多くの人が行き交う代々木公園原宿門前広場。いつもの休日、午後の何気ない風景を少しだけ変えているのは、制作中と書かれた貼紙が目印の三角コーンとバーナーを持った人たち。三角コーンで囲まれた場所でバーナーが炎を上げると、道行く人が立ち止まる。すると、たちまち多くの人々が集まってきた。アスファルトの上に並べられた白いシートでできた葉っぱや動物のモチーフが焼き付けられていく。
9月下旬と10月初旬の6日間、「植物の白線@代々木公園」と題した公開制作が代々木公園原宿門前広場で行われた。憩いの場である公園にふさわしい賑わいや雰囲気の創出を目指し、東京文化発信プロジェクトの事業として立ち上げられた「公園プロジェクト」の一環だ。同室の担当者によると、昨年再整備された原宿門前広場に、公園利用者を巻き込んだ参加型の、しかも「エントランス」機能を損なわず、かつ長く残る作品をという狙いから、淺井裕介によるプロジェクトが選ばれたのだという。彼はテープや土、ときにはホコリなど、身の回りにある素材を用いて、「描くこと」を中心に様々な表現を展開する若手美術家だ。
これまで、横断歩道や道路の路面表示などに使われるシート状になった道路用白線素材を用いて、葉っぱなどのモチーフをつくり、それらを地面に焼付ける《植物になった白線》シリーズを2008年より横浜、大阪、福岡、小金井などで制作してきた。
淺井の代表的な作品といえば、マスキングテープを壁に貼り、その上からペンで模様を描き、まるで植物が増殖するかのごとく、どこまでも拡張させていく《マスキングプラント》と、描く場所の土を採取し、その土を水で溶いて直接壁に描いていく《泥絵》だ。[関連記事]
マスキングプラントは一定期間展示されると、その場から剥がされてしまうし、泥絵は、展示終了後にはほとんどの場合、水で洗い流され、消されてしまう。「消えてしまう」ことが前提の作品が多い中、この白線シリーズは「残る」ことが前提の、淺井にとっては少し特殊な性質をもっている。
《植物になった白線》は、その場所を利用する人々とともに白線シートからモチーフを切り出し、それを淺井が地面に並べて、バーナーで焼付け完成させるものだ。今回は事前のワークショップ参加者10名と、6日間にわたる現地での公開制作中に通りかかった100人以上の通行人が切り出しに参加。また、全てのプロセスにおいて一般公募により集められた制作スタッフ「白線隊」が共に作業に取り組み、場の特性にふさわしく、多くの人が関わる作品となった。
事前のワークショップでは、作品のパーツを切り出す際に制限時間を設けた。頭で考えてからものを作るのは、普段からものを作っている人でなければ、実は難しいこと。しかし、時間の制約を加えれば、おもしろいもので、葉っぱやモチーフがどんどんその人の手からうまれる。考えている暇などないから、頭ではなく、まず、手が動くのだと淺井は言う。
頭で作るよりも、とにかく手を動かす。そうすることができる『描いてしまう状況』と、それが作り出すものに興味がある。考えながら作るんじゃなくて、作っているときはなるべく頭を置いてくる。その分、描いていないときは、『描き始めたら、いかに何も考えないで描き続けることができるか?』ということを考えておく。その方法のひとつが、今回のように、時間に制約を設けることなんだ。いやがおうにも手を動かさなければならない状況で、からだがつくったものは良いものが多い。
制作スタッフに指示を出しながら、切り出したパーツをアスファルトに並べて、バーナーで焼付ける。その作業が終わると、スタッフに混じって自身も白線シートを切っていく。そうかと思えば、突然思い出したかのようにペンを握って、するするとオオカミとヒトの絵をまたたく間に描きあげた。一瞬たりとも淺井の手は休むことを知らない。
代々木公園の印象を淺井に聞いてみた。
