレジ インタビュー</title>
		<link>http://www.tokyoartbeat.com/tablog/entries.ja/2008/08/skipcitydcinemafes01.html</link>
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		<pubDate>Wed, 06 Aug 2008 14:57:40 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Yoshioka Rie</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[インタビュー]]></category>

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		<description><![CDATA[国際コンペティション 長編部門 審査員特別賞受賞作品「リノ」監督]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>7月19日から27日の9日間に渡り開催されたSKIPシティ国際Dシネマ映画祭2008。<br />
最終日には、長編・短編コンペティション部門の授賞式が行われ、無事閉幕を迎えました。海外75カ国、693作品の応募があった長編部門（国際コンペティション）はプロデューサー、ダニー・クラウツ氏、300作品の応募があった短編部門（国内コンペティション）は俳優、高嶋政伸氏を審査員長に迎え審査が行われました。<br />
<a href="http://www.skipcity-dcf.jp/index.html" title="SKIPシティ国際Dシネマ映画祭2008オフィシャルサイト">＞＞受賞結果はこちらから</a></p>
<p>監督インタビュー第一弾は長編部門において審査員特別賞受賞、ジャン・ルイ・ミレジ監督にお話を伺いました。<br />
<img src="http://www.tokyoartbeat.com/tablog/entries.ja/wp-content/uploads/2008/08/skip_m.jpg" width="518" class="imgcaption" /><br />
脚本家として長いキャリアをもつフランス出身のミレジ監督。今回自らがメガホンをとった受賞作品「リノ」は若い恋人の死を境に、残された血のつながらない２歳の男の子リノの世話を引き受けなくてはいけなくなった丸いおなかの中年男性が主人公。くったくのない笑顔で「パパ」への愛情を表現する子どもにとまどいながらも、確かな愛情が芽生えていく姿を、やわらかなひかりの中で穏やかな音楽にのせて描いた作品です。</p>
<p><b>— 役者の男の子も脚本の設定と同じくまだ２歳ということですが、幼い子どもを物語の主要人物として撮影を進行するのは行動の予測ができず難しいと思います。<br />
シナリオは最初からできていたのですか？</b></p>
<p>物語の骨組みはできており、大人同士のシーンはすぐにシナリオ書きし撮影に入りました。しかし子どもとのシーンをどのように表現していくかは撮影に入った段階からつめていきました。<br />
<img src="http://www.tokyoartbeat.com/tablog/entries.ja/wp-content/uploads/2008/08/skip_lino.jpg" width="518" class="imgcaption" alt="© ジャン・ルイ・ミレジ   2008年／フランス／83分" /></p>
<p><b>— 主人公の男性は監督自らが演じ、子どもは実の息子さんですね。<br />
なぜ今回幼い彼にスポットをあてたストーリーに取り組まれたのでしょうか。</b></p>
<p>今回「リノ」を撮影しようと思い立った理由は、２歳の歳を生きる息子リノに興味をもったのでこの年齢のときに撮影し残したいと思いました。<br />
子どもをもつということは大変なことであり、子どもを愛するということはとても大変なことです。男性が子どもから受ける愛にとまどう、この難しいシチュエーションを表現したかったのです。<br />
与える愛、受け取る愛、その双方向の関係性をもっていると思うんですよね。そして愛されるより愛するほうが簡単だと思います。子どもが与えてくれる愛は他に類をみないものだと思っています。</p>
<p><b>— 私はまだ子どもをもったことがないからなおのこと、無垢の愛を表現してくる子どもに戸惑いを見せる男性の姿は、女性の自分自身にも重なりました。映画の中では、子どもが親に愛を伝えようとするまさに純粋な姿が描かれていると感じました。</b></p>
<p>そのように描けているなら幸いです。</p>
<p><b>— さて、今回はデジタルメディアで撮影された作品を対象にしたコンペティションでした。<br />
フィルムではなくデジタルメディアで撮影するということについてはどのようにお考えですか？</b></p>
<p>まず、経済的な側面では資金的なことを考えるとフィルムでは今回制作できなかったと思います。</p>
<p>つぎに、芸術的な側面から述べますと、デジタル撮影ということでしばしば制約がうまれます。<br />
しかし、私はこの制約をプラスにとらえなくてはいけないと考えています。<br />
フィルムは光に対してしなやかに反応するのが特徴です。光のコントラストを美しく再現します。</p>
<p><b>— 今回の撮影ではその違いはどのように現れていますか？</b></p>
<p>例えば今回の映画では、窓際で男性がズボンをアイロンでプレスしているシーンがありますが、デジタル撮影した場合、窓の向こうの景色はぼやけてしまい、何があるかわからなくなってしまっています。しかし私はやわらかい印象の映像も好きですし、ここには大きな表現の自由があると思っています。</p>
<p>また撮影にも時間がかからないので、今回のような幼い子どもを撮影するにあたっては、時間の利点とまた、カメラも小さいので自然に撮影できたのでよかったです。</p>
<p><b>— 不都合なことは特にありませんでしたか？</b></p>
<p>今回に関しては不便に感じることはありませんでした。<br />
映画というのは、限られた資金の中で制作しなければいけないのですが、だからといって資金があった場合どのような映画になったかは想像できません。</p>
<p><img src="http://www.tokyoartbeat.com/tablog/entries.ja/wp-content/uploads/2008/08/skip_ms2.jpg" width="400" class="imgcaption floatl" /><b>— 映画をつくるということは、監督自身にとってどういう意味をもつことなのでしょうか。</b></p>
<p>すごく難しい質問ですね。<br />
私は映画づくりに大きな情熱をもっています。これまで私は自分自身が語りかけることはある人には興味をもっていただけるにちがいないと信じてきました。<br />
脚本を書いたり、映画を撮影したり、私の人生はそれらを抜きに考えることはできません。</p>
<p><b>— 抽象的な質問になると思うのですが、監督にとって映画づくりというのはアートですか？</b></p>
<p>この問いは私自身もよく考えます。<br />
ただ、私は絵画や書籍といった表現活動と映画づくりは同じレベルにおくことは難しいと思っています。<br />
映画というのは、芸術性をもっているのと同時に経済性ももっています。そのため、その経済性からうまれる問題が芸術性に悪影響を与えるのではないかと思っています。</p>
<p>今回の「リノ」のような低予算映画はより芸術的な分野に近いのではないかと思っています。<br />
映画は多くの人や技術者が関わってくる表現活動であって、例えば画家が一枚のキャンバスにむかうこととは異なるものではないかと思います。<br />
<br class="clearb"><br />
<b>— 最後に今回の映画祭に参加されての感想をお聞かせください。</b></p>
