公開日:2024年5月2日

「デ・キリコ展」(東京都美術館)レポート。シュルレアリスムの始まりと呼ばれるデ・キリコの全容に迫る。

ジョルジョ・デ・キリコの日本では10年ぶりとなる大規模個展が東京都美術館で開催中。会期は4月27日〜8月29日。

バラ色の塔のあるイタリア広場 1934頃 トレント・エ・ロヴェレート近現代美術館蔵(L.F.コレクションより長期貸与) © Giorgio de Chirico, by SIAE 2024

初期から晩年までの作品をテーマごとに総観

20世紀に活躍したイタリア人画家、ジョルジョ・デ・キリコ(1888~1978)。彼の日本では10年ぶりとなる大規模個展「デ・キリコ展」が東京・上野の東京都美術館で開催中だ。監修はキェーティ・ペスカーラ大学教授のファビオ・ベンツィ、担当学芸員は同館の髙城靖之が務める。

デ・キリコが約70年にわたって制作した作品は世界中の美術館に収蔵されているが、今回の展覧会では、代表作を含む約100点以上の作品が一堂に会することとなった。本記事では、展覧会の様子をデ・キリコ作品の魅力とともにレポートする。

展示風景より、デ・キリコの代表作《バラ色の塔のあるイタリア広場》を模したエントランス部分

ジョルジョ・デ・キリコという作家をひとことで語るのは難しい。その理由のひとつには、作品様式における豊かなヴァリエーションが挙げられるだろう。彼はのちのシュルレアリスムにも大きな影響を及ぼした「形而上絵画」で高い評価を得た画家だが、それと同時にルネサンスやバロックを彷彿(ほうふつ)とさせる、古典主義的な表現手法を用いた絵画も多く発表していた。本展では、「自画像・肖像画」「形而上絵画」「伝統的な絵画への回帰」「新形而上絵画」という作品テーマごとに章立てが行われており、デ・キリコがそれぞれのテーマをどのように描き、時代ごとにどのような変化を加えていったのかが総観できる展覧会となった。

内覧会にて、本展監修者のファビオ・ベンツィ

本展監修者のファビオ・ベンツィは、デ・キリコの作品様式の変化について内覧会で次のように語った。

「デ・キリコの作風は自由な着想と変化に満ちていますが、わたしは彼が絶対的な現代性を志向し続けた画家であると考えています。夢や記憶といったテーマをいち早く見出した形而上絵画の時代はもちろん、伝統的な絵画に着想を得ていた時期においても、彼は硬直しつつあった前衛表現をつねに問い直していました。彼がたびたび行ってみせた古典美術からの引用は、同時代の画家によってもはや時代遅れと見なされていたモチーフや表現を意図的に提示してみせるという、一種の反前衛的な試みなのです。」

長きにわたって取り組んでいた「自画像・肖像画」

展示室に入ってすぐ、わたしたちを出迎えるのは、自画像・肖像画が展示されるコーナーだ。形而上絵画をはじめとする前衛的な表現で有名なデ・キリコだが、人物画という西洋美術史における典型的なテーマにも、継続的に取り組んでいたという

展示風景 © Giorgio de Chirico, by SIAE 2024

デ・キリコは1888年にギリシアで生まれ、ドイツのミュンヘンで絵画を学んだ。初期の作風は象徴主義や後期ロマン派の画家の影響を受けていたと言われているが、彼の自画像・肖像画はルネサンス様式で描かれたものもあれば、バロック様式のものもあり 、彼の作品様式の多彩さがここからもすでに伺える

弟の肖像 1910 ベルリン国立美術館蔵 © Giorgio de Chirico, by SIAE 2024
17世紀の衣装をまとった公園での自画像 1959 ジョルジョ・エ・イーザ・デ・キリコ財団蔵 © Giorgio de Chirico, by SIAE 2024

また、デ・キリコの手がけた自画像・肖像画に登場する人物は、17世紀風の衣装や、闘牛士の衣装など装飾的な衣装を着て描かれていることが非常に多い。このような演劇的演出は彼の作品の特徴のひとつであり、1930年~1960年にかけて多く手がけていた舞台美術からの影響があると言われる。本展では、画家がそのキャリアのなかで数多く手がけたオペラや演劇のデザインスケッチや衣装も展示されているので、こちらもあわせて見てみて欲しい。

展示風景より、バレエ「ブルネッラ」の衣装(1931上演) ジョルジョ・エ・イーザ・デ・キリコ財団蔵 © Giorgio de Chirico, by SIAE 2024
展示風景 © Giorgio de Chirico, by SIAE 2024

