公開日:2015年11月10日

アフター90年代のアートプレイヤー特集 Vol. 2 中村奈央 / ディレクター

1990年代生まれで共有する感覚はあるのか?気鋭の若手3名に聞いた!

2015年は10年代を前後にわける節目の年。政治の上では大きな嵐が吹き荒れ、世間では炎上問題がたびたび取りあげられた。1990年代生まれ(アフター90年代)は、現在15~25歳。国会前で街頭行動を牽引する学生達がいる一方、若い作家達について個人性やゲーム性が強まってきているとする指摘もある。かくいう筆者も91年生まれ。冷戦体制とバブル崩壊後の世界に生まれ、ネットの進化とともに育った我々とは一体”何者”か?同世代のキュレーター、ディレクター、アーティストからそれぞれアフター90年代の作家について印象を伺った。

ナオナカムラと天才ハイスクール!!!!『旅公演(どりふと)』(東京都美術館での展示風景) 撮影:ただ(ゆかい)
ナオナカムラと天才ハイスクール!!!!『旅公演(どりふと)』(東京都美術館での展示風景) 撮影:ただ(ゆかい)

――中村さんは2011年に美学校を卒業し、現在では高円寺の素人の乱12号店でノマドギャラリー「ナオナカムラ」を運営されています。もともとは美術系だったんですか?

中村:いえ、高校は自由度の高かった明星学園高等学校(普通科)へ進学しました。ただ、選択授業はほとんど美術にしていたので週10時間はCGデザインや表現演習、作品鑑賞など美術の授業で埋まっていたんです。美術の先生がイギリスの大御所ダミアン・ハーストらYBAsを輩出したゴールドスミス・カレッジ出身のアーティストだったので、その影響が大きかった。現代美術に本格的に興味を持ったきっかけは展覧会『英国美術の現在史:ターナー賞の歩み』(2008/森美術館)へ授業で訪れたことです。放課後や休日はひたすら美術館やギャラリーへ訪れて閉館まで居座っていました。

――その後、美学校へ?

中村:卒業後の進路を迷っていたときにふと見かけた美学校のパンフレットでミヅマアートギャラリー所属のペインター、O JUNさんが講座をひらいていることを知って、そのまま09年に美学校へ入学しました。どちらかというとO JUNさんに会いたいという意識が強かったです。

――ナオナカムラはどのような経緯でオープンしたんですか?

中村:美学校と並行して美術関係のインターンなどいくつか始めました。そこで初めてお世話になったのが、91年にレントゲン藝術研究所をオープンしたラディウムーレントゲンヴェルケのディレクターの池内務さんや無人島プロダクションのディレクターの藤城里香さんでした。仕事をしている姿を見ていて影響を受けたし今でもとても良くしてもらえて。美学校へ2年間通ったのち、11年からアート集団「Chim↑Pom」のリーダーである卯城竜太さんが開講した現代美術セミナー「天才ハイスクール!!!!」(以下、天ハイ)に助手というかたちで手伝い始めました。そして初めてディレクターを務めたのが天ハイの最初の展覧会です。卯城さんが展覧会を開催できそうな高円寺のスペースを3つ紹介してくれて。普通に考えるとどのスペースもギャラリーとして機能が難しい場所だったのですが、あえてそんなスペースをうまく利用して活かした展覧会をつくる面白さを学びました。そしたら、そのうちの1つ素人の乱12号店から今後も展覧会をやってみないかって誘っていただいて、それからナオナカムラがスタートした。

2012年4月に、ナオナカムラの第1回目の展覧会を開催しました。当初は無償でスペースを提供していただいていたのですが、1日搬入、3日展示、1日搬出という搬入出を含めて5日間でやっていたんです。コマーシャルギャラリーの展覧会って約1ヶ月間開催しますよね。3日間の展覧会では呆気なかったので、13年から5日間を会期の目安にしています。スタートしたときから今も変わらず月1回のハイペースで展覧会を開催しているので結構しんどいのですが、そうやって地道ながらコンスタントに開催していくうちに、美術手帖などの雑誌でピックアップしていただいたり、声をかけていただけるようになった。
――美学校時代、制作はしていましたか?

中村:授業外ではほとんど制作はしてないんです。作家ではなくディレクターになったのは、アイディアは次々と生まれるのにそれを作品にうまくアウトプットできなくて。制作はできないけれど、アラタニウラノに所属している作家の西野達さんの写真作品でモデルをしたりしました。

――ディレクターはどういうお仕事なんですか?