<p>様々な映画祭に招待していただく機会がありますが、このようなあたたかい歓迎を受けたのははじめてでした。<br />
しかし、私がこれまで見てきた映画祭はもっと若い観客が多かったので、今回年齢層が高いことに驚きました。他の映画祭は学生が多く、大方３０代までくらいの方が多いと感じています。<br />
非常に質の高い映画祭だと思うので、今後もっと知名度があがっていってほしいと思っています。</p>
<p><b>作品の中ではリノくんをものすごい剣幕で怒鳴り泣かせるシーンも演じたミレジ監督。目尻のさがるやさしい笑顔はもっぱら観客をとりこにさせたキュートなリノくんのお父さんの顔でもありました。<br />
審査員特別賞受賞おめでとうございました。ありがとうございました！</b><br />
<img src="http://www.tokyoartbeat.com/tablog/entries.ja/wp-content/uploads/2008/08/skip_kaijo.jpg" width="257" class="imgcaption" title="映画祭事務局提供" /></p>
]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>Art Map 第3号が発行されました！</title>
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		<pubDate>Wed, 06 Aug 2008 08:13:01 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Paul Baron</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[TAB News]]></category>

		<category><![CDATA[ニュースより]]></category>

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		<description><![CDATA[お待ちかねのアートマップ8-9月号がついに発行されました。東京の人気50イベントに加え、9月より開催される横浜トリエンナーレのプレビューを掲載。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><img src="http://www.tokyoartbeat.com/tablog/entries.en/wp-content/uploads/2008/08/map3_top.jpg" alt="アートマップ 第3号　8-9月号" title="デザイン：AQ、カバーデザイン：Ryan Ruel" width="518" class="imgcaption" /></p>
<p>もう街でご覧になりましたか？300カ所以上で10万部弱が既に設置されています。</p>
<p>素敵な表紙でしょう？国際的なアート作品群が、横浜の港町にどんぶらこっこと押し寄せ、コンテンポラリーアートが２ヶ月半にわたって、ヨコハマの街を覆いつくします。</p>
<p>横浜トリエンナーレって何？とお思いの方、このマップがその質問に答えてくれるでしょう。トリエンナーレの説明、そのコンセプト、トリエンナーレと街を満喫するための一口ガイド、そして横浜のどこで何が行われるかなどをマップつきで紹介しています。<br />
また同時に、ほか都内９エリア（六本木、表参道、原宿、銀座、渋谷、新宿、京橋、上野、清澄白河）で行われている40以上の展覧会もこのマップでご覧いただけるでしょう。</p>
<p>お忘れなく、このマップは無料・バイリンガル・ポケットサイズです。そしてこの夏をエンジョイするのに欠かせないツールです！</p>
<p>マップのPDFバージョンをA4サイズでプリントするには<a href="http://www.tokyoartbeat.com/resources/images/Artmap.pdf.zip">こちら!</a></p>
<p>現在、個別にマップの紹介ページを作成中、今月中旬に公開の予定です。<br />
また、次号（10-11月号）の広告も募集中です。ご興味がおありの方は contact@tokyoartbeat.com までお問い合わせ下さい。</p>
<p><img src="http://www.tokyoartbeat.com/tablog/entries.en/wp-content/uploads/2008/08/map3_2.jpg" alt="アートマップ 第3号　8-9月号" title="デザイン：AQ、カバーデザイン：Ryan Ruel" width="518" class="imgcaption" /></p>
]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>「アトミックサンシャインの中へ」渡辺真也・照屋勇賢インタビュー vol.2</title>
		<link>http://www.tokyoartbeat.com/tablog/entries.ja/2008/08/interview_atomicsunshine2.html</link>
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		<pubDate>Sat, 02 Aug 2008 09:00:58 +0000</pubDate>
		<dc:creator>yumisong</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[Main Article 3]]></category>

		<category><![CDATA[インタビュー]]></category>

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		<description><![CDATA[美術という領域で交換しあう、私たちの終らない歴史]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>― 前回の<a href="http://www.tokyoartbeat.com/tablog/entries.ja/2008/07/interview_atomicsunshine1.html" title="アトミックサンシャインの中へインタビューvol.1">「アトミックサンシャインの中へ」インタビュー</a>の第二弾です。</p>
<p><b>【自分の中の創造性】</b><br />
<img src="http://www.tokyoartbeat.com/tablog/entries.ja/wp-content/uploads/2008/08/atomic_ty.jpg" width="518" class="imgcaption" alt="照屋勇賢氏"><br />
<b>橋本誠</b>（TAB/以下・橋本）：展覧会と少し切り離して自分の中の創作活動と考えた時に、一貫したものはありますか？</p>
<p><b>照屋勇賢</b>（以下・照屋）：気をつけるのは、とりあえず今は制限しないでおこう。出てきたアイディアはとりあえず形にしていこう。一時期は、「どういう制作スタイルが自分なんだろう。」ってすごい混乱して。考えたくない、見たくないって、疲れちゃうんですよね。だから今は、認めつつ、出していいやって。できる範囲で自分らしいものをって。二つ似たようなアイディアがあったら、こっちだなって。そういうことは出来る範囲でやっていますけども。</p>
<p>注意しようとしているのは、日常の、実際の生活と近い繋がりがある、印象やモノが作品に持ってこれるように。《さかさまの日の丸》にしても、『<a href="http://www.tokyoartbeat.com/event/2008/EEC3" title="アートスコープイベント詳細">アート・スコープ</a>』で出した包丁《Dawn (Knife)》も、身の回りにあるものだし。《The Giving Tree》も絵本（The Giving Tree　著：Shel Silverstein）がちゃんとあったり。</p>
