日本政府が新型コロナウイルス感染拡大防止のため、大規模なスポーツや文化イベントの自粛要請を行ったのが2月26日。そこから多くの美術館が休館し、イベントは中止となり、実空間でのアーティストの作品発表の場は減少している。
いっぽう世界各地では国、市、個人といった様々なレベルでアーティストに対する緊急助成金が立ち上がっているなか、東京都は「活動を自粛せざるを得ないプロのアーティストやスタッフ等が制作した作品をウェブ上に掲載・発信する機会を設ける」という支援策を打ち出した(ウェブ版「美術手帖」)。
アーティストはこの状況下で何を思い、東京都のアーティスト支援策について何を考えているのか。東京圏で活動するアーティストに4の質問を投げかけた。
第4回は、神奈川県相模原市で「パープルーム」を主宰する、美術家の梅津庸一。
わたしは美術家です。個人での活動と並行して美術の共同体「パープルーム」を主宰しています。職種で言えば、いわゆるフリーランスに分類されるでしょう。わたしは副業を持っていないので、今回のコロナ禍の影響は正直、大きいです。収入は減り、生活はやや困窮してきました。
わたしは過去に4年ほど介護施設で働いていました。働いていたというよりは週の半分はその施設に住んでいたという方が正しいかもしれません。その施設は民家をリノベーションした施設で、仮眠をとる際も利用者の方の布団のすぐ隣に自分の布団を敷くような、まさに家族のような距離感でした。夜間は職員が一人しかいないので全ての業務を自分一人でやりました。介護に加えて家事全般、事務仕事、時には医療行為に近いことも任されることがありました。まるで被災地の仮設住宅のようだなと当時は思っていました。
最近よく耳にする次亜塩素酸ナトリウム液(ハイター)や消毒用アルコールは介護施設においては必要不可欠なものでした。高齢者にとってはちょっとした風邪も命取りです。しかしながら、そのような備品はどこかの機関から支給されるものではなく、職員が近所のドラッグストアで買ってきていました。現在の状況を鑑みると、介護の現場は相当逼迫していると思います。介護職員のバイト代はとても安く、それぞれの良心に過度に依存することによって成り立っています。
この介護職員としての経験は「パープルーム」の活動に大きな影響を与えたと思っています。パープルームがどこか疑似家族のような形態なのはそのためでしょう。
パープルーム予備校5期生のわきもとさきさんは、職場であるファミレスの深夜営業がコロナの影響で急に廃止になり事実上、無職になってしまいました。(コロナ収束後も夜間営業は今のところ再開しない見通しとのことです)そんなわきもとさんでしたが、新しいバイト先をパープルームメンバーみんなで探して、昨日、無事面接が通りほっとしているところです。とはいえ、接客業なので不安がないわけではありません。パープルームには自宅でじっと待機していられるほど生活に余裕のある人はいないのです。
今後の個人としての活動、そしてパープルームの維持コストなども考えると不安は当然あります。しかしパープルームはこれまでの7年間一切、公的資金に頼らずになんとかやりくりしてきました。今回もなんとかするしかありません。
収束の見通しのないこの状況下でずっと活動を自粛し続けることは不可能です。リモートワークと呼ばれる性質の仕事だけでは社会が回りません。それにリモートワークの定員は限られています。
話は変わりますが、わたしは臆病なのでスーパーに行く際もチューブ入りのアルコールジェルを持ち歩いていますし、どの程度効果があるのかわかりませんが、自宅のドアノブやテーブルも毎日せっせと消毒しています。ノロウイルスの時のように、トイレの蓋を閉めて水を流すなどの配慮も大事だと個人的には思っています。そういった緊張感は持ち続けるべきだと思っています。しかし、嫌なことばかりではありません。外出する用事が極端に減り、アトリエで制作する時間が格段に増えました。最近、制作の質が上がったと思っています。あと、制作しているときはコロナのことはほぼ気になりません。
コロナ自体ももちろん不安ですが、それによって生まれる同調圧力が本当に気がかりです。昨年のあいちトリエンナーレの時のReFreedom_Aichiなどに感じた24時間テレビのような気分が再び蔓延しないか非常に危惧しています。アーティストが一種のポピュリズムを纏うことは、ただの生存戦略に過ぎないのです。大きなトピックや社会問題に対して一見、正しい、そしてわかりやすいメッセージを発信し、あるクラスタからの支持を集める。それは業界内を生き抜く手段としては正しいと思います。しかしながら、多少の損は覚悟の上で、自分の「仕事」に専念していきたいと、わたしは思っています。