中村:展覧会が決まったら、まず作家からあらゆることを聞き出してステートメントに書き起こします。作品のことはもちろんですが、作家を始める以前の個人の生い立ちとか、そこから派生したコンプレックスやトラウマ、バックグラウンドを聞き出すんです。意外とこれって作家の作品そのものに通ずるものがある。作家の人間性を知るっていうことに重点を置いている気がします。その人に好意や興味がなければ基本的にオファーはしない。そんな個人の人生を聞き出すうちに、もっと作家のことが好きになるんです。私自身も美術とは関係のないことやこれまで興味のなかったことを調べたり学んだりしなくてはいけなくなりますがそれがまた面白くて。あと、作品プランや展示構成についてアドバイスしたり、他にもこなさなくてはいけないことがいろいろありますね。
――アドバイスもなさるのですね。

中村:作家が所属ではないということもあり、基本的には作家自身に任せています。資金的な問題や間借りしているスペースということもあり、難しいことも多々ありますが、他のギャラリーよりは自由度も高いし作家がやりたいことがナオナカムラでできなければ意味がないと思っています。あと、コマーシャルギャラリーって一般的に作品が売れたときのマージンが作家:オーナーで5:5ですが、ナオナカムラでは今のところ7:3にしてなるべく作家に還元できるようにしています。グループ展はともかく、個展ってすごく重要なんですよ。まだブレている自分にブラッシュアップを重ねていって個展にチャレンジしてみると、初めて自分の作家性が見えてくる。なので天ハイのメンバーは全員が必ず一度、ナオナカムラで初個展を経験しています。

キュンチョメ《WAKE UP!》
キュンチョメ《WAKE UP!》

――所属作家を作らないのはどのような意図でしょうか。

中村:ナオナカムラはノマドギャラリーとかオルタナティブギャラリーとか言われています。開催するスペースによって「開催スペース名『ナオナカムラ』」という感じで変化していくのです。「素人の乱12号店『ナオナカムラ』」とか。常に新しくて面白いものを見ていたいので、いろいろな人といろいろなスペースで展覧会を開催したいですね。そして、ギャラリーに所属しない方がうまくいく作家も少なからず存在する。たとえばキュンチョメ(2011年結成)はセルフプロデュースができる作家です。作品の良さはもちろんですが自分たちのマネジメント能力やコミュニケーション能力、コネクションをフルに活用して国内外問わず活躍しています。所属することで良くも悪くも制約が発生しますし、所属することがステータスであった時代からだんだんとオルタナティブな動向が目立つようになってきました。

――どんなときにやりがいを感じますか。

ナオナカムラで展覧会を開催した作家がギャラリーや美術批評家、キュレーターにピックアップされることや作品が売れることもそうですが、ナオナカムラを含めて作家とそこで巻き起こる現象が新しいアートシーンだと思っているので展覧会の度にやりがいを感じます。新しいアートシーンをつくっていきたい。最近、4月に開催した天ハイのラストステージの展覧会『Genbutsu Over Dose』(2015/キタコレビル、素人の乱12号店「ナオナカムラ」)のとき、無人島プロダクションの藤城さんが、高橋コレクションで世界的に有名な高橋龍太郎さんといらしてくださいました。後日、石井陽平(b. 1990)とSORA(b. 1991)の作品を購入していただけて。彼らの作品が高橋コレクションへコレクションされることが、ちゃんと地に足がついた感じがしたし希望を持てた。ナオナカムラをスタートしたときには思いもしなかったけれど地道ながら着実に前進できていると感じています。これからもどんどん増えていけばいいなと。
私たちの世代って、美術を含む今の社会に対して絶望の割合の方が多いと思うんです。美術って希望のはずなんですが。だからその絶望と希望の混沌するもどかしさやフラストレーションを抱えているように感じています。生まれたときから不景気でバブルを知らない私たちですが、08年の世界金融危機で以前より保守的になってしまったコマーシャルギャラリーや、あるようで無いマーケットとともに2011年を生き抜いた今、停滞した美術史に起こすべきパラダイムシフトを今か今かと試されているようで、まるで思春期みたいに鬱屈とした気分です(笑)。

石井陽平《あなたの未来へ届きますように》
石井陽平《あなたの未来へ届きますように》
SORA《ひのあたらない場所》撮影:森田兼次
SORA《ひのあたらない場所》撮影:森田兼次

――このインタビューではインターネットをキーワードにしています。ネットはいつ頃から触れてました?