<p>自分の創造性って、無い中で 何か、無いものから作るっていうより、あるモノが材料が形を変えずにある程度、形を残した状態で存在しているっていう、結果的にそこに違うフレーバーを与えたり、違う視点を突きつけられるような制作方法は一貫しているんじゃないかと思います。</p>
<p>移動する過程でみえるズレや矛盾みたいなものを、うまく面白く、魅力的なものに出来たらなと思います。それは意識しています。<br />
<img src="http://www.tokyoartbeat.com/tablog/entries.ja/wp-content/uploads/2008/08/atomic_yuken2.jpg" width="518" class="imgcaption" alt="《Dawn (Knife)》"><br />
<b>【ユニバーサルな世界へのアプローチの仕方】</b><br />
<b>ユミソン</b>（TAB）：アメリカでの展示と、日本での展示は意味合いが違うと思いますが、日本とアメリカの展示の立ち位置の違いを教えてください。</p>
<p><b>渡辺真也</b>（以下・渡辺）：基本的に全く同じですね。カタログとかプレスリリースは同内容でやろうと思っていて。プレゼンテーションをする時も全く同じことを喋っていますね。この「アトミックシャンシャイン」というタイトルをつけたのは、アメリカ人に少しでも興味を持ってもらうために、被爆と平和憲法を、ある種セットにしたかったんですね。それっていうのは、もしかしたら日本では少し強引かもしれない。</p>
<p>21世紀における文化を考えた時、これからどんどん世界はユニバーサルなものになっていくと思うんですよね。みんなが考えることとか、全ての人が理想と思うようなものがスタンダードなものになっていくと思うんですよね。</p>
<p>そういう時に、場所が違うから立ち回りを変えるってのもあるかもしれないですが、出来るだけ変えないでやりたいなって思っていて。キュレーターというのは交通で、何か差異がある時にそこ道路を作って流れていくのが、できればいいなと思っていて。</p>
<p><img src="http://www.tokyoartbeat.com/tablog/entries.ja/wp-content/uploads/2008/08/atomic_torii.jpg" width="257" class="imgcaption floatr" alt="下道基行《無題（鳥居）》"><b>照屋</b>：これは美術展だっていうことを考える。コンテクストだけ一人歩きしないで、結果的に昇華されたらいいなって思うけど。例えば、なんか鳥居の写ったすごい美しい風景（下道基行《無題（鳥居）》）が並べてあって。右翼のような男が演説しているようなインパクトのある映像（森村泰昌《なにものかへのレクイエム-Mishima》）もあるし。</p>
<p>美しいものをキレイに配置したい。そういう、日本語や9条やコンテクストがわかんなくても、「これは面白い」って展示にするのが、アメリカでは特にそういうのが重要になってくる。関係ない人たちもやってくるし、興味のない人たちもやってくるし。プラス、売れる可能性が高いんですよ、アメリカでは。そういう意味でのマーケティングのことも考えなくちゃいけないし。</p>
<p>販売の事は、特にアメリカでは無視できない問題で。ニューヨークって場所はエデュケーショナルな部分以外のことも、同時に考えていかなくちゃいけない。</p>
<p><b>ユミソン</b>：この展覧会のチラシには憲法の前文がデザインされていて、展示内容がわかりやすい分、政治色が強くて拒絶される危険があるとおもいますが？</p>
<p><b>渡辺</b>：可能性はあると思います。実は、ニューヨークでも、比較的年配の方々が、私に対して怖い顔して、「おまえは極右か」と聞く時と、「お前は共産党員か」と、（対極した内容の）両方聞かれることがあって。面白いなーと思って。「なんなんだ、これは？」って。それは、彼等の内部のリフレクションなんだよね。彼等にとって私は完全に他者を映す鏡みたいなモノになっていると思うのです（笑）。</p>
<p>勘違いされるかもしれないのをあえて言うと、私は憲法9条は理想ですし、あった方が良いなとは思いますが、それを訴えることが最大の目標ではなくて。みんなちゃんと準備しておいたほうがいいよ、知っておいた方がいいよって。いずれ日本が選択を迫られたときに、一人一人が自分で考えられるようにしておいた方がいいなって。</p>
<p>そして、皆様からの質問への答え方に関しては、できるだけ丁寧にお話するようにしています。<br />
<img src="http://www.tokyoartbeat.com/tablog/entries.ja/wp-content/uploads/2008/08/atomic_morimura.jpg" width="518" class="imgcaption" alt="森村泰昌《なにものかへのレクイエム-Mishima》"><br />
<b>ユミソン</b>：「お前なんかつぶすぞ！」などの反応もあると思いますが、単純に怖いですか？また、自分のフラストレーションを発散するために攻撃してくる人たちへの対処法は？</p>
<p><b>渡辺</b>：怖いですよ、脚力を鍛えて逃げるしかないですよ！(笑)</p>
<p><b>照屋</b>：そういう意味でも、展示会をどう魅力的にするのかって、問われるんじゃないかな。真正面からいくのもあるけど、他に気を紛らわす。そこを開けてみたら、結果的に9条の展示を観てた、みたいな。</p>
<p>あと、ただこれは政治活動じゃなくて、芸術活動であって。そして、じゃあその芸術活動ってなんなんだって聞かれたときにそれの答えも用意してなくちゃなんないし。じゃあ、「政治」活動じゃなくて「わーわーわー」活動です。て。わーわーわーの内容が面白いものだったら良いんじゃないかなって。</p>
<p><b>ユミソン</b>：今の現段階で持っている「わーわーわー」の内容は？</p>
<p><b>照屋</b>：わーわーわー。（笑）</p>
<p><b>【近代の「国民」「戦争」の位置づけ】</b><br />
<b>渡辺</b>：私は近代の問題を扱いたいと思っていて。そもそも、「憲法というのが国民というネーションを規定することができるのか？」っていう問いに私は興味があって。</p>
<p>私はその近代の問題というのをコンテクスト化して、芸術作品として考えていきたいと思っているんですよね。だから私は、それを政治活動として考えていなくて、近代の問題を扱う芸術活動として捉えています。</p>
<p><b>ユミソン</b>：展覧会の副題ですが、「敗戦後」じゃなくて、「戦後」とうたっているんですね。</p>
<p><b>渡辺</b>：まず、最初にアメリカで開催することを凄く意識しました。アメリカじゃ、「POST WAR」って言葉も、「POST WAR ART」って言葉もほとんど使われないんですよ。それは、アメリカはずっと戦争をしてたんで、「戦後」がないからですよ。</p>
<p>私があえて戦後の「POST WAR ART」ってのを言いたかったのは、この中にも願いが込められていて。「戦争は終った、これから戦争は来ない」って事を前提に、戦後を生きてきたと思うのだけれども、私は日本は今、「戦前」だと感じてしまうのです。つまり、また戦争が始まるのだろうと。そういうときにあえて、「戦後」って言葉を使って戦後美術を考えようと。そして、日本には「戦後」って言葉があるんだってことをアメリカに言いたかったわけですよ。それはレクチャーで言うようにしています。そういう立ち回りはしています。「戦後」ってすごい言葉だと思います。</p>
<p><b>照屋</b>：「戦前」ってのも、すごい言葉だよね。</p>
<p><b>ユミソン</b>：ある意味では「戦中」ですよね。日本はいろいろな事に加担してますよね。私の何気なく使ったお金が、誰かを殺す武器のお金になってたり。だから、「常に私は誰かを殺してしまっている。」と思うようにしています。</p>
