正方形の写真。
川内倫子の写真を見るとき、真っ先に目がいくのがそのフォーマットであろう。しかし、それにも関わらず、彼女の写真を語る際にフォーマットそのものに注目が向くことはまずない。そこで、今回のレビューでは川内倫子の写真における正方形フォーマット論を軸に展開してみたい。
川内倫子の提示する「正方形」は、今までの「正方形」観とは全く異なっていると言っていい。従来の「正方形」観は、球体関節人形を撮影したハンス・ベルメールやマネキンを撮影したベルナール・フォコン、畸形や死体を撮影したジョエル=ピーター・ウィトキンなど「死」を連想させることが多かった。しかし、川内の写真は、今回の展覧会にも出品されている牛の写真を見ると分かるように、死体ではあるが皮だけであり、強烈な「死」の喚起には程遠い。死を劇的に「演出」するのではなく、死を「挫折」させてしまう。死に肩透かしを食らわせている。従来の「正方形」観を継承しつつ、骨抜きにしているのである。
他にもその「骨抜き」の例をいくつか挙げることができるが、今回は対応表を作って示してみたい。前者を川内倫子の特徴、後者を従来の正方形観の特徴として図示する。
①スナップショット的⇔コンストラクティッド・フォト的
②フォーマットからの逸脱⇔フォーマットの強調
③手前と奥とのあわい⇔パン・フォーカス
①に関して。ベルメールやフォコン、ウィトキンの写真はどれも作り込み写真(コンストラクティッド・フォト)のように撮影されている。実際、写真家が配置を調整して撮影しているものが殆どである。一方、川内の写真はスナップショット的に、起こった出来事を撮影している。今回の展覧会では、ワニの写真や滝の写真がそれに当てはまる。
②に関して。①のところで書いたように、従来の正方形写真では、写真家が配置を調節して撮影する以上、ファインダーのフォーマットにきれいに収まるように構成されている。それにより自動的に、正方形フォーマットは強調されることになる。それに対し、川内の写真は正方形フォーマットを採用しながら、完璧な構図からは少しずれた形をとる。本展覧会の作品で言えば、うねった河を斜めに撮った写真やカーニバルに参加した女性の写真などが挙げられる。
③に関して。従来の正方形フォーマットの写真は、被写界深度を深くして近景から遠景までフォーカスを合わせた写真が多い。それは背景にまで構成を施しているからである。その1枚の写真の中で物語は始まり、そして完結する。従来の正方形写真では、組写真といったものが殆ど見られないのはそのためである。それとは反対に、川内の写真は被写界深度を浅くし、更に近景の対象ではなく、中景の位置にピントを合わせるため、手前と奥にボケが生じる。このボケが鑑賞者と対象との距離感をその都度決定させ、「次の写真」へと意識を向かわせる。しかし、それは組写真のような物語的連鎖ではなく、距離感の連鎖とでも言えるようなものである。今回の写真では、ラジオ体操の写真や葡萄を盛った皿の写真、蟻の写真などである。
更に、印画紙の大きさにも注目したい。大半の正方形写真が一辺30cm程度のものが多い中、川内の写真は一辺1mに迫る程の大きさでプリントしている。これもまた、従来の「正方形」観への応答として機能している。
以上、川内倫子の写真が提起する「正方形」観をみてきた。彼女の作品は従来の「正方形」観自体を問い直し、骨抜きにし、新たな骨格を用いて再構築している。それは、この展覧会の会場に入ってすぐ、長方形フォーマットの写真群が並べられていることからも伝わってくる。これらのスナップショット的な写真群は川内の新たな方向性を示すというよりはむしろ、「正方形」というかたちへの注意を促すものとしてみることができるであろう。彼女の写真集『the eyes, the ears,』において、正方形フォーマットの写真と共に、35mmの長方形フォーマットの写真やポジのコンタクトシートを合間合間に掲載しているが、これらもまた「正方形」を際立たせるものとなっている(『AILA』においても35mmの長方形フォーマットの写真が掲載されている)。川内倫子の写真を「正方形写真の系譜」の中に位置づけること。このことが今後、なすべきことなのかもしれない。
2008年の7月には静岡県のヴァンジ彫刻庭園美術館で大きな個展も開かれる。川内倫子の写真をどこまで語ることができるのか、楽しみに待っていたい。
Bunmei Shirabe
Bunmei Shirabe