形而上絵画のはじまり:イタリア広場、形而上的室内

展示室を抜けていくと、そこには彼の代名詞ともいえる、形而上絵画が目に入ってくる。形而上絵画は、それまでの伝統的な写実/網膜絵画を超越し、私たちが見ている世界の奥底にある非日常的で神秘的な世界をほのめかすような絵画だ。デ・キリコはある日、見慣れたはずの街の広場が、初めて見る景色であるかのような感覚に襲われたことが形而上絵画誕生の「啓示」となったと語ったという。

バラ色の塔のあるイタリア広場 1934頃 トレント・エ・ロヴェレート近現代美術館蔵(L.F.コレクションより長期貸与) © Giorgio de Chirico, by SIAE 2024
イタリア広場(詩人の記念碑) 1969 ジョルジョ・エ・イーザ・デ・キリコ財団蔵 © Giorgio de Chirico, by SIAE 2024

本展では「イタリア広場」「形而上的室内」「マヌカン」という3つの題材の形而上絵画が展示されている。なかでも《バラ色の塔のあるイタリア広場 》(1934頃)は、形而上絵画の記念碑的な作品だ。人の気配を完全に排して描かれたイタリア広場は沈んだ色の空に覆われ、その色彩とライティング、奇妙な遠近法が非現実的/神秘的なイメージを醸し出す。デ・キリコが晩年に描いた《イタリア広場(詩人の記念碑)》(1969)と比較してみると、広場中央にたたずむ人影や、室内から広場を望むような構図など、時代ごとに細やかな変化があることがわかる。このように、同じ作品テーマでも制作年代ごとに表現手法が変化していく様子を追えるのが、本展のひとつの魅力と言えるだろう

福音書的な静物Ⅰ 1916 大阪中之島美術館蔵 © Giorgio de Chirico, by SIAE 2024

第一次世界大戦をきっかけに、兵士としてパリからフェッラーラに移り住んだ彼は、その当時の自分の身の周りにあったものを描くようになる。イタリア広場のコーナーを進んだ先に展示されている形而上的室内は、このような背景のもとに制作が始まった絵画シリーズだ。戦時中の物資不足を背景に小さくなったキャンバスには、軍の事務所の中にあった三角定規や海図、そしてビスケットなど、彼の身の回りにあったモチーフが脈絡なく並び、閉所恐怖症的なイメージを作り出す

「ダヴィデ」の手がある形而上的室内 1968 ジョルジョ・エ・イーザ・デ・キリコ財団 © Giorgio de Chirico, by SIAE 2024
展示風景 © Giorgio de Chirico, by SIAE 2024

展示を順を追って見ていくと、形而上室内を描いた作品においても制作年代ごとの差異が感じられる形而上室内を描き始めた初期の作品が閉塞感の強い、どこか抽象的で暗い画面構成なのに対し、中期~後期の作品では部屋の内部に窓が描かれるようになり、それにともなって画面全体の明るさと奇妙な奥行き感が強調されている

形而上絵画の登場人物たち:マヌカン

本展では、様々なヴァリエーションの形而上絵画が展示されているが、なかでもマヌカンは多くの芸術家たちに影響を与えたと言われる作品群だ。元来、西洋絵画において人物像というのは、象徴的な意味をもつ題材であった。しかし、デ・キリコは人物を幾何学的な面や定規などの日用品で構成されたマヌカン(マネキン)に置き換え、モノとして扱ってみせる。強い匿名性を包含するマネキンというモチーフの利用は、第一次世界大戦でモノのように扱われた無力な人間、戦争を引き起こしてしまった非理性的な人間を暗喩しているのではないかと、担当学芸員の髙城は語っていた

形而上的なミューズたち 1918年 カステッロ・ディ・リヴォリ現代美術館蔵 © Giorgio de Chirico, by SIAE 2024
予言者 1914-15年 ニューヨーク近代美術館蔵 © Giorgio de Chirico, by SIAE 2024

制作年代ごとの作風の変化はマヌカンにおいても感じられる。初期に非人間的な事物として描かれていたマヌカンが、時代が進むにつれて身体性を帯び始めるのだ。マヌカンたちは、ギリシア風のドレスを着せられ、豊満な肉感とともに描かれるようになり、ここには彼が当時関心を持っていたと言われる古典主義や、地中海的理想の影響が強く感じられる。また、《南の歌》(1930頃)では、ルノワール風の筆致が用いられており、この時代のデ・キリコが形而上的表現を探求しながらも、過去の作家の技法を研究し、取り入れていた様子が見て取れる。

ヘクトルとアンドロマケ 1924 ローマ国立近現代美術館蔵 © Giorgio de Chirico, by SIAE 2024
南の歌 1930頃 ウフィツィ美術館群ピッティ宮近代美術館蔵 © Giorgio de Chirico, by SIAE 2024

シュルレアリスムの画家たちとの交流

デ・キリコの形而上絵画は、サルバドール・ダリやルネ・マグリットをはじめとするシュルレアリスムの画家たち(シュルレアリスト)に特に大きな影響を与えており、デ・キリコをシュルレアリスムの始まりとしてとらえる見方もあるほどだ。彼の1920年代の作品を集めたコーナーでは、そのようなシュルレアリストとの関係も感じられる作品が並ぶ。