<p><b>渡辺</b>：実は、作曲家の高橋悠治さんをパネルディスカッションに呼びたくて、今まで丁寧にやりとりしていて。結局、断られてしまったのですが、その時に彼は、こんな感じのことをおっしゃっていました。</p>
<p>日本国憲法9条は語れないものであり、語るということ自体がリアルポリティックスに巻き込まれて、改正しなくてはならない、ということになるだろう、と。さらに、そもそも日本国憲法とヨーロッパにおける憲法は違うものだ、と。ユダヤ教の「汝、殺すなかれ」っていうのは戒律であり、契約である、しかしブッタが「不殺生」って言ったときに、それは「できるだけ生き物を殺さないようにしましょう。」というほぼ不可能なものに対する前向きな目標、さらに死に行く生き物への哀れみがある、と。さらに彼は、蚊に刺されて、それをはたくと手に血が付いている。それを観たときに「あぁ殺してしまった。」っていうちょっとでも後ろめたさを日本人は持っている。それが不殺生であり、9条の源流ではないか、と。実際に私はヨーロッパ人やアメリカ人に、蚊を殺して後ろめたい気持ちがあるか、と何人かに聞いたのですが、誰も「思わない」って。これは面白いなって。</p>
<p>高橋悠治さんは、9条はパネルディスカッションで話すことが出来ないものだから、僕は参加しません、という意見を伺いました。しかし、もうこういう考え方をできる若い人って、日本にはほとんどいないですよ。知恵って言うか。歴史っていうか。</p>
<p><b>橋本</b>：そういうエピソードも含めて、展覧会ですよね。</p>
<p><b>ユミソン</b>：勇賢さんは自分の中に3つ人種がありますか？沖縄人、日本人、アメリカ人。気がつかないうちに使い分けてしまったりするかなと思って。</p>
<p><b>照屋</b>：使い分けてないけど、どことも距離があるかもしれない。沖縄に関しても、距離というか…自分は沖縄人じゃないと思った時も、日本人じゃないって思った時も、ニューヨークに住んでいながら、ニューヨークの人じゃないと思った時も。だから、そういう意味では使い分けているのかもしれないけれど。視点は変わると思う。それは自分の活動に活かしていると思うし、何かを発見するキッカケになっていると思う。</p>
<p><b>ユミソン</b>：それは、どうやって活かしているんですか？「自分の居場所はここじゃない」って苦しくて、それを昇華するためとか…いろいろとあると思うんですが。</p>
<p><b>照屋</b>：苦しい時期ってあったよ。20代前半は結構それで苦しんだし。でもある日、もう一つ加えることができた。日本人と沖縄人の間に、自分が出てきた。「照屋勇賢」。</p>
<p><b>渡辺</b>：それはなんで？</p>
<p><b>照屋</b>：自分にしかできないことが出来るんじゃないかと思ったり。それを見つけることで、どっちとも距離を作ることができるし。苦しい時期はあったし、絶対その経験から活かされているものもあったし。あと、いい加減なところも。</p>
<p>なんて言うのかな。あえてやりっぱなしにするとか。出して、あえて無責任な状況を設定するとか。投げ捨てて、返ってきたものを確認する作業をするとか。でも何か作りださないといけないなって状況はあるし。内に隠すよりかは、出した方がもっとシンプルな感じで出てくるケースが多いし。その辺は上手に利用しているかもしれない。</p>
<p><b>ユミソン</b>：例えば原美術館で開催している『アート・スコープ』で出品していた照屋勇賢と、アトミックサンシャインで出品している照屋勇賢だと、（後者の方に）「あぁ沖縄の人だ。」って思わせてしまうものがあると思うのですか？</p>
<p><b>照屋</b>：（思いついたように）あります。あります！使い分けてる。戦略的に使い分けてる（笑）。東京での展示会は、かなり沖縄人の視点を持ってきている。たとえば2002年の『VOCA展』の時、2004年の『<a href="http://www.tokyoartbeat.com/event/2004/23C6" title="第２回府中ビエンナーレ概要">府中ビエンナーレ</a>』の時、さらに1996年に『アトピックサイトーオンキャンプー／オフベース』展（<a href="http://www.artgene.net/dictionary/cat6/post_592.html">※アトピックサイト展について</a>）で出品した作品は、完全に沖縄（からの視点）を持ってきてる。利用した、その場を。それこそ「美術展」ということを言い訳に、ポリティカルな作品を密輸する…作品を密輸するための美術展だった。</p>
<p>それはナショナリズムを屈折させることだけじゃなくて、展覧会そのもののテーマや世界観を同時に削ぐというか、疑わせるのが作品にはあるんですけれども。というのも、沖縄の情報っていうのはあまりにも…もちろん報道はされていますが…温度差があるってずっと感じていた。それをどうやって明るみに持ってくるかっていう。そういう戦略はかなり考えていた。そういう意味では、沖縄人としての東京での立ち位置を持っているかもしれない。</p>
<p><b>ユミソン</b>：作品が（ポリティカルな意味で）濃くなっていくと、次からのオファーもポリティカルなものばかりになってしまうのではないかとの怖さはありますか？</p>
<p><b>照屋</b>：そうですね。彼（渡辺）に誘われるのも2回目ですよ（笑）。</p>
<p><b>【問題を、どう問題として捉えるか】</b><br />
<img src="http://www.tokyoartbeat.com/tablog/entries.ja/wp-content/uploads/2008/08/atomic_ws.jpg" width="518" class="imgcaption" alt="渡辺真也氏"><br />
<b>ユミソン</b>：足かせと言うか、悪い妄想から自分を解放する方法はありますか？</p>
<p><b>渡辺</b>：勉強していくと自然と（妄想は）取れていく。いろんな神話ってあるじゃないですか？それってほとんどニセモノだから。それこそ靖国なんていい例で。靖国問題というのも、自民党が自由党と民主党が一緒になったときに、保守層を取り込むためにアメリカが持ち出していたり。それが今でも続いていて。そういうことを勉強していくうちに、いろんな二項対立が自分の中で外れていって。</p>
<p><b>照屋</b>：やっぱり個にならないといけないなって。今、サミット前で警察官が散弾棒（警棒）を出したままで歩いていて。たまたま友だちと2人で歩いていた時にそれを見て。それを止めてくれって言いたかった。非常に不快だし、アマチュアに見えるし、人を撃つ前提としか見えない。でも、誰か人がいると言えない。気を使ってしまって。巻き込まれる時に。あとは、いろんな弱さみたいなのも出てきているのかもしれない。</p>
<p>そして、一人でいた時に同じような状況になったんですけれども。そういう時は「自分に正直にならなくちゃいけない」って声が少し高くなるので、思い切って警察官に聞いてみたい、でもやっぱり怖い。なぜなら、一対何万とかって…つい思ってしまうし、あとは変な絶望感が。</p>
<p>彼がユニフォームを着ている以上、彼がわかってもその先なにも行かないだろうなって。そんな風につい思ってしまう。でもその時にもうちょっとがんばろうって思うのは「自分に正直になろうって」考えること。「あぁ、何も言わなかったな」って「今晩寝て、明日聞こうかな」って、そんな風に持っていくのがイヤで、それでがんばって振り戻って聞いてみたら、向こうの事情も色々あったり、個人の意見がかえってきたり。</p>
<p>彼が答えたのは、「秋葉原の事件があったから、その時に対応できるように散弾棒を携帯して…」って。だから僕は「じゃあみんな刃物を持って歩いているって、思っているんですか？」って。「いや、そういう訳じゃないんですけれども、いざそういう状況になったときに、刺されてはいけないって。」もうちょっとツッコミがいのある答え方だったんだけれども。</p>
<p>でも理解してもらえるし。結局上からの命令なんだなって、感じて。でも少なくてもそういう会話があったってことで、少なくてもあの日は納得いくし。一個人の意見がそこにあるのも大切だと思うんですよね。数的には全然かなわない相手だとしても。</p>
