日本の現代アートの振興と普及を主な目的に、2015年に設立された一般社団法人日本現代美術商協会(CADAN: Contemporary Art Dealers Association Nippon)。38のギャラリーが参加するこの「CADAN」が、現代アートを純粋に見てもらうという原点に立ち返る、初の展覧会「CADAN:現代美術」を2月15日、16日にわたって開催した。本展の関連イベントとして行われたトークイベント全4回をレポートでお届けする。
第1回のテーマは「現代美術の新しいプラットフォームとは」。ゲストに片岡真実(森美術館館長)、遠山正道(株式会社スマイルズ社長)、渡部ちひろ(公益財団法人現代芸術振興財団ディレクター)を迎え、様々な企業や財団が現代アートを支援し、裾野を広げる活動に取り組む今日の新しいプラットフォームとしての活動のビジョンについて話した。
「アートもビジネスも“自分ごと”である」
スープ専門店「Soup Stock Tokyo」やセレクトリサイクルショップ「PASS THE BATON」などを展開する株式会社スマイルズの社長であり、アートの新事業として「The Chain Museum」や「ArtSticker」を仕掛ける遠山正道。遠山は1996年、自身が三菱商事の一サラリーマンだった時代にニューヨークで絵を発表した経験を、「それがはじめての意志表示と自己責任の体験=自分ごとだった」と振り返る。そしてその経験は、「Soup Stock Tokyo」のアイデアへとつながっていく。「最近、アートのビジネスの関係性が話題になっていますが、その結節点は“自分ごと”という感覚なのではないかと思います」。
食の新たなインフラとしての「Soup Stock Tokyo」を1999年に立ち上げた遠山は、2019年、新たなアートのインフラとして「The Chain Museum」をスタートした。「The Chain Museum」は、「ミュージアム」「プラットフォーム」「コンサルティング」という3つの事業モデルを掲げる会社。「建物や地域やバインドされず、街に解き放たれたミュージアム。そんな小さくてユニークなミュージアムを世界にたくさんつくっていきたかった」と話す。
これまでに須田悦弘、ラファエル・ローゼンダールらとコラボレーションしたThe Chain Museum。今年はAce Hotel Kyoto、NEWoMan YOKOHAMAなどの施設の「壁面」を舞台に、作品を展示するプロジェクトも予定している。
「ビジネスの世界では“ブランド化”は普通のこと。私たちはアートで壁面をブランド化し、アーティストにはThe Chain Museumで作品を展示したい、コレクターにには“作品を貸してももいいな”と言ってもらえるような壁面にしていきたいです」。
「The Chain Museum」は2019年にプラットフォーム「ArtSticker」も発表。アーティストを直接支援することで新たなお金の流れを生み出し、アートをよりひらかれたものにすることを目指すこのアプリでは、作家は約500人、作品は約1200点が収録されている。「ArtStickerは、アートに出会え、自分の意思表示ができ、つながり、アーカイブでき、アーティストの支援できる。じつはネット上には、展覧会情報は多くあっても個別の作品情報が少ない。ArtStickerは今後そこにフォーカスし、作品売買も行えるようにしたいと考えています」。
「現代アートを取り囲む状況と日本」
2020年1月、森美術館の館長に就任した片岡真実は「1990年代以降、現代アートのシーンは大きく変わりました。ところがそれが広く一般に認知されていないのが、いまの様々な問題の一因になっていると思います」と切り出し、まず、現在の現代アートや美術館を取り巻く状況をプレゼンテーションした。
1980年代までの現代アートは世界各地が欧米を見つめ、追いかけ、欧米(ヨーロッパ、アメリカの一部都市)が主体となっていた。しかし90年代以降は、アジアやアフリカなど世界各地から作品が発信されている。「私自身、ここ十数年はヴェネチア・ビエンナーレに行っても名前も読めないようなアーティストが多く、いつも勉強しています」。
90年代以降は、アーティストだけではなく、現代アートに出会う場所も多様化した。美術館だけではなく、アートフェア、ビエンナーレといった展示スタイルが世界的に広がったのだ。片岡は、「都市のインフラとしては美術館、アートフェア、ビエンナーレが三つ巴になることがバランスが良いのではないかと思います」と言い、シンガポール、ジャカルタ、香港の状況と比較し、アジアの中で「日本はけっして現代アート先進国ではない」と続けた。
