東京文化発信プロジェクトがTABとタイアップしてお届けするシリーズ記事。
芸術の秋真っ盛りの東京で、アートイベントがいくつも開催されました。
その中から、『TERATOTERA祭り』をレポートします。
TERATOTERA(テラトテラ)は、2010年の春に始動したアートプロジェクト。この名称には、JR中央線に位置する高円〈寺〉と吉祥〈寺〉という二つの地域を結ぶという意味と、さらにテラ=大地をつなぐという意味が込められている。2010年は、『途中下車の旅』と称して、高円寺〜吉祥寺間の各駅で、ライブや野外アート展、トークショーなどを計7回開催し、今年2月11日には、発足後1年間の活動を締めくくるべく、大友良英氏による井の頭公演船上ライブによる『TERATOTERA祭り』が開催された。
そしてこの秋、10月20日~30日をメイン会期として再び『TERATOTERA祭り』を開催。今回は、3月11日に起きた東日本大震災後のアートプロジェクトのあり方を探るべく、”post”*をメインテーマに、「震災復興」「東京をアートで元気に」という二つのスローガンを打ち立て、吉祥寺駅を中心とした周辺地域を舞台に開催する大規模展覧会となった。
*(”post”とは、”~以降の”、”~の次の”といった意味を持つ接頭辞)
総合ディレクターの小川希氏によれば、「3.11以降の世界で、アーティストは何を見て、どんなメッセージを発信できるのか。 そして私たちはそこから何を感じとることができるのか。」を考え、メッセージとして発信していく機会としたかったという。小川氏は、2008年より吉祥寺でArt Center Ongoing(以下「Ongoing」)を主宰している。アーティストの手によって作られ、常にアーティストたちが集い、交流し、発表する場である「Ongoing」を主宰し、アーティストと密接に関わってプロジェクトを開催してきた小川氏だからこそ、3月11日以降、アーティストたちがこの現実にどう対峙し、制作すること、表現することの意味をどのように捉えているのか、アートイベントを通じて問いたいという強い意志があった。小川氏はもともと、震災後にOngoingにゆかりのある100人ほどのアーティストを巻き込んだ展示イベントを企画しており、それが今回、東京文化発信プロジェクトとの共催で、『TERATOTERA祭り』としてTERATOTERAが拠点の一つとしている吉祥寺で大規模なイベントとして実現することとなった。
会期中は、映画館や商店街、百貨店の屋上などを舞台に、展示やライブ、映像上映、シンポジウムなどが開催された。
例えば、東急百貨店の屋上ではダンスパフォーマンスが行われたほか、PARCOの屋上では、屋上エリア全体を使ってのアート展示(有賀信悟、遠藤一郎、利部志穂、SONTON、タムラサトル、永畑智大、東方悠平、松原壮志朗、村田峰紀、和田昌宏)。屋上遊園地を彷彿とさせるような、シュールな光景を現出させ、アートファンの中では話題となった。そういえば、デパートの屋上での展示というのは、ありそうであまり聞いた事がない。都会での展示空間として、面白い可能性を提示した。
吉祥寺バウスシアターでは、10/22から11/4までの間、現代美術家による映像作品が、A、B、C、三つのプログラムに編集され日替わりで上映された。泉太郎、大木裕之、田中功起、Chim↑Pom、松本力ら、映像作品を制作する現在活躍中のアーティストの作品がまとめて、しかも映画館のスクリーンで見られるという、稀少で贅沢な企画が人気を博した。
TERATOTERAとして、吉祥寺を舞台にここまで大規模なファインアートの企画を興したのはこれが初めて。会場となった百貨店や商店街も無償で場所を提供してくれるなど地元の協力も厚く、イベント終了後の反応も良かったという。たとえば、志村信裕が展示をした駅前の横丁にあるハモニカキッチンでは、お酒を飲みに来た客さんの中に、作品を通して企画に興味を持って他の展示にも足を運ぶ人が出てきたり、見に来た人が西友の入り口に作品を制作していた淺井裕介とボランティアのために、向かいのドラッグストアで購入したホッカイロを差し入れしてくれたりと、温かい交流のエピソードも数々生まれた。