<p>そういう意味では、たまには沖縄の人、「うちなんちゅ」っていうことを自分で隠してしまうことってあるけれども、いざって言うときに、立ち向かうときに、個人にならないといけない。逆に個人になる訓練をしてきたと思うんですよ。ちっちゃい自分の意見を言おうって。この《さかさまの日の丸》もそうだし。そういう勇気を自分のなかに少しずつ作ってきたと思う。</p>
<p><b>ユミソン</b>：そうですね。</p>
<p><b>照屋</b>：沖縄のテーマで作品を作っていた時に「沖縄生まれでラッキーだったね。」と言われたことがあって。「話題になる、作品になるネタがあって、ラッキーだね。」って言われます。</p>
<p>それに真っ向に答えたら意味無いなと思って。その時にどういう答え方をしたかは覚えてないんですけれども。でもこれ（この展覧会）って明らかに問題だと思うんですよね。だけど、問題じゃないといえば問題じゃないかもしれない。</p>
<p>ただやっている本人も周りの人も、少し足元を踏み外すことで、問題からテーマが見つかることって、確かにありえるなって、でも、ある意味、自分の考え方を切り替えているところもあると思う。自分の正義を。これは社会にいいんだって。</p>
<p>でも実は非常に個人的であってもいいんじゃないかなって思う。たまにまとめきれない時がある。その辺も元々、作品を表現する、作るきっかけ。たまたま9条っていうのを選んだり、関わったり。「それ（問題）が無ければ、あなたはどういう展示をしているのか」って。そういうことを（渡辺）真也はどう考えるのかって。</p>
<p><b>渡辺</b>：でも問題って今、山積みだと思うんですよ。例えば東京で、私達の友人がリストカットで自殺をしたとしましょう。しかし、それにはある種の予備軍みたいな人がいたりする。大きな社会的パースペクティブなものにもって行くと、その理由がレイヤーとしてあったりする。それがすべての表現の源とは言わないですけれども。私は得意分野で行くと、コンテクストで作品を飾りたい。</p>
<p><b>照屋</b>：（渡辺）真也みたいに「問題山済みじゃないですか！」ってはっきり言う強さも大切で。すり替えた問題に真っ向から答えていくんじゃなくて、もっとシンプルなやりかたで。「いや、これは問題なんだ。あきらかに問題じゃないですか」って、ぱっと受け入れられる会話も存在する。理論で全部おき変えるんじゃなくて、あるものをそのまま認めていくこと。あるものをそのまま大きな言葉にして。ぽーんって、後はその人の想像力にまかせる発言も最近は非常に重要だなって。憲法9条ってのも、真也のシンプルな答えをポーンと出すことで。</p>
<p><b>渡辺</b>：憲法9条は理想ですから（笑）。</p>
<p><b>ユミソン</b>：最後に展覧会に向けて、TABを読んでいる画面の向こうのみなさんへメッセージを。</p>
<p><b>渡辺</b>：今年の夏休みは、アートの夏休み（ニッコリ）。夏だ！アートだ！9条だぁ！ </p>
<p><b>ユミソン</b>：えぇ!? いきなりそんな軽めでよいんですか!?</p>
<p><b>渡辺</b>：ぜひみなさん展示をご覧になってくださいね（ニッコリ）。</p>
<p>収録：2008年7月5日　<a href="http://www.tokyoartbeat.com/venue/586B06DE">アトランティコギャラリー</a>にて</p>
<hr /></hr>
<p>勘とバランス感覚の良さがキラリと光る受け答えで、とても興味深いお話が聞けました。暑い日差しの中でのインタビュー、ありがとうございました！</p>
<p>&#8211;<br />
「アトミックサンシャインの中へ　日本国平和憲法第九条下における戦後美術」オフィシャルサイト<br />
<a href="http://www.spikyart.org/atomicsunshine/" title="「アトミックサンシャインの中へ　日本国平和憲法第九条下における戦後美術」オフィシャルサイト">http://www.spikyart.org/atomicsunshine/</a></p>
<p>照屋勇賢＠Gallery TAGBOAT（売上の一部が展覧会の運営資金になります）<br />
<a href="http://www.tagboat.com/contents/select/vol91_teruya.htm">http://www.tagboat.com/contents/select/vol91_teruya.htm</a></p>
<p>照屋勇賢による「コレクターインタビュープロジェクト vol.1：名嘉原トモ子さん」<br />
<a href="http://www.tokyoartbeat.com/tablog/entries.ja/2008/07/collector01.html">http://www.tokyoartbeat.com/tablog/entries.ja/2008/07/collector01.html</a></p>
<p>ユミソンによる「アート・スコープ 2007/2008」（照屋勇賢出品）レビュー<br />
<a href="http://www.tokyoartbeat.com/tablog/entries.ja/2008/07/artscope20072008.html">http://www.tokyoartbeat.com/tablog/entries.ja/2008/07/artscope20072008.html</a></p>
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		<item>
		<title>上田義彦「骨と石器」</title>
		<link>http://www.tokyoartbeat.com/tablog/entries.ja/2008/07/bones_and_stonewares.html</link>
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		<pubDate>Wed, 30 Jul 2008 16:47:39 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Wataru Otsuka</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[Main Article 3]]></category>

		<category><![CDATA[レビュー]]></category>

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		<description><![CDATA[写真表現のゼロ地点]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><img src="http://www.tokyoartbeat.com/tablog/entries.ja/wp-content/uploads/2008/07/ueda_9948.jpg" alt="展示風景" title="" width="500" height="333" class="imgcaption" width="500"/><br />
上田義彦は1957年生まれの写真家。サントリー烏龍茶や伊右衛門、資生堂など広告写真の世界で活躍する一方、ネイティヴアメリカンの森を題材にした『QUINAULT』（1993）、一輪の花に向き合った『FLOWERS』（1997）、そして自身の家族の姿をモノクロームで収めた『at HOME』（2006）など、個人としての作品集も積極的に発表してきた。</p>
<p>そんな上田のターニングポイントの一つとなったのは、今から約一年半前に東京大学総合研究博物館で開かれた「東京大学コレクション——写真家上田義彦のマニエリスム博物誌」展だろう。動物の剥製や骨、貝殻など、東京大学の所蔵する学術標本を撮影したこの展覧会の成果は、のちに作品集『CHAMBER of CURIOSITIES』（2006）としてまとめられ、高い評価を博する。上田にとってこの企画は特別な意味を持っていたようだ。標本撮影のプロジェクトはその後も継続され、今年になってからはさらに二つの写真集が出版されている。</p>