展示風景より、手前左は《谷間の家具》(1927年、トレント・エ・ロヴェレート近現代美術館蔵(L.F.コレクションより長期貸与)) © Giorgio de Chirico, by SIAE 2024
剣闘士 1928 ナ―マド・コレクション蔵 © Giorgio de Chirico, by SIAE 2024

たとえば《谷間の家具》(1927)という作品は、その名の通り室内にあるはずの家具が谷間の中に配置されている。これは、シュルレアリスムの画家たちも多用していた、デペイズマンという手法であり、あるモチーフを本来あるはずのない場所に置くことで違和感を与えるというものだ。しかし、デ・キリコが古典主義的な表現を作品に取り入れ始めたことで、多くのシュルレアリスム画家は彼を猛烈に批判し、1925年頃、彼らは袂(たもと)を分かつこととなる

伝統的な絵画への回帰

第1次世界大戦後の「秩序への回帰」という雰囲気のなか、デ・キリコは古典作品のオマージュともとれるような作品を制作し始める。彼は1920年ごろから、ティツィアーノやラファエロ、デューラーといったルネサンス期の作品に、次いで1940年代にはルーベンスやヴァトーなどバロック期の作品に傾倒していたと言われる。

横たわって水浴する女(アルクメネの休息) 1932 ローマ国立近現代美術館 © Giorgio de Chirico, by SIAE 2024
風景の中で水浴する女たちと赤い布 1945 ジョルジョ・エ・イーザ・デ・キリコ財団蔵 © Giorgio de Chirico, by SIAE 2024

上の2つの絵画はどちらも「水浴」をテーマに描かれたものだが、その筆致と画面構成は同じ画家が描いたとは思えないほど異なっている。画像上の《横たわって水浴する女(アルクメネの休息)》(1932)は、古典絵画研究の先駆者であるルノワールの筆致を引用したものであり、印象派的な柔らかい陰影表現が特徴だ。いっぽう、画像下の《風景の中で水浴する女たちと赤い布》(1945)はルーベンス、ベラスケスなど、バロック時代の筆致を参照して描かれており、写実的で生々しい色彩表現が行われている。この絵画の画面中央に描かれた女性はデ・キリコの妻のイーザーだと言われているが、後ろで水浴する女性と比べてみると、遠近感がやや不自然であり、見るものをえもいわれぬ違和感へと導いている。

鎧とスイカ 1924 ウニクレディト・アート・コレクション蔵 © Giorgio de Chirico, by SIAE 2024

担当学芸員の髙城は、デ・キリコにとって前衛的な表現と古典主義的な表現は相反するものではなく、彼は常に古典と前衛という2つの美学を持ち合わせている画家なのだと語ってくれた。前衛的なものの中にある古典的なもの、古典的なものの中にある前衛的なものこそが、デ・キリコの絵画世界に独特の違和感と、神秘性・演劇性をもたらしているのであり、それらは彼の熱心な古典美術/技法に対する研究の成果なのだ。

新形而上絵画

彼の晩年の画業と本展は、形而上絵画への回帰とともにその幕を閉じる。1968年ごろから描き始めた「新形而上絵画」シリーズは、自身の作品へのオマージュであり、彼のひとつの到達点であるとも言える

展示風景 © Giorgio de Chirico, by SIAE 2024
燃えつきた太陽のある形而上的室内 1971 ジョルジョ・エ・イーザ・デ・キリコ財団蔵 © Giorgio de Chirico, by SIAE 2024

初期の形而上絵画と同様のテーマを扱っていても、モチーフの組み替えや比較的明るい色彩表現によって、より軽やかで遊び心のある作風となっているのが新形而上絵画のひとつの特徴と言える。デ・キリコの行ってきた引用・オマージュという手法や、明るい画面構成は、のちにポップ・アートの旗手となるアンディ・ウォーホルにも影響を与えたと言われる。

瞑想する人 1971 ジョルジョ・エ・イーザ・デ・キリコ財団蔵 © Giorgio de Chirico, by SIAE 2024

これまで見てきた通り、デ・キリコによる絵画の変遷を線形的にとらえることは一筋縄ではいかない。そのため、今回の展覧会では、制作年代に注目しながら鑑賞してみることをおすすめしたい。同じテーマのなかでも、時代ごとの変化やつながりを自分なりに感じながら見てみていくことで、その作品の面白さや豊かさがより一層感じられるはずだ。デ・キリコの神秘的で、どこか既視感のある絵画世界を堪能できる本展。ぜひ足を運んでみてほしい。

井嶋 遼(編集部インターン)

井嶋 遼(編集部インターン)

2024年3月より「Tokyo Art Beat」 編集部インターン