これまで白線を描いてきた他のどの場所と比べても、代々木公園は訪れる人の数が圧倒的に多い。公開制作中に10年来の古い友人にばったり再会した。卒業以来の中学時代の同級生にも遭遇した。そんな思いがけない再会ができるほど、不特定多数の色んなタイプの人が訪れる場所だと思う。その分、最初は、本当にこんなところに描いてしまっていいのだろうかと、少し戸惑ったけどね(笑)。白線はこの先5年も10年も、それ以上に残っていくものだから、焼付けるときはこう見えてものすごく緊張している。
僕の絵は、描く形も使う素材も、その場所や空間、そしてそこを流れる時間にすごく影響を受けているんだ。(描く場所として)与えられた場所には、その場所にふさわしい『コントロールされたかたち』がある。この広場では、泥絵を描くことは不可能だし、マスキングプラントを描くことも不可能。じゃあ、何が最も適しているのかと考えたときに、白線だっただけのこと。この方法が楽だから、というわけではなく、描きたい形がその方法でやれば可能になるから、良いものにできると分かるから描く
下絵や設計図はない。その場所でしか表現できないものをかたちにしていく。その場所が放つメッセージを感じ取りながら、時には道行く人に耳を傾け、対話をしながら、作品へ取り込んでいくのだ。
今回は多くの人が切り出しに参加してくれた。大人はたいてい、紙とペンを渡されると恥ずかしがって描こうとしない。けれど、ペンではなくハサミを渡すと、子どもに負けないくらいの、こちらが想像してた以上に、自由にかわいいものを作ってくれた。外国人は反応がストレートだからおもしろい。おじさんたちは恥ずかしがって切り出しに参加してくれないけど、よく話しかけてくれるよ。
淺井の作品を観賞するのに、予備知識やリテラシーなんてものはいらない。理屈抜きで伝わる分かりやすさ、力強さが淺井のもつ最大の魅力だ。表現よりもむしろコンセプトメイキングを重視するアーティストが最近は多い中、表現のみで圧倒的な存在感を放てるアーティストは珍しい。
「最初はいたずらかと思っていたんだけど、日を追うごとにどんどん増えていったので気になってね」と、年配の男性が話しかけてきた。代々木公園を訪れた外国人観光客はこの光景をみると、ガイドブックをぱらぱらとめくり始めた。(観光ガイドには載っていませんよ!)そうして、道行く人々を魅了していく。
淺井に自身の作品のことを尋ねると、いつも「ただ描きたいから描いているだけ」という答えにいきつく。彼にとって描くことは「自己の表現」だとか、「主義・主張」を声高に語ることではないのだ。彼はとにかく描くのが好きなのだ。与えられた場所や空間に向き合い、その場所が放つメッセージに耳を傾け、描くことで対話を楽しんでいるのだ。
ゼロ年代、ブームのように各地でさかんに行われるようになった『アートによる街づくり』もそろそろ変換点を迫られている。その地域の背景を無視したイベント色の強いもの、地域の思い入れが強すぎて、参加者に理解されにくいものなど、主催者、参加者、地域住民それぞれの関係のバランスが崩れ、いったい誰のための街づくりなのか? といった問題に陥る地域も少なくない。そんな中で今回のように、事前ワークショップだけで終わらせず、それを強要することなく普段から公園を利用している人々や通りすがりの観光客らを巻き込みながら、誰にでも広く開かれた観賞や体験の場づくりを可能にした、主催者、参加者、地域のバランスが取れたプロジェクトであったと言えるのではないだろうか。
代々木公園は淺井に何を発していたのか、そして淺井はどんなメッセージを受け取ったのか、是非その目で「植物になった白線」を確かめていただきたい。
TABlogライター:タカギミキ 横浜生まれの横浜育ち。アートとは無縁の人生を送ってきたが、とある企業のイベントPRに携わった際、現代美術と運命的な出会いを果たす。すぐれた作品に出会うとき、眠っていた感覚や忘れていた感覚が呼び起こされる、あるいは今までに経験したことのない感覚に襲われ全身の毛孔が開くような、あの感じが好き。趣味は路地裏さんぽ。 ≫ 他の記事