<p><img src="http://www.tokyoartbeat.com/tablog/entries.ja/wp-content/uploads/2008/07/ueda_stoneware1.jpg" alt="《石：Handaxe》" title="(c)YOSHIHIKO UEDA" width="257" height="338" class="imgcaption floatl" width="257"/>恵比寿のG/P galleryでは、現在オープニング企画として上田の新作標本写真を展示する「骨と石器」展が開かれている。名前の通り、今回の被写体はひたすら骨、石器。すべて黒バックで撮影された10数点の作品には、上田の標本写真の魅力がたっぷりとつまっている。</p>
<p>対象を呑みつくすかのような濃密な闇。その中にぽつんと配された標本のかたちを、なめるようにして浮かび上がらせる微妙な陰影。薄く削られた石器からは、背後の闇が透けて見えるようだ。上田の写真が面白いのは、それが学術標本というどこまでも具体的なモノを扱っていながらも、画面にはどこか非現実的で、そこだけ重力が欠如しているかのような不思議な雰囲気が漂っている点だろう。重力感を排除された一点一点の標本は、独特な美しい存在感を放っているにもかかわらず、どことなくこの世のものとは思えない。その印象は、たとえば宇宙の闇に浮かぶ宇宙ステーションや、そこから撮影した青々とした地球の姿を目にしたときの感覚に似ている。</p>
<p>しかしその非現実感には、演出くささは微塵も感じられない。上田の作品は、昨今の演出過剰・個性重視の写真とは一線を画す。むしろ彼の写真の最大の特徴は、それが「何ものも表現していない」というところにある。写真は、ファインダーを覗き、対象にピントを合わせるという過程の中で撮影者の視点を否応なく反映してしまうものだが、上田は極力それを抑制しようとする。上田の写真は寡黙である。同様に、画面に写された標本も自分からは何も語らず、ただひたすらに沈黙するのみだ。しかし同時にその沈黙からは、幾年もの歳月をくぐりぬけてきた物のみが持つ、力強さ、静けさ、堅固さが知らず知らずににじみ出ているのである。</p>
<p><img src="http://www.tokyoartbeat.com/tablog/entries.ja/wp-content/uploads/2008/07/ueda_bones.jpg" alt="《骨：Elephas maximus &#038; Cebus sp.》" title="(c)YOSHIHIKO UEDA"  width="518" class="imgcaption"/><br />
上田の撮影態度はおそらく、目の前の世界を自分から積極的に切り取るというより、対象の前に座し、その姿が向こうから立ち現れてくる瞬間をじっと待つという感覚に近い。何ものも表現しないという点で、その写真は写真表現のゼロ地点とでも言うべき場所に到達している。沈黙は、ときとしていかなる饒舌よりも雄弁である。上田の写真から漂う豊穣な沈黙を前に、小手先の目新しさに走らない写真の新たな可能性を見た気がした。</p>
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		</item>
		<item>
		<title>「アトミックサンシャインの中へ」渡辺真也・照屋勇賢インタビュー vol.1</title>
		<link>http://www.tokyoartbeat.com/tablog/entries.ja/2008/07/interview_atomicsunshine1.html</link>
		<comments>http://www.tokyoartbeat.com/tablog/entries.ja/2008/07/interview_atomicsunshine1.html#comments</comments>
		<pubDate>Tue, 29 Jul 2008 16:06:26 +0000</pubDate>
		<dc:creator>yumisong</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[Main Article 3]]></category>

		<category><![CDATA[インタビュー]]></category>

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		<description><![CDATA[美術という領域で交換しあう、私たちの終らない歴史]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><img src="http://www.tokyoartbeat.com/tablog/entries.ja/wp-content/uploads/2008/07/dsc_2360_518.jpg" width="518" class="imgcaption"/>この夏、代官山のヒルサイドフォーラムにて、憲法第9条と戦後美術をテーマにした注目の美術展<a href="http://www.tokyoartbeat.com/event/2008/7F55" title="「アトミックサンシャインの中へ　日本国平和憲法第九条下における戦後美術」イベントページ">「アトミックサンシャインの中へ　日本国平和憲法第九条下における戦後美術」</a>が開催されます。</p>
<p>インディペンデントな企画でありながら、著名アーティストも参加し2ヶ国を巡回するという試み、そして美術展としてストレートに掲げられることのなかった挑戦的なテーマについて、主催者であるニューヨーク在住の日本人キュレーター渡辺真也氏と、出品作家のひとりである照屋勇賢氏にお話しをうかがいました。</p>
<p><b>【政治的にではなく、美術でコミュニケーションをしている】</b><br />
<b>橋本誠</b>（TAB/以下・橋本）：まず、このように意欲的な展覧会の実現へと渡辺さんを突き動かしている動機を教えていただけますでしょうか。</p>
<p><img src="http://www.tokyoartbeat.com/tablog/entries.ja/wp-content/uploads/2008/07/atomic_w.jpg" alt="渡辺真也氏"width="257" class="imgcaption floatl"/><b>渡辺真也</b>（以下・渡辺）：なぜ美術展という形態でやっているのか、という問いに関しては、こういった難しいテーマは、2ヶ国であれ、他国間であれ、美術という領域じゃないと逆にコミュミケーションできないと思うんです。</p>
<p>私は21世紀という未来に向けて、日本の特徴とは何か、というのを私なりに考えました。近代化を成し遂げていること、一神教が存在していないこと、さらに憲法第9条という、国家そのものが交戦権を持たないという、凄いものがある、ということに気付きました。そういうのが海外で知られていないのは残念だな、と思いまして。</p>
<p>そこでこの状況に対するコミュニケーションを成立させるために自分に何ができるか、と考えたときに、私はキュレーターなので、展示をつくりたいと。コミュニケーションを生み出したいなと思ったのです。参加アーティストの中には、戦争とは何かを、芸術作品として表現しているアーティストが多数含まれています。</p>
<p>『はだしのゲン』（※）という漫画がありますが、あれ、最後どうなるか知っていますか？　ゲンがどうなっていくか？<br />
※中沢啓治作、自身の原爆の被爆体験を元にしたベストセラー漫画（汐文社1984年-）</p>
<p><b>ユミソン</b>（TAB）：えーっと、大人になって…？</p>
