なにしろたくさんの作品が展示されているので総括するのは難しいが、いわゆる絵画や彫刻の様に、美術館などきちんとした空間で観客が一方的に「鑑賞」するタイプの作品ではなく、「観客が参加することにより成立する作品」「会場の特殊性を生かした作品」「イベント型、もしくはイベント性の高い作品」以上3つのタイプの作品が多く見られるのが特徴だ。
例えば参加型の作品。卓上サッカーゲームの拡大版《アスレチッククラブ4号プロジェクト》(KOSUGE 1-16+アトリエ・ワン+ヨココム)は、観客が手先だけではなく身体全体を使ってこのゲームに参加する。スポーツを模したゲームであるはずなのに、巨大であるが故に身体全体を使い、スポーツに再解釈されてしまっている点が面白い。
他には、乗って楽しむことのできる、大きな光るブランコ型の作品《スイ ンガークラブ ヨコハマ》(ヴォルフガング・ヴィンター&ベルトルト・ホルベルト)などが参加型の作品として人気を集めていた。
次に、会場の特殊性を生かした作品。メイン会場である2つの倉庫にワイヤーを1本渡し、動物のミニチュア彫刻の行列を綱渡りのように設置した《だからどうした―縞馬がアートフェスティバルへ行く》(マーリア・ヴィルッカラ)。
観客と同じように会場間を移動している小さな動物たちの姿を見て、次の会場への期待が膨らむ。
他には、TABlogでも先に奥村雄樹が触れているリチャード・ウィルソンの《Break Neck Speed》。会場で撮影された映像作品が、被写体でもあるトラック内で上映されている入れ子構造が面白い。→奥村のレビュー
イベント、もしくはイベント性の高い作品も多い。堀尾貞治+現場芸術集団「空気」は、「壁を塗り替える」「100円と代替に絵画を描く」などパフォーマティブな作品 《あたりまえのこと》 を会期中毎日制作・発表し続けている。
マーリア・ヴィルッカラや岩井成昭の作品が設置されている「ナカニワ」では週末を中心に連日イベントが行われており、特に、ボクデスや尹明希(ヨン・ミョンフィ)が出演したダンス・パフォーマンスシリーズ、The SINE WAVE ORCHESTRAのプロデュースによるライブシリーズ、野村誠+野村幸弘《アートサーカスの音楽》やOff Nibroll《public=un+public》などが上映された映像プログラムなどは見ごたえがあった。
さて上記の通り明らかな方向性が見える内容であったが、これらの枠組みには止まらない、様々な試みが他にも見られたし、真っ当に(!?)観客と1対1で勝負する作品の中にも印象的なものは多くあった。
しかし、これは様々なところで聞く感想であるが、楽しめる作品が多い一方で、作品や展覧会全体を通して訴えるものが弱かったというのもひとつ事実であるように思う。
今回、ディレクターの川俣正がより具体的に提唱したコンセプトとして「展覧会は、運動態である」「場にかかわる」「人とかかわる」というのがあった。特定の土地で、人の手を借りたり人とコミュニケーションを取りながら、構造物などを制作していくというアーティスト川俣正の制作スタイルは、正に運動態としての作品であり、トリエンナーレのコンセプトはこれをはっきりと反映したものだと言えるだろう。
そう考えると、様々な要素を取り入れながら、場と人に対峙し変わり続ける展覧会、否、イベントという方向性をひと言では表現できないくらいの「やりきった感」を持って実現しているトリエンナーレは、恐ろしいほどの訴求力を持ってくる。キュレーターがディレクションを務める国際展では考えられなかった枠組みであろう。
昨年末、ディレクター交代劇をにおわせる内容となったシンポジウムのタイトルは「横浜会議2004なぜ、国際展か?」であったが、一見するとそういった大きなテーマからは離れて行われているように感じられるトリエンナーレも、見方によっては実に様々なことを考えさせられるし、事実「展覧会とはなにか」というタイトルでオープニングシンポジウムも開催されている。これは半ば、いわゆる国際展やその主催者に対する挑戦状のようにも受け取れる。
いち企画屋としては枠組に対する疑問ばかりではなく、「らしい」国際展を期待したい部分もあるが、なにしろ良い意味でも悪い意味でも前回と全く異なる祭典となったトリエンナーレであるから、次回ディレクターおよび主催者には、この問題をきちんと踏襲して考えていただき、より良い国際展を実施していただきたいものである。
Makoto Hashimoto
Makoto Hashimoto