では、「現代アート」とはどういうものなのか? 片岡は次のように言う。「現代アートはもはや、絵画や彫刻、写真といったメディアの問題を越えたもの。そして、図画工作という授業の科目から想像されるものでも、技芸の問題だけでもなく、政治、社会、経済、文化など多様な要素を踏まえた総合的な領域です」。そして、ヴェネチア・ビエンナーレの受賞作を振り返りながら、現代アートは「世界の縮図」だと言い表した。
「現代アーティストの作品を理解するため、その多様な背景を紐解くことで、おのずと世界の歴史、地理、政治、文学、哲学、社会などの一端を学ぶ。そして美術の歴史に関しても、現代を起点に近代から古代まで遡ることで、人類の営みとしての連続性や関連性が見えてきます。世界各地で何が起こっているのか、すべて知っているキュレーターなんて一人もいないのではないのでしょうか。知らないところからどう学び、どう対話をしていくかが大切です」。
続いて、話題は世界のアートマーケットについて及ぶ。2019年のUBSのレポートと、フランスのオンラインアート価格データベースを紹介するとともに、片岡はとくに以下の点に着目した。
◎アメリカが44%と市場をリード
◎ミレニアル世代とオンライン市場が増加
◎グローバルマーケットではアートフェアが主役(前年比6%増)
◎現代アートの市場は約2兆円(10年前の2倍)でアメリカとアジアの市場で66%(日本のシェアは数%にとどまる)
◎現代アートオークションの人気メディアは、絵画が68%、彫刻が15%、ドローイングが11%(ビデオやインスタレーション、写真は3%にとどまる)
「日本は世界第3位の経済大国にも関わらず、たったの数%なのはなぜ?と謎でしょうがない。このあとのディスカッションでは、このことを話していきたいです」。
また、片岡は美術館の現状についても言及。以下のような近年の変化を挙げた。
◎定義を検討中
ICOM(国際博物館会議)では美術館、博物館の定義を新たに書き換えようとしている。その定義のなかには、「民主的で多声的」といった主旨が含まれている
◎Decolonization(脱植民地化)の傾向
フランスのマクロン大統領が、旧植民地のアフリカからフランスに持ち出した美術品を返還する方針を決めた。しかし、受け入れ先のコンディションが整っていないという問題もあり、美術品・文化財やどこにあるのがもっともいいのか?という議論がスタートしている。
◎コレクションのダイバーシティの強化、不均衡の是正
欧米の美術館コレクションは白人の男性に偏っている。2019年、サンフランシスコ近代美術館はマーク・ロスコの絵画《無題、1960》を約55億円で売却。その金額で、女性や非欧米人10名の作品を購入した。
◎サステナビリティの議論
2030年までに、気候変動を含めた持続可能な世界をミュージアムのセクターでどの程度進められるのかが課題。
◎政治的な検閲、右傾化への対応
片岡が会長を務める国際美術館会議(CIMAM)には、Museum watchというチームが存在。これは、ミュージアムで働く人々が政治的な理由で職を追われ、検閲を受けたときに声明を出して訴えかける役割を果たし、あいちトリエンナーレ2019でも2度声明を出した。現在、ヨーロッパでは右傾化した政府により美術館の館長が更迭される、予算がカットされるなど動きが出ている。
こうした美術館を取り巻く現状のうえで、「森美術館はどのような貢献ができるかを考えています」と語り、アジア太平洋地域での役割、グローバルな現代アートのローカルへの接続、体験とストーリーの重視、ダイバーシティの重視、パートナーシップなどの5点を新館長としてのミッションを語った。ミッションの詳細は美術館のウェブサイトに掲載されているため、こちらでもチェックしてほしい。
「2つの現代アートのアワード」
アート・コレクターとして知られる前澤友作が設立した「現代美術振興財団」は、より多くの人が文化芸術に触れ、豊かで創造性のある暮らしを営むことに貢献したいという願いのもとに活動する財団。この日は、同財団ディレクターの渡部ちひろがこれまでの展覧会事業と、CAF賞、CAFAA賞という、財団主宰の2つのアワードを紹介した。