<p><b>渡辺</b>：ゲンはアーティストになるんですよ。「これを伝えるために、表現をする。」って、アーティストになるんですよ。すごいと思いませんか？『はだしのゲン』でそういうことをすると、みんな批判できないんですけれど、例えば被爆や平和憲法を扱った芸術作品、となると、くるんですよ、「なぜ芸術か？」って。</p>
<p><img src="http://www.tokyoartbeat.com/tablog/entries.ja/wp-content/uploads/2008/07/atomic_yuka_t257.jpg" width="257" alt="《The Forbidden Box》" title="写真：高松夕佳<br />
Courtesy of the Artist" class="imgcaption floatr"/>まだアメリカにおいて被爆の問題というのは、そうとうナイーブです。アートでこれを扱ったパイオニアといえば柳幸典さんですが、1995年に、きのこ雲をテーマとして扱った作品《The Forbidden Box》を作られる際にもとても苦労されています。今ようやく、アメリカでもこういうことができるようになってきました。例えば去年はじめて、アメリカの地上波で広島のドキュメンタリーが放映されました。すごいことですよ。60年間できなかったわけですから。</p>
<p>アメリカがイラク戦争を始めて、イラクの憲法を新しく書く、って言ったときに、日本の憲法をモデルにする、と言うのですが、その理由が「日本の統治モデルが成功した。」って、すごい単純に話すんですよ。そんな簡単なことじゃないでしょ？って言いたかったのと、日本の憲法のレイヤーの下に被爆の歴史があるってことを、日米間で共有したいなって思いました。</p>
<p>安倍政権が2006年に目標としてかかげていたのが憲法改正だったわけですが、自民党が何故できたかっていうと、そもそも憲法9条を改正させるためにアメリカの後押しで作られたわけです。自民党と民主党をくっつけて自由民主党を立ち上げ、55年体制が生まれた。それこそ、アメリカ側が解体したばかりの旧財閥をくっつけて、戦犯を代表に据えて、その後はCIAさえ関わっています。その流れから小泉元首相とかが出てきて、という流れをみんな知っておいたほうが良いよ、って言いたいのです。</p>
<p>私はアクティビズムが最大の目的じゃなくて、そういう近代の問題があって、みんなものすごい影響を受けているんだよって言うのを、共有したいなと思っています。私はそれをやるときに「展示」っていう形を取っていて、もしかしたらアーティストにとったらすごい怖いことかもしれないけれども。私はそういう形をとっているのです。</p>
<p><b>【興味と自信を持てない人たちへアプローチを】</b><br />
<b>ユミソン</b>：日本人にとって、憲法第9条というテーマはどのように響くと思いますか？</p>
<p><b>渡辺</b>：おそらく70歳以上の年配の人は、ほぼ例外なく考えて、意見も持っていると思います。でも若い人になると、9条の全文を知らないと思うし、なぜそれがあるのかを知らない。私が9条に興味を持ったきっかけのひとつに、アメリカに7年住んでいて、アメリカで生活をすると身近な問題になってきたということがあります。それから私は過去にバックパッカーで34ヶ国を周っていたという経験があります。そこでアジアを訪れた際に個人的な興味がわきました。</p>
<p><b>ユミソン</b>：「興味が無い」にも意味が3つあって。（1）全く知りたいと思わない。（2）ちょっと知ってるけど、情報量の少なさでイメージ先行になって「それちょっとやばくない？」になるけれど、「やばい」の中身はからっぽ。（3）かっこ悪いから興味をもてない。その大半を占める、（2）の人への接し方をどう考えられていますか？</p>
<p><b>渡辺</b>：興味の無い人というのはは、自分の理解できるコンテクストの範囲内でしか物を見ないからではないでしょうか。でもちゃんとしたコンテクストを作って提示すれば、いろんな人が興味を持つきっかけになると思います。</p>
<p>私は歴史的なものをコンテクスト化するのが得意です。「コレは重要なんじゃないか？」といったことをテーマに設定できます。ただコンテクストをガチガチに作るタイプなので、それについては批判があってしかるべきじゃないかと思いますが。</p>
<p>例えば、「やばくない？」が戦後日本だと思います。ここに『メローイエロー』（※）があったとして。一人が「可愛い！」というまで、みんな回りの顔を伺って、言い出せない。自分の意見に確信が持ちにくい、そんな自信の無さがどうして生まれちゃったのかと言えば、それは敗戦だと思う。ハリウッド映画とか観て、自分達の身体との違いをみて、「やばくない？」と思ちゃったりして。そういう自身の無さの大きなフレームがある。そういう「やばくない？」思想は興味を遮断してしまうと思うんですけれど。ある程度勉強して違う視点を持てるようになれば、意見を変えるかもしれない。私はそれを「準備する」と言うんですけれど。自分でものを考えて、先に備えること、つまり「準備をする」のも、美術の役割の一つと考えています。<br />
※コカコーラ社が1979年（日本では83年）に発売した柑橘系炭酸飲料</p>
<p><b>ユミソン</b>：では、勉強することと、展覧会の違いは？</p>
<p><b>照屋勇賢</b>（以下・照屋）：展示会を「そのまま」見せちゃうから、教科書がそのままそこにあるようになってしまう。それよりは、他に遊びにいったほうが良いかもしれないと思うかもしれない。それをどう魅力的なものにするか？お菓子のような魅力をどう作るか？カフェにしちゃうような戦略をどうつくるか？じゃないでしょうか。（渡辺）真也はかっこよいカタログなどを作る。僕は仕事の関係もあって、内部にいるから、興味ない人がいるのが実感としてつかめない。でも興味を引かなくちゃいけないと思う。目の当たりにしなくちゃいけないと思う。</p>
<p><b>【キュレーターの思惑と、作品が語る内容の交差地点】</b><br />
<img src="http://www.tokyoartbeat.com/tablog/entries.ja/wp-content/uploads/2008/07/atomic_yuken2.jpg" width="257" class="imgcaption floatl" alt="照屋勇賢《さかさまの日の丸》"/><b>ユミソン</b>：照屋さんは作家として、このようなキュレーターのつくったコンテクストが強い展覧会において「組み込まれてしまう！」という不安はありますか？</p>
<p><b>照屋</b>：うまく組み込まれたいなと思います。組み込まれるし、乗っていきたいし、共同作業だし。《さかさまの日の丸》も、たまたま彼に見せたのがきっかけで、この展示会に呼ばれた。そこで、もしかしたら1回見せたら終ってたかもしれない作品が、彼の解釈で違うステージで観せられる。それは作家だけだとできないことです。</p>
<p>自分でもできるのかもしれないけれど、その場でしか語られない内容かもしれないし、カタログでしか語れない内容かもしれないし、それぞれの割合があって、美術展の割合もあって。それをうまく楽しめたり、生かしていけたらと思う。</p>
<p><b>ユミソン</b>：組むキュレーターによって、作家の出され方が変わるのに対する怖さはありますか？</p>
<p><b>照屋</b>：組まれ方をわかっていればいいと思う。それにのっていけばいいと思います。</p>
<p><b>ユミソン</b>：ある程度は組み込まれ方を予測しながら、のっているんですね。</p>
<p><img src="http://www.tokyoartbeat.com/tablog/entries.ja/wp-content/uploads/2008/07/atomic_t.jpg" alt="照屋勇賢氏" width="257" class="imgcaption floatl"/><b>照屋</b>：あとから、「ちょっとまってよ。」という時もありますよ（笑）。今回この展示会も答えを出すのに半年くらい待ってもらったし、その中でよく考える。もしかして自分の中に「やばい」という感覚もあったかもしれない。責任を持って作品を出せるのか、それの準備も必要だった。作品つくっておきながら、実は昇華するのに時間がかかる。作品は先に出来上がっちゃう。それを理解するのに、制作の3倍くらい時間がかかるので。</p>
