今年のアートフェア東京の入場者数は、9日のプレビューを含め4日間で32,000人にものぼったそうだ。会場は終日たくさんの老若男女で溢れていて活気があり、それぞれがずっと探し求めていた作品に出会うため会場を闊歩しているように見えた。
盛況の4日間は入場者数だけでなく取引の結果にも現れた。会期終了直後の総売上が約10億円となり、前回の約2億円から大幅な伸びを示したそうだ。
それでは実際に会場の波の中へ入っていき、見ることができたアート作品やどのようなイベントが行われていたのか私が体験した範囲でレポートしたいと思います。
レントゲンヴェルケのブースでは、扱い作家の小品を中心にたくさんの作品を展示。写真のあるがせいじのエディション作品は、仕上がりの良さと価格が5000円であるという求めやすさで人気を集めていた。カバンにいれて持ち歩けるサイズでもあるし、気負わずコレクタ−の一歩を踏みだせそうだ。
SCAI THE BATHHOUSEのブースでは、ジュリアン・オピーの大きな作品などを展示するほか、名和晃平のライブドローイングを展開していた。
グルーガンを用いて、熱でとかしたグルー(スティック状の樹脂)をキャンバスの上に盛りつけるようにして描いていく。本人に話を聞くと、「身体的な感覚からイメージして形を起こしているのでグルーの盛り上がった液体のような質感が合っていると思った」ということだが、確かに時間が経つにつれ広がっていく画面のうえの模様は、まるでなにか生命体のようだった。
展現舎のブースでは、細川真希のアクリル画を中心に展示。彼女の作品では、女の子がぱちっと目を見開いて、こちらを見つめている。かわいらしい作風であると同時にうつろなまなざしのなかに、離人的なものも漂っている。背景の景色は実際に作者の住んでいる場所だということで、なぜか懐かしいような叙情的な空気感があった。
偶然、その場にいた作家と話しながら感想を伝えたりして絵を見ることができたので、雰囲気を肌で感じることができた。親子づれで絵の前に立ち、一緒に記念撮影している光景もみられた。
小林画廊のブースではThordis Adalsteindsottirの作品を中心に展示していた。“And They followed him”という題は軽やかな詩的な意味と、宗教的な意味の両方を込めているそうだ。
どことなくシニカルでありながら静謐な画面構成をとっている。題材にされている動物や人の姿は、ユーモアを感じさせるが、よく見ると注射針がそばにおちていたり包帯を巻いていたりしてどんな状況にあるのだろう、と考えさせる作品だ。痛みがテーマとしてよくでてくるが、日本では発表できる範囲が限られているということだったので、もっと他の作品も見てみたいと思った。
また、今回のフェアでは展示だけではなくトークイベントや会場ツアーも行われており、4月11日には、TABからも藤高、ポール、オリヴィエが参加したトークイベント『ART WEB MEETING 01』が開かれた。首都圏および全国を対象領域とするアート(&カルチャー)サイトのミーティングという趣旨で、パネリストは他に『artscape』ウェブマスターの春木祐美子氏、『REALTOKYO』から小崎哲哉氏の計5名。アートコレクターとしても知られるお笑い芸人おかけんたの司会により進行した。
前半では各サイトが簡単なプレゼンテーション、サイトの成立事情、内容、特徴紹介などを行った。デイヴィッド・エリオット前森美術館館長(現イスタンブールブール・モダン館長)への2分弱のビデオインタビューをはさみ、後半ではサイト創設から現在までのネット状況の変化、和英バイリンガルであることの重要性(必要性)、今後の可能性などについて、それぞれの所見を述べた上で、数十分間の討議をした。
WEBと紙媒体の役割はそれぞれにあって衝突することはないとして、WEBでは物事を色んなアングルから見ることが可能であるということと、異質な情報にリンクが発生しリンクが価値を形成するという話があった。それはWEB上の情報を調べるだけでなく、発言の道具として派生していくことを示唆している。春木氏が「TABは動的でダイナミックで新しい」と発言したことがうれしく印象に残った。
そこでテーマとして挙がったことは、「共有すること」で、好きなアートの情報を共有することで、様々な枠組みや壁を越えて嗜好性の地図を作ることができるだろうという話があった。そういうことでコミュニケーションが活発化していくことは、本当の意味で日常生活を豊かな充実したものにするだろう、と考えると希望で胸が膨らんだ。
アートフェア東京は今回で2回目とはじまったばかりであるが、反響の大きさを見ると日本のアートマーケットを広げていく口火を切る存在になっていくように思える。もっと身近にアートに触れていたいという声が広がっていき、情報の量が豊富になっていくことによって、ジャンルを越えた人々の情報交換やコミュニケーションがよりスムーズになり、的確なスピードで流動的でコアな部分を共有することができるようになるのではないだろうか。そういうことで新たな開いた文化交流が日常的なものになっていくのはそう遠くはない先のことになりそうな予感がする。