今年で2回目を数える101 TOKYO。秋葉原スクエアで4月2日から4日間にわたって開催中だ。多数のギャラリー、アーティストが出展している現代アートの祭典だが、ここではその中から数人ピックアップして触れることにする。
数多く展示されている平面作品の中でも特に注意を引いたのが、art project franticのブースで出展していた梅沢和木さんによる作品だ。大小の白いパネルにコラージュされた様々なイメージを、カラフルなペイントが覆っている。近づいて見てみると、ペイントの下に埋もれて見え隠れしている部分が、ネット上でよく見かける画像で全て構成されていることが分かる。繰り返し現れる@マークや”データを転送しています”などのメッセージ。そして大きな瞳を輝かせるアニメーションのキャラクターたち。それらが無造作に重なり合い、ひしめき合っている。そんな混沌とした全体像を更に掻き乱すかのように、あるいは統一感を与えるかのように重ねられたアクリル絵の具。この手描きの部分が、色彩豊かな画像コラージュに負けることなく同じレベルで主張出来ているのは、そのどぎついまでの蛍光色ゆえかもしれない。
相川さんの作品の魅力の一つは、その親しみ易さである。つまり、「私このCD持ってる」「これ聴いたことある」と思わず近づいていってしまう、そんなオーディエンスの心理を功名に突いた作品ばかりなのだ。そのことに触れると、「そこが狙いだったりもします」とのこと。そして、「今後もこのプロジェクトを続けていきたい。まだまだ好きな音楽、描きたいCDが沢山あるんです」と熱っぽく語ってくれた。
相川さん同様、緻密な描写が印象的なのが、CASHIからの参加アーティスト、サガキケイタさんのドローイングだ。気の遠くなるような作業量。結果よりもそこに行き着くまでのプロセスが、彼の自己表現なのかもしれない。ペンによるモノクロの作品ばかりの中で異色を放っていたのは、白塗りのキャンバスとその中央に描かれた赤い円を日本の国旗に見立てた作品。一歩近づくと、赤い円の中がアメリカ国旗、つまり星条旗の模様で構成されていることに気付く。更にクローズアップで見てみると、星条旗のストライプの部分が、群衆の帯と骸骨の帯を交互に置くことで成立っていることが分かる。ここで様々な解釈が生まれてくる。骸骨の群れはストレートに死を連想させるイメージであり、それがアメリカという国の一部を成しており、更にそれが日本という国の一部になっている…両国が血を流し合った第二次世界大戦を彷彿とさせる一方、今現在も続いており、終わりの見えないイラク戦争を示唆するようでもある。そして、アメリカをその中央に据えることで初めて形作られる日本。これは戦後、日本の(主に政治的観点から見た)国民性が、アメリカとの親密な軍事関係に基づいて形成されたという事実を言及するものとも取れる。
今回お話を伺った三名、スタイルは大きく違えど、どの作品にも現代社会を批判するなり、その現実を突きつけるメッセージが込められていたように思う。それを前面に押し出すのではなく、自己表現の中にうまく取り込みさらっと提示してしまう辺りが、現代を生きるアーティストならではの技かもしれない。バーチャルなコラージュ、既製品の模写、象徴的なイメージ。これら全て、作家自身と彼らが生きる時代を同時に映し出す、ダブル・ポートレイト(二重の肖像画)とも言えよう。彼らの作品はもちろん、その他多数の現代作家による才能がひしめく101 TOKYO。今週末、秋葉原まで足を伸ばしてみてはいかがか。