「アワードでは、財団とアーティストとの二人三脚的なあり方を模索しています。入選、入賞者との関わりを長いかたちで役立ててほしいという思いから、交流会なども行なっています」。なおCAFAA賞の今年の審査員は片岡真実、ウンジー・ジュー(サンフランシスコ近代美術館コンテンポラリー・アート・キュレーター)、アーロン・セザー(デルフィナ財団ファウンディング・ディレクター)の3名。3月1日〜4月30日までエントリー募集中ということで、気になるかたは応募してみてほしい。
「なぜ日本で現代アートの市場が育ってこなかったか」
3名のプレゼンテーションを経て、続いては渡部をモデレーターにディスカッションが展開された。
片岡は「SNSの時代は、一対一の関係を大量につくることができる。例えば、昔はちらしでトークの宣伝をしていたけど、いまは、ちらしを刷っているうちに定員になることも多いです。それは、情報がほしい人にダイレクトに情報が届き、効率がよくなったから。美術館はこれから新しいモデルをつくっていかなければならないなか、Chain MuseumもArtStickerも独創的な試みをしているので、お互いうまくつながって相乗効果が出ると良いなと思いました」と話す。
それに対して遠山は、「美術館やアートは敷居が高いと思われるかたもいるかもしれませんが、ArtStickerは一瞬でその壁を越える機会なると思っています。ファッションやワインのように、日常の延長線上にある知的な領域のための一つの手段にしてほしい」と意義を語った。
話題は教育問題へも及ぶ。森美術館をはじめ、日本の多くの美術館ではトークやワークショップなど教育普及事業を行なってきているが、「現代アートはわからない」と言われ続けている。その原因を、「義務教育の段階で図画工作に苦手意識を持った人々が、引き続き美術と距離を取り続けている」のではないかと片岡は言う。「現代アートという世界的な大きなプラットフォームをどのように見るかを義務教育で教え、社会や歴史、あらゆる科目が合体したのが現代アートだということを認識してほしい」。
そしてこの日、トークの客席に座っていた小山登美夫も急遽トークに参加。小山は1996年にギャラリーを設立後より海外アートフェアへ積極的に参加し、日本の同世代アーティストを国内外に発信してきた。日本における現代美術の基盤となる潮流を創出してきた人物でもあるが、片岡は小山に、「日本は経済大国なのに、なぜ現代アートの国際化が図られていかないのでしょうか?」と質問を投げかけた。
それに対し小山は、1980〜90年代の日本の美術館ブームを指摘。「公立の美術館がこんなにも多く存在する国って、日本以外にないのではないでしょうか。僕がギャラリーを立ち上げる以前、西村画廊で働いた80年代から、日本のギャラリーは美術館に作品を入れることで生きてきた印象があります。それで、レコクター育成に目を向けていなかったのも、現代アートが育っていない理由のひとつかもしれません」。
続いて、美術館のコレクションの質やアカデミックな価値にも言及した。「美術館のキュレーターの人たちは、作品を価値あるものに変えていくべきだと思います。日本の公立美術館は具体の作品は持っているにもかかわらず、具体の作品がこれほど国際的なマーケットになるとは思っていなかったと思います。また、その延長線上の話でもありますが、今日のトークではアカデミックな話も聞きたかったと思う。SNS上にたくさんファンがいるアーティストなど、アカデミックな分野とは別な(ポピュリズム的な)マーケットが生まれてきている。僕は、アカデミックな価値が崩れることが不安です」。
「現代アートのミッション」
最後に客席からは、「アートが欠かせないものになるという認識のためにはどうしたらいいのか?」「美術館の入場料が高い」という質問・意見も。前者に対して片岡は、近年ビジネスの分野でしきりに取り上げられる「グローバル人材」を例に、「グローバル人材と言っても、中東とか世界のことは日本の私たちにはわからないことも多い。けれどアートを見て掘り下げていくと、他者であるアーティストの感情や作品背景を理解するようになる。作品を介して他者と共感していくことが、本当の意味でグローバル人材になるということではないでしょうか」と答えた。
いっぽう入場料については「森ビルは森美術館の運営で赤字を生んでいるように、利益だけ考えると、美術館はやめたほうがいい。でも続けるのはミッションがあるから。現代アートを盛り上げていくことでより社会は豊かになると思うので、応援していただければ嬉しいです」と締めくくった。
野路千晶(編集部)
野路千晶(編集部)