中村:インターネットは物心ついたときには傍にある世代ですが、私のまわりにはネット環境を持っていなかったり使い慣れていない作家も多いんですよ。ネットするなら仲間と飲みに行きますね(笑)。だからなのか、ネットにコミットして制作する作家よりも実生活から作品にアウトプットする作家の方が多いんです。私自身も参加型だったり没入感を味わえるギミックの効いたものや現物的にヤバいものに惹かれます。たとえば、毒山凡太朗(b. 1984)がイルカの死体を撮影してイルカの骨肉とともに展示した《1/150》とか、やまだしげき(b. 1974) (チームワレラ(2013年結成))がギャラリー内で人口孵卵器を使いウズラの有精卵を孵化させる《世界のはざま》とか。

毒山凡太朗《1/150》撮影:森田兼次
毒山凡太朗《1/150》撮影:森田兼次
やまだしげき(チームワレラ)《世界のはざま》撮影:森田兼次
やまだしげき(チームワレラ)《世界のはざま》撮影:森田兼次

――現物に惹かれるのって時代性に関連があるんでしょうか。

中村:今紹介した《世界のはざま》は、待ちわびた命の誕生する瞬間に寄り添う究極の美術であるし、圧倒的に美しかった。ネットが普及した私たちの世代は、生や死は液晶越しやバーチャルな世界でいつも日常であったけれど、反対に命の誕生やその終わり、死体をダイレクトに目撃することも圧倒的に少なくなりました。でも、ポスト3.11を生きる私たちにとってあの日(東日本大震災)は現実を超えて何も敵わないことを突きつけられた瞬間でした。今年の12月には、死体を描くペインターの笹山直規(b. 1981)さんと死体写真家の釣崎清隆(b. 1966)さんの2人展をナオナカムラで開催します。生も死も究極であるように、現物的なヤバさには何も敵わないんです。

――炎上とかないんですか?

中村:ネットの炎上はほとんどないけれど、リアルな場として近隣から苦情がきたりしますね(笑)。騒音とかはもちろんよくありますが、昨年開催したひろせなおき(b. 1987)のギャル文化をモチーフにした展覧会を商店街に面したガレージで開催したんですよ。映像に付随するインスタレーションとしてデコレーションを施した棺桶を展示していたんです。そしたら縁起が悪いという理由からすごく苦情がきて問題になりました。開催までもが危ぶまれてしまいテンションが下がっていたとき、ワタリウム美術館の和多利浩一さんがカールステン・ニコライを連れていらしていただいて、シャッター半閉めの状態でひそひそと開催したのを憶えています(笑)。

ひろせなおき《GYARU 儀 葬儀式》
ひろせなおき《GYARU 儀 葬儀式》

――リアルでやるからには、リアルなりの炎上が?

中村:今年開催された映画監督の園子温さんの展覧会『ひそひそ星』(2015/GARTER)をお手伝いしたとき、会場の外壁に東京ガガガの横断幕を使って大規模なインスタレーションを施していたのですが、クレームを心配していたのに何事もなく無事に終えて。でも園さんと同じ会場で先に開催した私たちの『Genbutsu Over Dose』は見事に何度か警察に通報されましたね(笑)。

天才ハイスクール!!!!『Genbutsu Over Dose』(キタコレビルでの展示風景) 撮影:森田兼次
天才ハイスクール!!!!『Genbutsu Over Dose』(キタコレビルでの展示風景) 撮影:森田兼次

――『アートアワードトーキョー丸の内 2015』の選評で、ギャラリストの小山登美夫さんが「ゲーム性や個人性がどんどん強くなってきて」いる作品もあると指摘していました。

中村:それはすごく言われます。2013年に青山|目黒の青山秀樹さん、山本現代の山本裕子さん、無人島プロダクションの藤城さん、Chim↑Pomの卯城さんに天ハイのプレゼンと講評会をやっていただいたことがあるのですが、自分の性癖や趣味を共有しようとし過ぎだと言われました。確かにって思って。でもこのあと山本現代の山本さんが天ハイの展覧会をやらせてくれたんです。

YAMAMOTO GENDAI Future Feature Vol.6 天才ハイスクール!!!!『天才ハイスクール』(山本現代での展示風景)
YAMAMOTO GENDAI Future Feature Vol.6 天才ハイスクール!!!!『天才ハイスクール』(山本現代での展示風景)

――なぜ、個人性に向かっているのでしょうか。

中村:ネットの影響はありますよね。今の社会にはヒーローの不在を感じています。美術に限らずどんなカルチャーやシーンでも。私たちの世代は量産型のアイドルのように出てきては消えていく社会になっているなって。作品も何でもありだと勘違いして、むやみやたらに生まれているかもしれない。昨年、トーキョーワンダーサイト本郷で行われた「キュレーション・ゼミ」に通ったのですがそこでも同じことを言っていて。だから個人というよりも、オルタナティブな動きにシフトしていることに何らかのムーブメントを感じています。誰もやってくれないなら自分たちでやる。