そもそも、都や政府が「アーティスト」を支援し補償するとはどういうことなのでしょうか?わたしは、そのこと自体を考えてみる必要があると思います。
たしかにドイツ政府は「アーティストは今、生命維持に必要不可欠な存在」だと言い、アーティストをサポートしました。これは素晴らしいことだと思います。しかし、このような権利をわたしたちが政府に主張しようとした場合、「美術・アート」を一つの「業種」として認めてもらわなくてはいけません。アートに携わる人々が連帯し業界団体としてまとまる必要があります。
しかし、わたしはこれには賛同できません。ただでさえコロナの状況下でみんなが同じ方向を向いているのに、アートの領域までがそうなってしまったら終わりだと思うのです。わたしは息苦しくて耐えられません。
それに、自分をアート関係者だと自認できる人々だけがアートを担っているわけではありません。わたし自身、制度を内面化した美術家であるという自覚はあります。しかし、「パープルーム予備校」を始めようと思ったきっかけは、既存のインフラや美術教育産業に過度に依存したこの国のアートのあり方への疑問でした。冒頭でわたしは職種としてはフリーランスだと言いましたが、そもそも美術・アートを「職業」として捉えてしまって良いのでしょうか。もちらん、この社会ではお金を稼がないと生活していけません。しかし美術・アートという営みを「労働」に還元してしまうくらいなら、わたしは副業としてのアルバイトを探しに街へ出ようと思います。政府から支援してもらわなくても大丈夫なように。
まずは民間レベルで頑張るべきだと思います。本当に大変なのはライブハウスや劇場ではないでしょうか?アーティストの場合、多くが個人でどうにかなるレベルの規模で展開しています。それにも関わらず、コロナが始まってまだ2、3ヶ月の段階で補償がとか支援が、と喘いでいるようでは先が思いやられます。
わたしのこれからの具体的な活動を紹介させてください。
パープルーム予備校に併設された「パープルームギャラリー」はここ2ヶ月の間、休廊していましたが、細心の注意を払いながら運営を再開しようと思います。相模原の近所の飲食店と同様に「三密」に気をつけていこうと思います。また、ドアや芳名帳の筆記用具など直接お客さんの手に触れる部分は毎回消毒するなど配慮を徹底していこうと思います。
展覧会という形式はオンラインで代替可能なコンテンツの「器」ではないはずです。そもそもわたしは作品を所謂、コンテンツだと思ったことはありません。
「パープルームTV」はパープルームが運営する弱小のYouTubeチャンネルです。日々の出来事や小さなニュースを随時配信しておりますので、自宅で退屈な時にでも見ていただけたら嬉しいです。気が向きましたらチャンネル登録もよろしくお願いいたします。
経済活動としてはより小さくなっていくでしょう。もしかしたらそういう意味での活動は完全に停止してしまうかもしれません。しかしこんな時だからこそ大きな仕事ができるのではないでしょうか。それは「作品」として形が残るものかもしれないですし、そうではないかもしれません。より良い社会をつくるための美術・アートを否定はしませんが、社会情勢に絡めとなれない別の事象としての芸術空間が今は必要なのではないでしょうか。コロナ禍の今こそ、美術・アートが本来持っていたはずの禍々しい想像力が復活するだなんて本気で思っているわけではないのですが。
2020年4月17日 梅津庸一(美術家・パープルーム主宰)
梅津庸一
1982年山形県生まれ。東京造形大学絵画科卒業。日本の近代洋画の黎明期の作品を自らに憑依させた自画像をはじめとする絵画作品を発表。自宅で20歳前後の生徒5名とともに制作/生活を営む私塾「パープルーム予備校」(2014-)の運営、自身が主宰する「パープルームギャラリー」の運営を行う。主な展覧会に、「未遂の花粉」(愛知県美術館、2017年)、「恋せよ乙女!パープルーム大学と梅津庸一の構想画」(ワタリウム美術館、2017年)、「パープルタウンでパープリスム」(パープルーム予備校ほか、2018年)、瀬戸内国際芸術祭(2016年)、「百年の編み手たち -流動する日本の近現代美術-」(東京都現代美術館、2019年)など。これからの展覧会に、パープルームの「常設展」(4月28日〜5月5日)、キュレーションを担当する「フルフロンタル 裸のサーキュレイター」(日本橋三越本店、5月13日〜25日)
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いま、何を考えていますか? アーティストに4の質問
第1回:会田誠
第2回:百瀬文
第3回:Houxo Que
第4回:梅津庸一
第5回:遠藤麻衣
第6回:金瑞姫
第7回:磯村暖
第8回:高山明