また今回は、『TERATOTERA祭り』の特別企画として、福島にゆかりのある和合亮一(詩人)、大友良英、遠藤ミチロウ(音楽家)が有志で立ち上げた「プロジェクトFUKUSHIMA!」と連携したアートプロジェクト「TOKYO-FUKUSHIMA!」が実施された。福島で始まった大友らの活動が、今回の『TERATOTERA祭り』で東京を舞台に一つのアクションを起こしたのだ。
武蔵野公会堂では、大友良英、遠藤ミチロウ、和合亮一と小川希によって、「TOKYO-FUKUSHIMA!」などのシンポジウムも開催されたほか、武蔵野市立吉祥寺美術館のロビーでは、「プロジェクトFUKUSHIMA!」のドキュメント展示として、8月15日に行われた「福島大風呂敷!」のドキュメント映像と、実際使われた大風呂敷が展示された。『世界的に名前が知られることとなった悲劇の場所「FUKUSHIMA」を、世界が変わるための始まりの場所「FUKUSHIMA」へ変えていく』ことを目指し、大風呂敷は、その宣言として「フェスティバルFUKUSHIMA!」のメイン会場となった四季の里の芝生を膨大な量の布を縫い合わせて覆うという壮大なプロジェクトだった。
10月23日(日)には井の頭恩賜公園で「オーケストラTOKYO-FUKUSHIMA!」を開催。これは、大友良英、七尾旅人、原田郁子の呼びかけで、みんなで楽器を持ち寄って大演奏会をしようという企画。福島からも、遠藤一郎の「未来へ号」のバスに乗って30名ほどが到着。予定された午後2時頃になると、公演の中をガムランを奏でる深川バロン倶楽部の一団が、鮮やかな衣装を来て練り歩く。その後ろを、思い思いの楽器を手にした人々が続き、行列はどんどん長く膨らんでいく。公演内の各所でにわか即興ライブが始まり、その音に引かれて集まった人たちが踊り出す。中には、お風呂の椅子を太鼓代わりにしている人も。いくつもの楽団が集まり、パレードしながら最後は西園グランドに集結、大友良英、七尾旅人、原田郁子のステージに合流して大オーケストラのライブとなった。演奏者は、Twitterとウェブ、チラシで募集し、事前受付だけで300人以上のエントリーがあったという。最終的に西園グランドに集まった演奏者は観客も合わせると1,000人はいただろうか。10月下旬とは思えない穏やかな陽気の中、音楽を共通項として集った大勢の心が一つとなり、ポジティブな音を響かせた。
大型の地域型アートプロジェクトとしては、越後妻有トリエンナーレや、愛知トリエンナーレなどがあるが、『TERATOTERA祭り』はディレクターも30代、関わるアーティストもほとんど20〜30代が中心となっている点が特徴的だ。経験豊かなベテランが主導する大きな動きの下に、その下の若い層が社会とつながって動きをつくるという構造が出来てきていることは、東京が文化的に豊かなことの一つの証拠といえる。それには行政の力も大きく、小川氏によれば、地域での芸術活動を主導している人を信頼して任せ、自由にやらせてくれるという東京文化発信プロジェクトのスタンスが今回のイベントの実現にとっても大きな助力となったという。また、大友良英などすでに著名なアーティストと、その一世代下のこれからのアーティストの両方が関わっているところにも、その幅広さと世代を超越した交流の健全さが感じられる。
イベントを振り返って小川氏は言う。「震災後、無力感にさいなまれるアーティストもいたが、結局は今自分にできることをやるしかないと気づいて覚悟を固め、前向きに動き始める原動力となった。」
とはいえ、これは一つのきっかけであり始まりに過ぎない。
この次へさらに進んで行くために、TERATOTERAの活動は継続していくとのこと。次回以降の動きも大変楽しみだ。
TABlogライター:加賀美 令 1975年生まれ、東京都在住。大学卒業後、働きながら2005年武蔵野美術大学通信教育課程にて学芸員資格取得。いくつかの展覧会のキュレーションに関わったり展覧会ガイドなどを経験した後、2005年夏よりフルタイムでアートの仕事に従事。他の記事>>