――それではオススメのアフター90年代作家を教えて下さい。

中村:『シブカル祭。2015』(2015/渋谷パルコ)で斎藤はぢめ(b. 1992)を推薦しました。作家のホームページには「ありとあらゆる揺らぎにわたしは怯えている」って記されているんですよ。それってすごく世代を象徴している気がします。他にも挙げたいのですが、アフター90年代という括りではなかなか難しいです。それこそ展覧会へ訪れたりネットを使って作家を探すこともありますが、気になる作家を見つけてもホームページがないとかポートフォリオを作っていないとか名刺を持っていないとかで結局オファーできないことが多いです。あとは世代と言っても、たとえば天ハイのメンバーには20代から40代までいるんですよ。天ハイとしての誕生した時期を共有する世代集団ではあるけれど、逆にそこしか共有できないのでグラデーションが存在してしまいます。

世代は違いますが、作家の田中偉一郎(b. 1974)さんとは去年からずっとナオナカムラでの展覧会を練っていて来年実現したいと思っています。現在岡山県にある高梁市成羽美術館で個展を開催中です。また、昨年開催された戯曲『グランギニョル未来』(2015/ヨコハマ創造都市センター)の公演に出演していた音楽家の笹久保伸(b. 1983)さんが秩父前衛派(2010年結成)というグループで美術作品も制作していると知って私からオファーしました。笹久保さんも来年ナオナカムラで展覧会を開催予定ですが、『瀬戸内国際芸術祭2016』の参加も決定したと聞きました。さっき挙げた笹山さんは、実は最近までコマーシャルギャラリーに所属していたんですがフリーになった瞬間に即オファーしたんです(笑)。11月6日から10日まで、同世代にフィーチャーしたグループ展を開催予定です。

齋藤はぢめ《LIKE FATHER LIKE ARTIST》
齋藤はぢめ《LIKE FATHER LIKE ARTIST》

田中偉一郎《板Phone》
田中偉一郎《板Phone》
笹久保伸(秩父前衛派)《秩父前衛派図形楽譜》
笹久保伸(秩父前衛派)《秩父前衛派図形楽譜》

――では今、ナオナカムラの目指しているものは何ですか?

中村:この間、福島県でも展覧会を開催したけれど、そんな感じでもっといろいろなスペースでいろいろな作家と展覧会がしたいですね。あとはこのペースを崩さず続けていくことが目標かもしれない。作家とともに実験的に前進して、既存のアートシーンをアップデートしていきたいです。

毒山凡太朗 + キュンチョメ『今日も きこえる』(ワタナベ時計店3F「ナオナカムラ」での展示風景) 撮影:竹内公太
毒山凡太朗 + キュンチョメ『今日も きこえる』(ワタナベ時計店3F「ナオナカムラ」での展示風景) 撮影:竹内公太

――ありがとうございました。(了)
<※画像の無断複製・転載を禁じます。>

中村奈央
1990年生まれ。高校を卒業後、美学校に入学。展覧会の企画や手伝いなどをしながら、2011年にディレクターを務めた天才ハイスクール!!!!第1回展覧会『カミングアウト!!!!!!!!』をきっかけに、東京・高円寺をメインとした展覧会スペース「ナオナカムラ」を開始する。これまでに40近い展覧会を企画、開催。
http://naonakamura.blogspot.jp/

<記事内で紹介した作家>

・キュンチョメ / KYUN-CHOME(www.kyunchome.com)
・石井陽平 / Yohei Ishii(http://yoheiishiiwork.tumblr.com)
・SORA
・毒山凡太朗 / Bontaro Dokuyama (http://bdokuyama.wix.com)
・やまだしげき(チームワレラ) / Shigeki Yamada(TEAM WARERA)(http://teamwarera.wix.com)
・釣崎清隆 / Kiyotaka Tsurisaki(www.tsurisaki.net)
・笹山直規 / Naoki Sasayama
・ひろせなおき / Naoki Hirose(http://hirosenaoki.com/)
・斎藤はぢめ / Hajime Saito (http://hajimesaito.jp/)
・田中偉一郎 / Iichiro Tanaka
・笹久保伸 / Shin Sasakubo (http://shin-sasakubo.com)

[TABインターン] 荻野智視: 1991年生まれ。日本大学生物資源科学部卒業。TABインターン終了後、月刊誌を発行する出版社へ勤務予定。趣味は絵画と詩の制作。昨年衝動買いした『失われた時を求めて』を読破するのが人生の目標。

TABインターン

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学生からキャリアのある人まで、TABの理念に触発されて多くの人達が参加しています。3名からなるチームを4ヶ月毎に結成、TABの中核といえる膨大なアート情報を相手に日々奮闘中! 業務の傍ら、「課外活動」として各々のプロジェクトにも取り組んでいます。そのほんの一部を、TABlogでも発信していきます。