<p>今もそれが続いているので、それの時間をみながら。でも切り替えるときは、気持ちを切り替えてもいいし。それもつくるプロセスの一部だと思う。だから、いろんなことが後からわかったら、それの対処の仕方もあると思うし、予測するというよりは、状況に素直に対処していくという感じかもしれない。</p>
<p><b>橋本</b>：他の作家の方はどのような反応だったのでしょうか？　特にテーマに基づいて制作されたコミッションワークもあると思うのですが。</p>
<p><b>渡辺</b>：オファーを出した作家さんの内、ほとんどがOKしてくれました。OKしなかった作家は、「戦後美術」とタイトルをつけていたので、私が戦後というコンテクストで重要だな、と思いオファーしても、乗って来なかったアーティストもいます。安泰してしまった巨匠達。名前は出しませんが、そういう人たちが3,4人いて。あとはコマーシャルギャラリーを通じてプレゼンしたときに、コマーシャルギャラリーが利益にならないと判断した場合は断ったり。</p>
<p>あとは予算やサイズの問題を考えたら10人くらいしかできないんですよね。そのときに、自分と関係があった作家さんだったり好きな作品だったり。選んでいったらこういう形になった。</p>
<p>例えば、本当に展示したかった作家の中に、山下菊二と藤田嗣治なんですよ。で、彼等の戦後の絵画っていうのは、まさに戦後を表していたでしょう。おどろおどろしいというか、生々しいというか。とても数百万円規模の予算では、展示できないですよね。</p>
<p>だからどうしても、比較的のってくれて、頑張れ！って応援してくれる作家さんとご一緒する形で、こういう形になりました。（Vol.2へ続く）</p>
<p>収録：2008年7月5日　<a href="http://www.tokyoartbeat.com/venue/586B06DE">アトランティコギャラリー</a>にて</p>
<p>&#8211;</p>
<p>「アトミックサンシャインの中へ　日本国平和憲法第九条下における戦後美術」オフィシャルサイト<br />
<a href="http://www.spikyart.org/atomicsunshine/" title="「アトミックサンシャインの中へ　日本国平和憲法第九条下における戦後美術」オフィシャルサイト">http://www.spikyart.org/atomicsunshine/</a></p>
<p>照屋勇賢＠Gallery TAGBOAT（売上の一部が展覧会の運営資金になります）<br />
<a href="http://www.tagboat.com/contents/select/vol91_teruya.htm">http://www.tagboat.com/contents/select/vol91_teruya.htm</a></p>
<p>照屋勇賢による「コレクターインタビュープロジェクト vol.1：名嘉原トモ子さん」<br />
<a href="http://www.tokyoartbeat.com/tablog/entries.ja/2008/07/collector01.html">http://www.tokyoartbeat.com/tablog/entries.ja/2008/07/collector01.html</a></p>
<p>ユミソンによる「アート・スコープ 2007/2008」（照屋勇賢出品）レビュー<br />
<a href="http://www.tokyoartbeat.com/tablog/entries.ja/2008/07/artscope20072008.html">http://www.tokyoartbeat.com/tablog/entries.ja/2008/07/artscope20072008.html</a></p>
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		<title>「静嘉堂の名刀」展</title>
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		<pubDate>Sun, 27 Jul 2008 23:28:08 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Wataru Otsuka</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[レビュー]]></category>

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		<description><![CDATA[静嘉堂文庫のブランクーシ]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>日本刀鑑賞というと、皆さんはどのようなイメージをお持ちになるだろうか。古くさい、マニア向き、はたまた爺くさい……。色々あるだろうが、いずれにせよ一般の美術好きや若い世代からはやや遠い世界だと思われているのではないか。そんな人たちにとって、東京・世田谷区の静嘉堂文庫で開催されていた本展は、従来の印象を改めるいい機会になったかもしれない。</p>
<p>静嘉堂は茶道具、彫刻、絵画など東洋美術の堂々たるコレクションを有する美術館であり、かの有名な稲葉天目茶碗の所蔵先としても名高い。今回の企画はコレクション創始後まもなくから収集されてきた日本刀を展示するもので、国宝、重文を含む30点あまりが並べられていた。</p>
<p>はじめに断っておくが、筆者は日本刀に関しては全くの素人である。ところがなかなかどうして、本展は私のようなズブの素人にも充分楽しめるつくりになっていた。静嘉堂の展示にはいつも分かりやすい解説が付されているのが特徴だが、今回もその例に漏れない。チケットとともに手渡される手引きには鑑賞のポイントが図解入りで丁寧に説明されているし、展示品の脇に付されたキャプションからは、作品ごとの見どころが初心者にもおのずと感じ取れるようになっている。</p>
<p>会場には、鎌倉時代から江戸時代までの刀剣がずらりと並ぶ。その中でも、国宝《手掻包永太刀（てがいかわながたち）》（鎌倉時代・13世紀）の凛とした姿は圧巻だ。根元からすっくと立ち上がり、空間を切り裂くようにさっと切っ先へ流れる刀のカーブ――これを刀の「反（そ）り」というらしい。この反りはきつくもなければゆるくもなく、いまどきのデザインにありがちなわざとらしさとは無縁のすがすがしさを感じさせる。かたや刃にほどこされた刃文は雲のように淡く波打ち、光を反射しながらゆらゆらとうごめくようである。</p>
<p>展示室に居並ぶ刀剣の一本一本を見ていく中で、ふと何かを思い出した。そう、ブランクーシの彫刻だ。極限まで鍛え上げられ、磨き上げられた刀剣の放つ、それ自体で充足した美。それはまるでブランクーシの彫刻作品の持つ、静かで抑制された美しさを見るようである。英国の作家カズオ・イシグロの表現を拝借するならば、ここにある刀はまるで「自らの美しさを知っていて、自分からそれを言い立てる必要もない」（『日の名残』）かのように、見るものに一切媚びぬ姿でたたずんでいる。たしかに近現代のデザインのような派手さはないが、これらの美しさは私たちの眼を静かに吸い寄せ、想像力を大いにかきたててくれるのである。</p>
<p>刀剣とともに、鞘やつばなどの付属品もあわせて展示。こちらもデザイン性が高く、思わず手に取りたくなるような品が多い。静嘉堂文庫はアクセスがやや悪いのが難点だが、今回の展示には日本刀にうとい美術ファンでも足を運ぶ価値があった。刀工たちが精魂こめて鍛え上げた刀の造形の力強さは、私のような現代美術好きの眼から見ても十分新鮮である。適度な展示量で最後まで集中して鑑賞できたこともポイントが高く、日本刀鑑賞の入門として最適な展覧会になっていたと思う。</p>
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